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幕間.渦巻く思惑

 



 Side:グーネル



 そこはナトラサの街。とある豪邸の一室。

 灯された蝋燭が仄かに部屋を照らしているその一室に、1つの影―――


「…………」


 その影は豪奢な装飾が施された深紅の椅子に座り、グラスを傾ける。

 常は優雅に、そして愉悦に富んで飲み干されるその中身は―――今宵、苦々しく歪められた唇の奥へと乱暴に飲み下され、昂揚感と多幸感を彼に与えない。


 否、酩酊湧いてはすぐに掻き消される事象は、彼の心境・心情にこそ原因があった。


「―――お待たせ致しました、閣下」


 仄暗い部屋の中に、唐突に影が1つ増える。

 その声は低く、しゃがれている。渇きと老いを感じさせるその声音は現王グーネルの懐刀、ハヴァラのものであった。


「……待っていた、ハヴァラ。報告を頼む」


 対する声はこの部屋の主、酔いたくても酔えぬ吸血鬼―――現王グーネルのものである。


「はっ、閣下―――奴めはこの地を去りました。共にいたヒトの娘も洗脳を受け吸血鬼の情報を外に漏らさぬと契られました。今後しばらく、ヒトの世にナトラサの情報が漏れることはないかと思われます」

「……そうか」


 グーネルは答え、再びグラスを傾ける。注がれたのはヒトの血である。いつもは喉を潤し、身体に熱を灯し、至上の幸福を与えてくれるそれは、今は無味である。

 今の彼は決して酔えない―――彼自身が、酔うことを拒絶してしまっている。


「……何故、私はあそこまで焦ってしまったのだ……」


 そして嘆く。額へ手の甲をあてがい、痛む頭でもって悔い悩む。


 ―――異端ディパイア、アリス。吸血鬼の血を吸い、無限に強くなれる究極の魔族。

 身体上、弱点はない。敵意を向けたが最後、命を刈り取られ血を吸われる。死角から襲おうとも、絶対の守りが彼女を死より遠ざける。


 だが、心にこそ弱点はあったのだ。それは克服されず、目の前に曝け出された状態でこの街へとやって来た。

 ―――刈る好機は今しかないと。ここで逃せば心の弱さを克服されてしまうかもしれないと―――確信した。駒を進めた。手の内を晒した。


 そしてそれは全て、仇となった。かの姫は怒り、この街を滅ぼそうと憎しみに身を任せた。

 あり得ぬ―――と思っていた。あの者は他者より拒絶されることを嫌い、他者を傷つけるよりも自身を殺そうと決意するほどの自己犠牲主義者であった。少なくとも、奴が陽光に焼かれることを決意したあの時まで、その精神は確かにあったのだ。


 しかし―――奴は怒りを露わにした。そこに『何故』を介在させる余地などない。心は成長するのだ、正にも負にも。身体的特徴よりも見えづらいその成長が、己が目を欺いたのだ。


「……ふっ」


 ―――否、違う。そう思い込もうとしていたのだ。それしか道がないと諦め、奴が怒る筈がないと見てみぬふりをしてしまったのだ。

 あの場、あの状況。自分が王位を退かない前提で、アリスを街より追い出す手段はあれしかなかった―――翌日には奴が来るという状況。盤面では既におのが負けは決していて、己だけがそれを知らずに戦っていたのだ。


 憐れな道化である。必勝の策とぶら下げた札が、まさか破滅への手形だったとは―――情けなさのあまりに力が籠る。手に持つグラスが砕けて散らばる。


「―――此度は、私の負けだ」


 そうしてワインボトルに栓をする。酔えぬ酒は惨めな味がするだけである。彼は顔に手をあて息を吐き―――手を退け、眼を開ける。


 此度は負け。しかし己は死なず生き延びた。故に―――次の戦いがある。


「ハヴァラ。貴様に命を出す」

「はっ」


 最早そこに苦みはない。確と前を向き、新たな指令を腹心へと与える王がいた。


「まず彼の者に例の薬を飲ませよ―――常より濃くし、生かして殺せ」

「……宜しいので?」

「構わん―――奴が戻る次の戻り月までには決する。もし邪魔する者が現れれば、対処は全て貴様の判断に任せる」

「―――かしこまりました」


 腹心は異を唱えない。その命令がどれだけ酷であっても、どれだけ理に適っていなくとも。

 ハヴァラは断じてそれを遂行する。


「そして次に、アリス追跡の任を解く―――代わりに次なる者を捕らえよ」

「はっ」


 腹心は応と答える。


 ―――グーネルにとって、アリスを野放しにすることは恐ろしい。いつ戻ってくるのか、その先触れもなしに訪れられれば今度こそこの街は終わる―――自身の命だけではない、この街の民全てが憎しみの炎に抱かれて死ぬだろう。それは、彼が最も恐れている事態であった。


 しかし、背水の陣。悲願を達する為には自身が王でなくてはならず、自身が王を続ける為には先の命を出さねばならず、その命を出したからには後には引けない。

 だからこそ彼はアリスを捨てる。想定よりも早く戻って来たとしたらその場で終わる。それだけである。


 一世一代の大博打―――託された悲願の為、彼は足元すら見えない暗闇の中で、細い綱を渡り始めることを決意したのである。


「ドワーフ族を300、エルフ族を100、エンター族を20。これらを洗脳し、この街まで送れ。ドワーフだけは五体満足の状態で、他は生きていればどのような状態でも構わん。ただし―――」

「かしこまりました」


 腹心は意を問わない。その命令がどれだけ酷であっても、いかほどにも意図を理解できなくとも、『ただし』の後に続く命に異論があろうと。

 ハヴァラは断じてそれを遂行する。


「以上だ―――行け」

「はっ、御心のままに」


 そうしてハヴァラは闇へと消える―――音もなく、部屋を抜けるにも扉を開けず。


「………」


 残された現王は口を閉じたままに息を吐く。そして席へと腰を下ろして瞼を閉じ、微かに囁く。


「―――様、待っていて下さい。必ずや吸血鬼を、私の手で……」


 その言葉は掠れ、誰の耳にも届けられず。彼の想い、誰にも届かず。


 こうして王は覇道の道を歩み始めるのであった。




















 Side:???



 ―――それは、遡ること2週間ほど前。

 キルヒ王国、王都より遠く離れた宿場町。夜闇落ちるタンザハッタの町での出来事である。


「―――まんまと、逃げられたか」


 赤い十字紋が縫い込まれた白装束を身に纏い、白髪交じりの彼は呟く。

 そして屈みこみ、路地裏に捨て置かれた黒の外套を拾い上げ、一瞥し、隣に立つ者に渡す。


「どうやら『本物』だったらしい。見よ」


 そして外套の中に縫い込まれている、赤の刺繍を指す。黒の外套に赤の刺繍。広く謳われている吸血鬼の装束である。

 そのような忌装束、店で売られているわけもなく、ヒトが作るわけもない。間違いなく、これを着ていた者か吸血鬼ほんものであったという証拠であった。


「なるほど、確かに―――いかが致します、師よ」

「面倒の(もと)である。処分せよ」

「はっ」


 短い応答の後、従者である黒髪の彼は件の外套を放り投げる。


 刹那―――チィンと、彼の腰に吊られた鞘が音を鳴らす。

 その音は、納刀。既に剣は放たれ、幾重にも宙を舞った後である。小さく高いその音が鳴る頃には、放り投げられた外套は千々に裂かれていた。


 そうして宙を舞っていく。最早元が何であったかもわからぬ残骸である。黒の中に多少赤が混じった布切れが、吸血鬼の外套であったことなど誰にも理解されぬであろう。


「―――しかし二度も御光を受け、動ける吸血鬼などいるのでしょうか」


 そして、最早残骸になど一瞥もくれず、従者は師へと問う。


 彼が言う御光とは、太陽神ラーが人間種へと授けた奇跡の光、『輝ける陽光(マディラータ)』のことである。

 その光を受けた吸血鬼は魔素欠乏を起こし、身体は鉛のように重くなり、痛みが全身を突き刺すと言われている。


 一度目は、街に住まう魔術師が『輝ける陽光』を使った。出会い頭、唐突の遭遇であった為に全身を照らすことが出来なかったと聞くが、それでもかの吸血鬼を極限にまで弱めることが出来ていたであろう。

 魔素を奪い、抗う手段を封じたのである。更に足を愚鈍にさせ、逃げるにかたくしたのである。


 捕らえるのも時間の問題。そう高を括っていたものが、更に『輝ける陽光』を受け―――しかしその後に屋根を伝い、風のように去っていった。明らかに、本来取れる吸血鬼の動きではない。


 しかしここで彼らは『輝ける陽光』の効力を疑うことはしない。それは彼らの信仰心とも関係あるが、それ以上にその効力を事実として見たことがあるのだ。御光をもろに浴びた吸血鬼は動くことすら敵わない。

 ―――それでは一体、何故件の吸血鬼は逃げきることが出来たのか?


「計画の生き残りかとおもいみていたのだが―――ふむ、道理は分からぬが天性の為せる業であったのかもしれぬな……」


 従者の問いに対し、師である彼も歯切れ悪く応える。彼としても、『本物』であるという想定はしていなかったのである。

 『輝ける陽光』を恐れながらも、浴びて動ける者の存在―――『贋作』であると予想していたのだった。


 叡智の存在である師ですら頭を悩ませている。その事態に従者も悩み、はたと案を思いついてそれを語る。


「もう一度あの2人に仔細を聞いてまいりましょうか?」

「あの2人とは?」

「奴を追い込んだ宿で出会った、銀の髪の娘と、赤髪の娘のことです」


 『ああ』と師も思い出し、鷹揚に返す。

 吸血鬼と見まがうほどに美しい銀髪の娘。それと行き掛かりであったが加護を授けてやった赤髪の娘。


「夜闇の中追った者達よりも、灯りの下で対峙したあの娘共の方が、何か気づいたことがあるかもしれません」

「―――ふむ。しかし我らならともかく、其処らの小娘如きに違いが分かると思えぬが」

「おっしゃる通りです、師よ。しかし、あの娘共はあれでいて強者つわもの。あの風貌、恐らくちまたで謳われている白銀のルイナと暴風のミチの2人組に違いあ―――」

「―――待て、ていよ。今なんと言った?」


 従者が語る中、聞き過ごせぬ単語が耳に入り、師は遮る。


「はっ。白銀のルイナと暴風のミチの2人組、と」

「―――ルイナ。それは真の名か?」

「恐らく、そうであるかと」


 そうか―――と、師は唸るように応える。

 しかし、彼の考えを推察し、従者である彼は頭を振って答える。


「師よ、かの者とは歳が合いません。あの娘はせいぜいが20歳、風貌もまったく異なります―――その忌名が伝わらぬこの王国で、他意なくつけられた名前でございましょう」

「……その通りだ、弟よ。奴とは無縁の他人であろう」


 言って、師は息を吐く。瞼を閉ざす目尻に寄る皺は、彼が重ねた齢の数を語る。


「―――弟よ、故国へ帰るぞ。先の外套を見ても、本物であることに違いない。本物であれば無用である」

「はっ、仰せのままに―――恐らく、昼に姿を見せる吸血鬼という情報も、先の娘の話であったのでしょう」

「違いない」


 そうして彼らは町を去る。

 はたして彼らのこの場での判断、それらのどこまでが正しかったのか。あるいはどこからが間違っていたのか。それを教える者は誰もいない。






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