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102.旅立ちの夜(前編)

 






 明けない夜はない。

 如何に夜が暗くとも、如何に地に静寂が満ちようとも、如何に月が夜闇に映えようとも、いつかは夜が明ける。陽は昇る。


 今はまだ色濃い紺が占めているが、数刻後には空は白み始める。空を眺め、雲の隙間より僅かに見える星と、雲を突き抜け地を照らす月の位置を見やり、時を悟ってその場で声を上げる者がいた。


「そろそろお時間でございます」


 それはアリスの従者、カリーナであった。地に腰を下ろしていた為に汚れた裾を手で払い、居住まいを正して視線を送る。

 視線をよこされた者は杖を片手に立ち上がり、鷹揚おうように返す。


「そう。じゃあ、よろしく」


 応え、立ち上がる者はミチであった。未だふらつく足元を杖で支えながら歩み、カリーナのもとへと向かう。


 ……何をするのだろう。小首を傾げながらそのやり取りを眺める者がいた。ルイナである。


 彼女が知っているのは、2人が自分の知らぬ間に何事か約束を交わしており、それを果たすためにカリーナがここへ来たということだけである。

 その詳細を訊ねても、『わたくしの口からでは説明致しかねます』と言われ、断られてしまった。故に今から何が起こるのか、つぶさに見ようと俄かに目を見開くのであった。


「……ん?」


 ―――そんなルイナの様子を横目に見て、不審に思ったミチはカリーナへと訊ねるのであった。


「あんた、もしかして今から何するかルイナに話してないの?」

「はい? え、はい。勿論でございます」


 ミチの問いに、虚を突かれたようにカリーナは大口を開く。そしてそれを戒めるように手を添えて応えた。


「いや、なんでよ……説明する時間くらいここへ来るまでにいくらでもあったでしょうに」

「いえ、この件に関しまして私の口からでは何とも……」

「いやいや、この期に及んであたしの口から説明する方がはずか―――あ~、もういいっ、分かったわ。あたしが説明すればいいんでしょっ」

「……?」


 そうして何故か始まってしまう応酬。その様子をますます不思議そうに首を傾げ見るルイナへ、ミチは振り向き直るのであった。


「いい、ルイナ? あたしがこの場から生きて帰る為には1つしか道が無いわ」

「え、生きて帰る―――ですか?」


 『そうよ』と頷くミチに対し、ルイナは辺りを見回し始める。

 不穏当な言葉であった。生きて帰る為の道と言われたからには、彼女を生かして帰したくない意図を持った輩がいるに違いないと思った。だが、彼女の眼は敵を映さない。木々の影に何者かが隠れている気配も感じない。


 そんなルイナの様子を見て、ミチは『違う違う』とかぶりを振るのだった。


「そうじゃなくて―――もっと近くにもいるでしょ? あたしにこのまま人里へ帰られると困るやつらが」

「えっ? ……あ」


 そうしてやっと、遅まきながらも彼女は悟ったのである。ミチが何を敵とし、何を問題としているのかを。


「あ、わ、私―――」


 そして今更ながらに気づく。自分が―――自分のことで精いっぱいだった為とはいえ、吸血鬼の隠れ里までヒト(ミチ)を案内してしまっていたその事実に。

 そしてその事実を決して許さぬ存在が近くにいることに―――


「その―――違うのっ…カネル! お願い、ミチさんを殺さないで! ミチさんは絶対に、ヒトにナトラサの場所を教えたりしないからっ!」


 そう。その敵とは彼女の周りにいる吸血鬼達のことであった。


 ナトラサの情報を持った者を決して逃してはならない。それはナトラサに住む吸血鬼全員が持つ共通認識であり、掟である。それに従えば、ミチを生かして帰すことは許されない。


 だから彼女はそれを否定した。ミチは密告それを行なわないと。

 だから彼女は吸血鬼達に向き直り懇願した。ミチを見逃してくれと。


「それは本当に『絶対』なの?」


 しかし、その言葉の真偽を問う者がいた。


「え……」


 そしてその声は、むしろルイナの背より聞こえてきたのである。


「ルイナ、それは絶対にたがえない事実なの?」

「そ……え、どうして……」


 疑念の声は、ミチより発せられていた。


「ルイナ、あたしだって人間種よ。『絶対』はないわ。拷問にかけられたり、金で買われたり、もしくは酔っぱらって口が滑るなんてことも有り得る。旅半ば、あなたと喧嘩別れして恨みに思って言いふらすことだって考えられる。あたしが今後一切、それを言わないだなんてことは言い切れないのよ」

「そ……うです、けど……」


 ルイナは混乱する。言われていることはもっともであり、否定できない。

 しかし、然るべき言葉ではない。彼女がミチに求めていたものは同調の言葉であった。


 それとは真逆の言葉は彼女を混乱させ、続く言葉を紡がせない。

 このままではミチを守れない―――恐怖と至らなさに泣き出しそうに表情を歪め始めたルイナを見て、しかしミチは笑って答えるのであった。


「心配しないで、ルイナ。あたしが生きてこの場を去る方法はあるのよ。1つだけ―――あたしの口を封じてもらうことなんだけどね」


 そう言って、ミチはカリーナへ視線を送る。それに対し、カリーナも微笑をたたえながら頷き返すのを見て、ルイナは『口を封じる』の意味が『殺害くちふうじ』ではないことだけは悟る。

 ……それではそれ以外の『口を封じる』方法とは何であるのか―――彼女は、見せられた笑顔をもとに冷静さを取り戻し、与えられた情報をもとに考える。


 カリーナがこの場に来た理由。

 口外してはならない情報を知ってしまったミチ。

 去りたいが、去るにはその情報が邪魔になる。

 では、去るためにはその情報をどうしたらいいのか。もしくは彼女がどうなっていれば良いのか。情報を持ちつつ去る為の必要条件とは?


 思考にぽつぽつと浮かび上がってくる事柄を並べ立て、ルイナは推理する。カリーナとミチが何の約束を交わし、何を為そうとしているのかを。


 そして、1つの推測が思い浮かんだ時、彼女はぽつりとそれを呟いたのだった。


「―――もしかして、洗脳ですか?」

「そう、正解」


 その尋ねるような小声に対し、ミチはこくりと頷き返すのであった。


















「―――終わりました」

「……そう」


 見つめ合い、視線を間近に交わす2人。その交錯ははたから見れば一瞬であった。

 しかし、刹那の合間に交わされたものは視線だけではない。カリーナを主、ミチを従として思考を共有化し、絶対の命令を主より従へと下される。その命は脳へと刻まれる。


 『洗脳』―――被術者の思考や行動を制限する呪いであった。それの行使が終わり、しかしかけられた側のミチは不思議そうに首を傾げる。


「―――洗脳って、本当にあっさりかかるものなのね。なんかこう……かかった後で何か変わるものかと思ってたけど」


 そう言って自分の頭を軽く小突く。本人としては、洗脳された前後で何かが変わった自覚は無い。思考も明瞭である。

 本当に自分は洗脳されているのかと疑ってしまう程に自覚症状がない。しかしそれを見てカリーナは首を振るのであった。


「洗脳や魅了といった精神を侵す呪いは本人に自覚出来ません。自覚出来ないからこそ、その呪縛からは自力で抜け出すことが出来ません……決して、です」

「……そう」


 神妙に語る。ミチはそれを聞いて、密かに恐怖を覚えるのであった。

 真に迫った語り口から察するに彼女は―――その洗脳、あるいは魅了をかけられ自力で解けない憐れな者を近くで見たことがあるのだと悟る。だからこそ、このように真実味をもって語れるのだ。


 そしてその話において、吸血鬼カリーナが呪いをかけた側であることは容易に想像できる―――恐ろしい話である。今は普通に話しているが、やはりヒトにとって吸血鬼は天敵であり忌敵であることを改めて認識したのであった。


 ……しかし、それにしても洗脳された自覚が出来ないというのはおかしな話である。ミチは脳内でカリーナと交わした会話を覚えている。何の命令をされ、何を応と答えたのか、その全てを覚えている。

 洗脳にかかった自覚はないが、どんな洗脳をかけられたのかは自覚がある。思うに、片手落ちな気がしてしまう。はて、かの有名な吸血鬼の洗脳というのが、こんないい加減な仕様でいいのだろうか?


「―――まあ、いっか」


 考えた結果、ミチはその思考をひとまずぶん投げることにした。自分は目的とする洗脳をかけてもらったのだ。それ以上の違和感や疑問は改めて考えればいいと思い直したのである。


「それで―――あたしはこれで誰に対してもいかなる吸血鬼の情報を伝えられなくなったし、洗脳を解こうとする行動も取れなくなったってことでいいのよね?」

「はい。事前にお話ししていた通りの内容で洗脳をかけました」


 ミチが問い、カリーナが頷く。ミチにかけられた洗脳は2つであった。


 1つ目は、吸血鬼に関わる全ての情報を他者に伝えないというもの。それは口頭であっても筆談であっても、いかなる手段を用いても他者へ情報を渡す行為を禁止するものである。


 2つ目は、その洗脳を解く一切の行為を禁ずるもの。彼女には洗脳をかけられた自覚はないものの洗脳をかけられるまでの記憶はある。その記憶を頼りにラサ教の教会に駆け込み、神父へ呪いを祓ってもらうことが出来る。その行為を禁止する呪いであった。


「―――もう一度確認するわ。これであたしは誰にも吸血鬼の情報を渡せなくなった。それでいいわね?」

「…? はい、おっしゃる通りでございます」


 そしてミチは、俄かに声を張り上げそれを確認する。今この場においては皆、傍に座り黙している。例え小さな声量だとしても聞くに能う。

 まるでこの場にいない誰かに対しても聞かせるような声音に、カリーナは首を傾げながら応える。


「―――最後の確認よ。もし不服があるやつがいたら言いなさい。納得する条件を聞いてやろうじゃない―――どう?」

「……?」


 もはやカリーナは唇を結び、首を捻る。ミチが語る声量、そして語り口。それらが自分にかけられているものではないことを悟ったからである。

 それでは一体、誰に対してであろうか。その場を囲う吸血鬼達からも目線を逸らし、周囲の木々目掛けて視線を配るミチを、不審な眼でカリーナは見やる。


「………」


 そして誰も答えない。ルイナとカネルも訝しむように辺りを見回し始め、リカはきょとんとして丸い瞳でもってミチを見つめ続ける。もう1人―――この場においてもう1人吸血鬼がいるのだが、彼は黙して語らず。ただ、金の髪をなびかせるミチの顔を伺うのみであった。


 沈黙とそよ風だけがその場を過ぎる。やがて誰も答えない、誰も姿を現さないのを見てミチは怒らせていた肩を下ろす。


「……考えすぎだったかしらね」


 そうして1人、からの息を吐いた。


「―――ありがとう。あんたのおかげであたしの杞憂は全部晴れたわ」

「は、はぁ……」


 何やら1人で納得しきった表情を浮かべるミチに、カリーナはどう答えて良いか分からず曖昧に応える。

 周囲を見ても、木々と夜闇。誰かのいる気配を暗殺者たるカリーナすら感じ取れず、結局彼女が何を気にしていたのか分からず。ミチが自分より離れるのを見送るしか出来なかったのである。






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