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98.吸血鬼の掟

 





 カネル達3人がナトラサの街を出たのは8日前のことである。


 彼らはキルヒ王国南部に位置する山間部へと遠征していた狩猟隊であった。他の大人は同行していない。齢14歳にして一人前と認められたカネルを隊長とし、未だ半人前扱いであるソーライとリカが同行する形で成った隊である。


 ―――ちなみに、彼らの中で選別の儀において正式に『狩人』の任を与えられている者はカネルのみである。他、リカは『羊飼い』。ソーライは『学者』であった。

 この隊の成り立ちは、大人たちが暗澹たる街の雰囲気にのまれ怠惰となってしまっていた頃、放牧場に一緒に行ってくれないかとリカよりカネルへ依頼があったところから始まる。


 リカは実力はあるものの判断力に若干難ありということで半人前扱いが関の山であった―――そもそも、半人前となる平均年齢が15歳であり、リカは未だ13歳である。十分に優秀であったが、平均年齢25歳で認められる一人前扱いをもぎ取ったカネルと比較するとどうしても見劣りしてしまう。


 そして半人前だと1人で街の外に出られない。しかし大人たちは誰も街の外に出て行こうとせず、リカも外に出られなくなってしまい、結果飼っている羊や牛達が野放し状態になってしまっていた。


『魔物に襲われていたりしたら、可愛そうだよー……』


 そう、しょぼくれた顔を浮かべるリカを、カネルは放って置けなかった。


 それに、彼も嘆いていたのである。大人たちは皆、国の行く先を憂い、容易く幸福に酔える血へと逃げていた。摂る必要のない食事など忘れ、農耕や畜産、採集や狩猟等の食料確保の任を忘れ―――血を供給するヒト達を養うために、食料それが必要であることを忘れてしまっていた。


 故にカネルは、リカの嘆きに応えた。放牧場のある王国南部を目指す形で遠征の計画を立て、リカと共に行動するようになったのである。往路・復路にそれぞれ2日を当て、3日間を放牧場で過ごす。放牧場ではリカは家畜の世話を焼き、カネルはリカの召喚した眷属とともに周囲の魔物や獣を狩猟がてらに間引く。

 そうして往復で7日ほどの遠征を、隔週を目途に行っていたところ、いつしか話を聞きつけたソーライが修行の為と同行するようになり、今の狩猟隊が出来上がったのである。


 彼らは急ごしらえの隊であったが、非常に相性の良いパーティーであった。リカの使役する黒狼は危うげなく前衛をこなし、ソーライは多くの魔術を操り後援を果たす。カネルは索敵を兼ねて少し隊より離れ、大局を見つつ指示を出し、隙を見ては前衛との挟撃を図る遊撃と、三者それぞれに役割が分かれており、且つ合理的なバランスであった。

 そもそも、近年稀にみるほどの逸材揃いである。彼らの戦闘力に優る狩猟隊は、他を見てもなかなかいなかった。


 そんなこんなで隊を結成して半年あまりが経とうとしていた彼ら。今回も、いつも通りに放牧場で家畜の世話を焼き、いつも通りに狩猟を終え、いつも通りにナトラサへ帰ろうとしていたところ。


 ―――渓谷近くの林地にヒトがいるのを発見したことにより、彼らのいつも通りは崩れたのだった。


 その日は無風―――静寂満ちる夜のことであった。













「放っておこうよー……」


 生い茂る木々の向こうをちらちらと見ながら、リカは怖いものでも見たかのように涙目交じりに呟く。


 そこにいるのは、魔術師であった。傍には杖と三角帽子、『鷹目たかのめ』のスキルを使ったカネルがそれを視認し、間違いなく魔術師であることを言うとリカは途端に身を震わせ始めたのであった。


 彼女にとって未だ記憶に新しい、痛くて怖くて悲しい記憶―――『輝ける陽光(マディラータ)』。それは闘争の儀において使われ、悲劇は起こった。

 照らされた瞬間に感じた、全身を無数の針で突き刺されたような激痛。身体が鉛のように重くなって、全く動けなくなる恐怖。そして―――自分をかばったお姫様がずっとずっと目を覚ましてくれなくて、悲しくて怖かった半年間。それらの記憶が呼び起こされ、彼女の常の明るさは鳴りを潜める。


「いいや、捕らえるべきだ…!」


 対して、カネルの隣にいるソーライは息巻き、獲物に悟られないよう小声で叫ぶ。


 ヒトは吸血鬼にとって、貴重な資源である。捕らえられそうな機会であれば、捕まえ洗脳しナトラサへ連れて帰ることが推奨されている。

 それに目の前のヒトは雌であり、魔術師である。雌の血は口当たりがよく好む者が多いし繁殖を為す為の頭数にもなる。さらに魔術師の血は普通のそれよりも魔素濃度が高い。ようするに、美味い。


 今、くだんの魔術師は目を閉じ―――恐らく瞑想中である。ヒトが1人こんなところで瞑想していることに違和感を覚えるが、ともかく絶好の好機である。瞑想は、深く入っていれば自力で戻ってくるのが困難だからである。


 こちらは3人。相手は眠ったも同然の1人だけ―――彼我の戦力差、状況の有利を考え、カネルは決断を下す。


「捕まえよう。こんな好機は滅多にない」

「よしっ」

「えー……」


 カネルの決定に、片や意気込み、片や悲し気な表情を浮かべる。

 ―――悲しませてしまうのは本意ではない。ここは慰めか励ましかの言葉をかけるべきとカネルが口を開こうとした瞬間、


「頼みがある」


 しかしそれよりも先にソーライが口を挟む。そして珍しいことに、ごく僅かにだが殊勝にも頭を下げてくる。このような頼まれ方をするのは、隊への同行を初めてお願いしに来た時以来であった。


「どうしたのさ、急に?」

「あの魔術師と―――勝負させて欲しい」

「……はぁ?」


 そうして出てきた発言に、カネルは思わず正気を疑い、気は確かかと目と声で問う。


 それに対してのソーライの目は、常よりずっと大真面目であった。


「不合理であることは俺も承知している。そのうえで―――頼む」

「……え~と、いいや、うん。まずは訳を聞くよ」


 真剣であるのは分かった。それでも彼の言う通り、非常に不合理である。眠っている相手をわざわざ起こし、多少とはいえ命を危険に晒してまで何の利を得ようというのか。彼は問い、ソーライは答える。


「俺は魔術師として高みを目指している。魔術師同士の戦いは、機転・知識・経験・力、全てが試される……俺は、経験を積みたい。更に強くなる為に―――だから頼む。俺とあの魔術師、一対一で勝負させて欲しい」

「………」


 カネルは口を閉ざし、果たしてどうするか悩む。


 定石セオリー通りに行くなら、奇襲の一択だ。杖を奪い、身柄を抑え込み、口を封じれば魔術師は何も出来なくなる。捕らえ、洗脳するのは容易となる。


 しかし対峙するのであれば、当然考えるのは危険性リスクである。思わぬ反撃を喰らい、返り討ちに遭う。そうでなくとも吸血鬼であることがばれてしまい『輝ける陽光』をかざされれば自分達は圧倒的劣勢に立たされる。

 そして吸血鬼がこの場に複数体いたという情報をヒトの町に持ち帰られれば捜索隊が組まれ、最悪ナトラサの存在に気づかれてしまうかもしれない。それだけは、命に代えても絶対に避けなければならない。


 ―――では、ここでソーライの望みを退けるのが正解か。カネルは考える。


 ソーライは何も自信なく戦いたいと言っているわけではない。というよりも、勝つ前提で考えているに違いない。当然だろう、中級魔術を易々と扱えるソーライに敵うヒトの魔術師など想像がつかない。

 それでも願いを断るということは彼の力、あるいは意気込みを信じていないということの表れである。彼の自尊心に傷をつけてしまうのは間違いない。


 そして、もう1つ。ここで望みを退ける為に正論で説得するのは簡単であるが―――カネルは知っている。ソーライが魔術に対しては誰よりも真摯に向き合い、研鑽に多くの時間と労力を費やしていることを。

 遠征の度に重い重いと言いながらも決してカネルやリカに頼まず、自ら背負って運ぶワインボトルの数々。それは彼が遠征の合間でさえも魔素欠乏を起こしそうなほどに鍛錬を行ない、その度に消費されていく努力の証である。彼は強くなる為に、己の信じた道を突き進む為に、絶えず努力を重ねているのである。


 その努力を、姿勢を―――彼は無下むげには出来なかった。


「―――フード」

「え?」


 やがてカネルは口を開き、外套についているフードをソーライに被せる。


「そのフードが外れたら君の負けだ。僕たちも加勢する―――それでいいね?」

「っ! お、おお! 分かった、任せるが良い!」


 ソーライは我が意を得たりと喜色を顔に映し、フードを目深に被って銀の髪を隠す。


 次にその髪が月明りに晒された時―――つまり彼が吸血鬼であることがバレた時、勝負は終わりだ。『輝ける陽光』が行使されるまでの間に、決着をつけなくてはならない。それが背後からの奇襲であろうと何であろうと、確実に。そう、約束を交わしたのである。


 そうして、カネルは彼を見送った。揚々と歩き、瞑想中の魔術師へ声をかけ、啖呵を切って勝負に入るところを見て、彼らしいなと苦笑交じりに背を見守っていたのである。


 ―――しかし、事態は思わぬ方へと動いた。一時は追い詰めたはずであった少女は見たこともない魔術を操り、ソーライの魔術を悉くに破り、逆に彼を追い詰める。

 そしてとうとう外套が翻り、彼のフードが外れる。銀の髪が月明かりに晒されたのだ。


 ―――風がそよぐ。魔術師の操る暴風の余波が頬を撫でる中、カネルは身を現し宣告する。


「……時間切れだよ、ソーライ」


 ……無念であろう。悔しかろう。あれほどの鍛錬をしていたにも関わらず、手も足も出せずに地に伏すソーライを見て、彼は悲嘆を声音に滲ませる。


 しかし、手は冷酷に動く。ナイフを取り出し、それを魔術師の背に向かって投げる。自身も、そのナイフを追うように飛び出す。

 前衛のいない魔術師は脆い―――はずである。しかし目の前の奴は理解できないことに詠唱も呪文もなしに、まるで魔道具を扱うように魔術を発動させている。危険である。


 故に彼は全力。『風足かぜたり』で駆け、『金剛力こんごうりき』を発動させ、『強斬きょうざん』を付与させた爪によって確実に仕留める―――牽制の投げナイフに追いつかんとするほど疾く駆け、彼は必殺の一撃を放つ。


「っ……!!」


 しかし、刹那。

 駆ける彼の脇を、追い抜き走る黒い影があった。


「っ! ぁがっ…!」


 それは魔術師にぶつかる。のしかかり、魔術師の腹を抑えつける。


「ぁ、……―――」


 ―――そしてそのまま為されるがままに、あれほど猛威を振るっていた魔術師は意識を失った。


「………」


 カネルは眼前に倒れた魔術師を見下ろす。


 無力化できた。

 最悪の事態は回避できた。

 魔術師のなりが先に見ていた時と違う気がするが……それよりも彼は怒りを湧かす。


「―――何のつもり、リカ?」


 そして、遅れて草むらを抜けてきたリカに対し、声を尖らし訳を問う。


 ―――カネルが魔術師を襲おうとした刹那の瞬間、彼を追い抜き、魔術師を押し倒したのは彼女が使役する眷属『黒狼』であった。

 黒狼の口にはカネルが投げたナイフが咥えられている。魔術師に突き刺さるよりも前に、彼が宙で取ってしまったのである。


 ―――結果的には魔術師が気絶してくれたおかげで助かった。貴重な資源たるヒトを殺さず捕まえられたことは良いことである。結果だけ見れば、最良である。


 しかし、それは結果論である。もし魔術師が気絶せず、『黒狼』の足元でさえも『輝ける陽光』を叫んでいたら―――黒狼は強制的に送還され、近くまで迫っていたカネルと地に伏しているソーライは間違いなく殺されていた。


 故にどんな意図でもって彼女が殺しの妨害をしたのか、その真意を問いただす必要があった。

 訳を聞き、納得しなければならない。そうでなければ―――怒りが収まらない。


「このヒト、殺しちゃダメだよー……」

「どうして?」

「ひっ……! ……ぐ、ぅ、ご、ごめん、なさい……」


 カネルの冷え切った声音に、リカは怯えたように震え涙ぐむ。

 魔術師より離れた黒狼が主人の下へと歩み寄り、その足元で顔を見上げる。そして振り返り、カネルの顔を睨む。


「泣いてもダメだよ、リカ。ヒトを殺すことを僕たち吸血鬼は躊躇っちゃいけない。その掟を君は破ったんだ。訳を言えなければ最悪僕は君を殺さなくちゃいけない」

「ひぅっ、えっ、ぐ……だ、べ、だもん。だっで、うぇぇ、ひめ、っ、さ、うぇ…ぇ…っ!」

「………」

「くろ、ちゃ、ぼじ、で、ぐれ、ぅぇぇっ、ひっ、ぅぅ……」

「………」


 ―――ダメだ。何を言っているのか全く分からない。


 それに……押し殺そうとしているが罪悪感が酷い。


 どうして女はすぐに泣くのだろう。そして、どうして自分はこんなにも女の涙に弱いのだろう―――嘆く。泣く彼女を見ていると湧き上がった怒りと苛立ちは萎えていき、代わりに憐憫が湧いてくるのだから―――不甲斐ない。


 ……そもそも、このままではらちが明かないのも確かである。彼はそう自分に言い聞かせ、声音を柔らかくして再び訳を問うた。


「はぁ~―――リカ、怒ってごめん。だけど僕たちも危なかったんだ。あの魔術師が『輝ける陽光(マディラータ)』を唱えていたら危ないところだった、すぐに殺すべきだったんだよ。それなのに、どうしてリカはあいつを助けるような真似をしたの?」


 答えはすぐには返ってこない。泣きぐずったリカの調子が落ち着くまで、しばしの時間を要した―――やがて、彼女は嗚咽を漏らしながらも答える。


「……うぅっ、ひっぐ、え、えっと、っ、ね……クロちゃんが、っ、あのヒトは、殺しちゃいけないヒトだって、教えてくれたの……」

「―――それは、どうして?」


 理由を答えられても、解かれぬ疑問。

 再び苛立ちが首をもたげようとしてくるが、それを堪えて答えを待つ。


 ―――そしてとうとう、その芯たる答えが彼女の口から発せられる。


「うん、っとね……風が吹いた時、このヒトから、お姫様の匂いが、すごいしたって……きっと、すごい最近まで、一緒にいたって、教えてくれたの……」


 リカの答えを聞いて、カネルは絶句する。

 『お姫様』―――リカがそう呼ぶ者は、この世にただ一人だけである。


 アリス―――。カネルは動揺に目を見開き、地に倒れたままの魔術師を見下ろすのであった。








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