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95.親子の約束

 





 ナトラサの街に陽が昇ることはない。陽光の代わりに昼夜を示す大篝おおかがりが街の中心で灯る頃。

 常なら賑わう大通りに、その日歩く者の数は少ない。現王たるグーネルより、その日の夕刻までの外出を禁じられているからである。


 吸血鬼は家より出ず、家畜ヒトもそれにならう。

 民の誰もが命を守り、本来であれば外を歩く者は『少ない』ではなく『皆無』になるはずであった。


「………」


 では、そこを歩く者は何者であろうか。

 前王アーデルセンの住まう邸宅よりで、街の出口へと通ずる道を2つの人影が行く。


 その者達は厚手の外套を羽織り、それぞれに白と黒のフードを被り、様相掴ませぬ風貌をしている。


 彼女達は道を足早に歩く。その姿を、その存在を誰に悟られるわけにもいかない。

 ―――この街の民の為に。


「………―――」


 やがて、坂道登ったところで街の道は尽きる。ここから先はならされず、岩肌剥き出しの洞窟である。

 街の出口に辿り着き、前を歩いていた者はフードを目深に被ったまま振り返る。


 大篝と家々の灯火により淡く浮かぶ街の光景を、深紅の瞳が切なく映す。


「―――お嬢様」


 後についてきた者が、彼女を呼ぶ。

 その声は、決して急かしていない。むしろ―――押し留めた悲哀が滲み、彼女の背を街の方へと押したい気持こそ溢れる。


「ありがとう、カリーナ。大丈夫」


 その声に、その想いに彼女は毅然として答える。


 眼下に街を見下ろしながら彼女の瞳を過ぎるものは、姫として育てられてきた苦痛の日々。

 そして今日という最後の日に、父と交わした会話―――約束の話である。











「―――そうか」


 語り終えると、父は静かに頷く。


 ―――胸に抱えていた悲しみを全て涙として吐き出したアリスは、その後父の居室にて全てを語った。街を出てから何があったのか、どうしていたのか。この街に何故戻ってきたのか、父が自分を救うまで何を思い何を為そうとしていたのかを。


 それを父へ語るには一夜がかかった。窓の外で大篝が灯る。彼女はその間、父の傍より片時も離れず寄り添い、静かに、ゆっくりと語って聞かせたのであった。


 ……語るに、感じた痛みが2つあった。


 1つは亡き母のこと。この街を出てからずっと、彼女は母を母とも思っていなかった。

 母だけでない。父のことも、街のことも、自分が吸血鬼であることも忘れようと努力して、彼女は心を取り戻したのであった。仕方が無かったとはいえ、彼女はその時、アリスであることを捨てたのだ。


 狂った心の中でさえも、自分を思って探し出そうとしていた母の想いを聞いた今、一度過去を捨てた事実が胸に重くのしかかる。自分は亡き母に顔向けできるような存在ではないと、彼女は卑下に泣いた。


 それを父は慰めた。あの時、妻のことを思いやれなかったのは自分も同じであったと、共に泣いたのである。

 しかし、悲しみに暮れるだけでは妻の想いに応えてやれない。妻はいつでも、娘の往く道を応援したいと言っていた。死を嘆くだけではなく、その想いこそ汲んでやって欲しいと言ったのだ。


 ―――アリスは頷く。悲しい気持ちは当分収まらなさそうであったが、それでも心を腐らせたりしない。悲しみは大事に胸へしまい込み、前を向くことを決めたのである。


 ……そして、痛みはもう1つ。


「―――前世の記憶を、取り戻したのだな」

「……はい」


 問われ、アリスは暗い声音で応える。


 そう、アリスは今生の記憶しか持たない吸血鬼であった。故に父とはアーデルセン、母とはリリスフィー以外にいなかった。

 それが、断片的にとはいえ前世の記憶を思い出したアリスは罪悪感を覚える。


 ここまで自分を愛してくれている父と亡き母。その想いを聞いた上で、自分は未だ前世の母親を捜そうとしているのだ。


 ―――アリスがこの街で暮らすことは出来ない。アリスが生きていることを街の誰にも知られるわけにはいかない。それはアリスの心根如何に関わらず、彼女の存在自体が民を恐れさせるが故である。


 よってアリスはグーネル王が吸血鬼達に外出を禁じている期限こんやよりも前に国を出なければならない。国を出た後はミチと合流し、旅を続ける。その目的とはそれぞれの親捜しである。今をもってなお、その目的を変えようという意志は彼女にはない。


 ただ、後ろめたさがアリスを俯かせる。前世の親を探すということは、今生の親を裏切っているのではないかと痛みが走る。彼女はルイナ、そしてアリスである。アリスとしての親も、ルイナとしての親も等しく愛し、等しく大切である。その想いを―――その身勝手を、今生の父に押し付けるのは、つらい。


「何を暗い顔をしている、アリス」


 しかし、アーデルセンは微笑を湛え、アリスの肩に手を置く。


「めでたいことだ。それは喜ばしいことだ、アリス。私は前世の親を知らぬ。幼子であった私を捨て、どこへとも消えた憎き存在であった。故に私は今生の親しか知らぬが、アリスはその温もりを他人より多く持っているのだ。陽光下れぬ呪いのせいで多くの吸血鬼が前世との縁を諦めてしまう中、お前は地上を往ける。地上を歩けるお前が前世の記憶を取り戻したのは奇跡であり、運命だ―――捜すが良い、アリス。お前の父は、その道を進むお前を応援する」

「っ……本当、ですか…?」


 アリスは顔を上げる。目には涙、それは珠となって白い頬を伝い、小さな顎より滴り落ちる。

 父は思う―――ああ、本当に、妻によく似たなと。美しく泣くその姿に胸の奥底がちくりと痛み、視界が滲みそうになる。


「…当然だ。言ったであろう? 私達はお前の幸せを望んでいると―――お前が自分の為にと行く道だ。それが非道であるなら別だが、今のお前なら安心して先を託せる。お前が信じる道は間違いなく自分の為にも、他人ひとの為にもなる道だ。―――往け、アリス。自分を信じて」

「っ、父様……!」


 娘は父に抱き着く。

 泣いて甘える。その昔禁じられた行為が、今は優しい抱擁をもって迎えられる。


「―――ただ、そうだな。お前は自分の思いをこらえ、他人を優先させる嫌いがある。美徳ではあるがあまり我慢のし過ぎは良くないぞ」

「……ふっ、ふふ、父様にそれを言われたくはありません」

「む―――そ、そうか?」


 娘は涙ながらに笑い、父は困ったように頬を掻く。


「それとだな―――たまには顔を見せに戻ってきて欲しい。旅を終え、前世の親を見つけたとしても、ここにもお前を愛する者がいることを忘れないでくれ」

「勿論です、父様」


 娘は頷き、父は抱擁に力を籠める。


「アリス―――これは別れではない。お前が自身の道を見つけ、帰る場所を背に作った門出の日だ。いつでも振り返れ。そこで私達はお前を応援している。そして前を向け。私達が背中を押してやる。お前の進む道の先に幸せがあることをこの場所で、お前の故郷で祈っている」

「―――はい、父様っ!」


 娘は笑う。父も笑う。


 こうして親子の契りは交わされた。一度はなくなった繋がりであったが、今再び結ばれたのである。

 それは目に見えない。耳に聞こえない。しかし確かに感じる心―――愛情でもって結ばれた、確固たる絆であった。

















「―――お嬢様、やはり、今しばらく残られていた方がよろしいのでは……」

「………」


 カリーナに問われ、アリスは瞼を開く。

 瞼の裏に見た記憶は、彼女の今を形成する。


 ―――彼女はもう、過去に泣いたりしない。


「ありがとう、カリーナ。でも本当に大丈夫。父様とはきちんとお話しできたから。それにもう時間がないしね」

「……そうですね」


 彼女が見下ろす先、街の中心で大篝の灯火が消えようとしている。

 ―――夕刻だ。これより街は動き始める。民が繰り出し、道は埋もれ、彼女が安心して往ける道がなくなる。


「『光陰如箭』を使えば、いいんだろうけどね……」


 独りごちる。

 『長目飛耳』を発動させた彼女の眼には、遠くにある邸宅が目の前にあるように鮮明に映る。そこに立つ自分を夢想すれば、彼女はそこへ一瞬にして跳べる。逆に邸宅より街の出口に跳ぶことも一瞬である。誰に見られることもなく、彼女はいつでも街の出入りが可能なのである。


 しかし、それをすることに意味はない。彼女が向かうべきは街の外にあり、この街は背に置くべき存在なのである。

 いつまでも過ごせる場所ということは、いつ動くかは彼女の心次第なのである。


 その彼女の心は、今、つべきと言っていた。


「………」


 アリスはフードの端を少し持ち上げ、街の全貌を見る。


 ―――暗い街だ。空は天井、地面は岩。緑もなければ花も生えない。ヒトの住む町と比べたら、惹かれるものなんて何1つ無い。

 だけど、見慣れた街だ。邸宅の自室より見下ろした風景とは異なるが、十数年来眺め続けた街並みだ。


 父と会うのは街の外という約束を交わしている。つまりアリスにとって、これがナトラサの街との今生の別れである。


「―――さようなら、私の故郷ふるさと。今回は、ちゃんとお別れできて嬉しいわ」


 そうして彼女は振り返り、街に背を向け歩き出す。

 もう振り返らない。彼女は故郷を捨てたのではない。背に負ったのだ。


 良い思い出のあまりない街。

 傷つき、傷つけ合うだけの街。

 だけど、故郷。


 彼女は拠り所を見つけた。もう、迷わない。

 アリスは己が道を往く。此度彼女は多くを手に入れ、故郷を後にするのであった。








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