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93.アーデルセン

 







「……っ!」


 彼は駆ける。廊下を、赤い絨毯の上を―――


 ―――アリス……!


 嗤っている者の背に向かって。

 探し出そうとしていた者の背に向かって。


 ―――アリス!


 彼が命に代えても救わなければならぬ、娘の背に向かって。


 ―――アリスッ!!


 ―――ドンッ……


「っ……!!」


 背に辿り着く、身を抱く。

 瞬間、背筋が凍る。抱きしめた身体は華奢にして、強大な殺意を振りまく。


 殺意にくしみを当てられた彼の身は恐怖に竦む。


「アリスッ!!」

「っ!!!」


 しかし、耐える。耐えて、叫ぶ。


 彼は震えない。

 彼は恐れない。

 彼は―――救う為に、覚悟を決める。


「アリス、アリスッ! ……生きていてくれて、本当に良かった!」


 彼は、思いの丈を叫ぶ。

 その胸を去来するものは多く、全てを言葉にするにはかたく、しかし強い想いが胸より溢れ、口より飛び出す。


「……!」


 娘は、父の言葉(おもい)を聞き、身を震わす。

 目を見開き、瞳孔を縮ませ、唇を戦慄わななかせる。


 耳に入る言葉が心をざわつかせる。それは―――確かに、彼女が求めていたものであった。


「本当にすまなかった…っ! お前を1人にさせてしまって、お前を……苦しめて。本当にすまなかった!」

「……! ……!」


 父は、遠き日の―――娘が街を去ったあの時を思い出す。


 ……思い出しながら、いつも嘆いていた。やり直せればと。あの時、別の道があったのではないかと、後悔し続けていた。


 それを今、彼はやり直しているのだ。

 娘が自身を偽り、自身を傷つけ、自身を見失ったあの時、あの場所、あの会話を。


『それが本当だったら、どれだけ良かったか……』


 あの時、娘が浮かべていた、自嘲と諦めの瞳。

 それを、拭ってやりたい。救ってやりたい。助けたい。ただその一心で、彼は叫ぶ。


「お前は間違いなく私の―――私達の子だ! 娘だ! アリス、私が愛する娘はお前ただ1人だけだっ!」

「!!!」


 ……震える―――ひと際大きく身を震わせ、少女はざわつく胸を押さえる。


 そのことばは心の深奥に、確かに届いた。

 心を滾らせていた吸血鬼達への怒りは消し飛び―――代わりに溢れ出る衝動に、彼女は抗えない。


 ……ああ。

 何たる、熱さ。

 何たる、大きさ。


 胸から上ってくる熱量に、彼女は逆らえない。

 この想い、決して、嘘ではない……!


「………っ、わ、たし……」


 ―――そして彼女は衝動のままに、言葉を紡ぐ。



























「私に―――……触るなぁああああああっ!!!」





「っ!!」


 衝撃。気づけば彼の身体は宙を飛び、視界が異常な速度で横へ流れていく。

 僅かな浮遊感と、全身に感じる風圧。間違いなく、彼は吹き飛ばされていた。


「ぐっ―――!!」


 彼は瞬時に過去より現在いまへ思考を切り替える。空中で姿勢を制御し地へ足を向け、壁へ手を伸ばす。

 爪で壁を抉る。そこを引っかかりにして勢いを殺し、彼の身体は止まる。地に足が着く。


「―――っ、アリス!」


 何が起こったか、彼は数瞬遅れ、悟る。

 彼の腕には、赤い痕。掴まれ、尋常ならざる握力と膂力でもって投げ飛ばされた、爪痕である。


「あああああああぁぁぁっっっ!!!!!!」


 そして前。飛ばされ、距離が開いたところに娘がいる。


 彼女は頭を押さえ、髪を振り乱し、意味を持たない言葉を叫ぶ。

 しかしそれは何人(なんぴと)たりとも近づかせぬ、拒絶の絶叫。乱れた髪の間から血走った眼を覗かせ、彼女はやがて、怒りを叫ぶ。


「私に触るなぁっ! お前が、私を捨てた! 捨てたんだ!! もう、お前なんか、親じゃないっ!!!」

「……アリス―――」


 彼は足を踏み出せない。

 ここまでの怒り、ここまでの憎しみ、見たことも受けたこともなかった。


 殺意を通り越した、呪いの視線―――それをまなこに映した娘を見て、彼の足は前ではなく、後ろへこそ歩もうとする。


「お前なんて―――お前なんか、私が、殺してやるっ!! そうだ、お前は、私の敵だっ!!!

 殺して、殺して、殺してやる!! 絶対、殺して、他の吸血鬼達も全員、殺してやる!!

 それが、私の―――復讐だ!!!」

「…………」


 ―――――――――。


 怒れる娘の姿を見て。

 牙を剥きだす娘の表情を見て。


 彼の胸に、『想い』が溢れる。

 その『想い』は2人分―――ああ、分かっている、リリスフィー。アリスは、アリスは―――。


「……分かった」


 そして、父は―――


「いいだろう、アリス」


 拳を構えた。


「アリス。我らの敵を名乗る者よ―――お前に、同族を殺させるわけにはいかない」


 一度固く握った拳を、軽く開く。強張った力は手より抜けて全身を巡り、彼の身に喝を入れる。


「―――来なさい、アリス。私の準備は整っている」


 吸血鬼最強の王、アーデルセン。

 同族を滅ぼさんとする娘を前に、最大の壁にして最後の砦として今、彼は立ちはだかったのである。


























 ……ウソツキ。


「来なさい、アリス。私の準備は整っている」


 ―――あいつは、やっぱり、嘘つきだった。


 構え、私の前に立つ。

 父様あいつは、私の、敵になった。


 ……ウソツキ!


 あいつは言った。『生きていて良かった』って。『愛している』って。言った。

 言った。言った。間違いなく、言った、のに―――私の敵になった。


 嘘だった。『生きていて良かった』も『愛している』も、嘘だったんだ。

 私を騙す為の、私を傷つける為の、嘘だったんだ。


 ……ユルセナイ!


 絶対に、許せない。私を、期待させて。私に、心を持たせて。私を、また、傷つけて―――


 許せない……許せない。絶対に、許せない!


 ……コロシテヤル!


 そうだ、殺してやる……呪ってやる。恨んでやる。絶対に、殺してやる!

 そして、嗤ってやる! 私という化け物を産んだ、自身の生を後悔するように、嘲笑ってやる!!


 嗤ってやる! 嗤ってやる!!


『わ、分かった―――お前の望むように死を与えよう。それで、良いな?』


 ―――ちらつく、過去の光景。


 それは街の広場。怯えるあいつが私に言った、死を望む言葉。

 ―――そうだ。あいつは、私が死ぬことを望んでいた。私に死んで欲しいと願っていた。


 私は、もう、甘い言葉に騙されない。


『………』


 ―――ちらつく、過去の光景。


 それは渓谷の出口。死に向かう私の最期の言葉に対して、何も語らなかったあいつの顔。

 ―――そうだ。あいつは、私が死ぬことに対して何とも思っていない。早く死んでくれ、早く消えてくれとしか思っていない。


 私は、もう、流れる涙に騙されない。


『お前なんて……、産まなければ良かった……!!』


 ―――ちらつく、※※※※※―――


「ぐっ、ぼ、えぇぇっ……!」

「っ―――」


 何かが、胸を遡ってきた。抑えられない。

 私は嘔吐えずき、それを吐き出す。


 ―――悲しみが、痛みが、溢れてくる。それは胸から、眼から、零れてくる。


 ……イヤダ!


 ―――嫌だ。もう、傷つくのは嫌だ!

 痛いのは嫌だ!

 一人ぼっちは嫌だ!

 寂しいのは嫌だ!

 仲間外れにされるのは嫌だ!

 もう、裏切られるのは嫌だ!


 …………。


 ―――お家に、帰りたい。

 お話がしたい。

 美味しいものが食べたい。

 お母さん、お父さん。

 笑いたい。

 笑いたい。

 ……笑い、たいんだよ……私……


 ―――……だったら。


 ……ダッタラ!


 だったら!!


「―――ふふ……」


 簡単だ―――


「うふふ、あははっ―――」


 笑えばいい!

 殺せばいい!


 全部、全部、潰して、壊して、切り裂いて!

 笑って、嗤って、嘲笑って!!


「あは、あはははっ!! あはは!!」


 世を呪え!

 他人を呪え!

 己以外の全てを憎んで、滅ぼし、亡くせ!!


 私を傷つけるだけの心なんて!

 私を傷つけるだけの世界なんて!


 全部、全部、消してしまえ!!


「あは、あははは、あはははははっ!!!」


 そうすれば、私は悲しまずに済むのだから!!!


「簡単! 簡単よ、そんなの!! 私、笑える!! 殺せる!! 全部全部ぜーんぶ!!! 殺せるんだから!!!」

「っ、アリス―――」


 ―――なぁんだ。心なんて、簡単!

 笑ってしまえば痛みが消える! なんだって出来る!! 誰だって殺せる!!


 だから、笑って殺せば―――きっと、大丈夫よね。


「あははっ! 行く! 行くよ、父様!! 殺す、殺すわ、あなたを絶対、絶対! 殺してあげるっ!!」

「っ―――」


 私は駆ける。刹那の時を―――


 目標は、あいつの目の前! 足を動かさず、一瞬で詰める!

 あとは突き出す。この右手を―――何でも貫く、この爪を!!!


「あはっ!」




 何も見ず。

 何も感じず。

 何も思わず。

 ただ、笑って。




 私は―――私は―――父様を―――――――――








































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