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91.遠き日の夢、今届く想い(前編)

 









 ―――彼は今、霧の中。


 白い、白い霧の中。


 包まれ、覆われ、やがて沈む……


 ―――彼は今、幸せな夢を見ているのである。























『あら、あなた! あなた! 起きて下さい!』

『ん、んー……』


 気怠く、唸る。瞼は未だ開かない。

 誰だ。私を揺り起こすのは―――


『あなた! あなたったら! もうっ―――』

『……っ』


 唇に感じる、甘い衝撃。

 そして香る、彼女の匂い―――


『―――ああ、リリスフィー。おはよう』

『ふふ、おはようございます、あなた』


 寝起きの頭で、意識が明瞭としない。思考がうまく、定まらない。

 しかし、分かる。この声は愛しの妻、我が国の妃たるリリスフィーのものであった。


『無理に起こしてしまって、ごめんなさいね。昨日も政務で疲れていたでしょうに』

『―――ああ』


 リリスフィーの言葉に短く応えるが―――はて、私は昨日、何をしていただろうか? 

 記憶が何故か混濁する。昨日のことであるのに、正しく糸を手繰れない。


 ……彼女の言う通り、本当に疲れているのかもしれない。それとも、考えないようにしてきたが、老いがこの身体にもやって来たのだろうか。

 出来れば、今しばらく惰眠を貪りたい欲も出てくるが―――いや、そうも甘えてはいられない。


 私の身は既にこの国の王―――吸血鬼を治める、吸血王なのだから。


『でもね、でもね、あなた。ほら、ここを触って頂戴!』

『ん……?』


 言われ、手を引かれ、私の指先がリリスフィーのはだけた腹に当てられる。


『ほら、今! 今、動いたでしょう?』

『―――いや、分からないが』


 ―――ばふっ!


 私の手が、リリスフィーの手によりベッドへ叩きつけられる。


『なんでよ! どうしてよ! あっ、ほら、また動いた! ……もう、どうして分かってくれないのよ。今日のはまた一段と大きかったのに』

『いや、医者も言っていただろう。母体が感じる衝撃と、外で感じる衝撃には差があると―――まだ、外からでは分からない程度でしかないということだ』


 言って、『でも……』と膨れっ面をするリリスフィーに、思わず苦笑する。

 いや、これは微笑か。幸せに包まれた、小さな笑いである。


 リリスフィーの腹の中には今、小さな命が宿っている。私と彼女の、2人の子である。

 齢にして79―――前世においての生より数倍長く生き、ヒトの身に換えれば寿命をとうに越えた老齢である。その私が、30も離れたリリスフィーと愛を為し、子を授かるというのは、どうも未だに実感がわかない。


 ―――正直に言えば、上手く育てられる自信がない。


 一方、親になるのはどうやら母の方が早いらしく、リリスフィーは日に日に膨らむ腹を見ては、優しい声音でまだ見ぬ子へと語りかけているのであった―――気が早かろう。未だきっと、耳も聞こえぬはずである。

 ……そう言ってしまうと、普段お淑やかなリリスフィーが顔を赤くし、怒ってくるのが目に見える。だから、言わぬ。家族とはそういうものだ。


 ―――コンコンコンッ……


『アーデルセン様、リリスフィー様、おはようございます。お目覚めでしょうか?』


 話していると、扉の外より声が聞こえてくる―――召使いであるカリーナの声であった。


『ああ、今起きたところだ』

『かしこまりました。それではご朝食の用意を致しますので、整い次第お声がけ致します』

『うむ』

『それでは、失礼致します』


 ―――カリーナは結局、開けずに扉越しのまま話し、去っていった。

 恐らく、私達が昨晩の情事の恰好のままでいることを気遣ってのことであろう―――出会った頃のやんちゃぶりからは考えられぬ堅物っぷりである。


『……さて、支度をしよう、リリスフィー』


 言って、立ち上がる。結局、昨日のことは何も思い出せぬままであったが、恐らく政務は溜まっているだろう。為すべきことは多く、一日は短い。真に身を粉にして当たれば良いのだろうが、リリスフィーとの時間も大事にしたいと思ってしまう。


 王とは、悩ましいものだ。大切なものが多過ぎる。どれも削るには惜しい。


 そうして、心の代わりに労苦を背負ってくれる身体を立たせ、着替えようと棚へ歩み出す。

 ―――背に温もりを感じたのは、その時であった。


『―――どうした、リリスフィー?』

『…………』


 背に、リリスフィーが寄りかかる。腕を胸の前に収め、私の肩に指を這わす。

 そして戸惑う私を振り返らせ、唇を迫らせてくる。


 短い、接吻。唇を重ね合わせるだけのそれに、リリスフィーははにかみ、笑うのであった。


『あなた。私、今とても幸せなの』

『……ああ』


 それは私も同じだ。

 ―――言葉には、なかなか出せないが。


『今でも、とっても幸せなの―――それなのに、子供まで産まれてきたら、きっと、もっと、幸せになってしまうわ』

『……ああ、そうだな』


 ―――そうだ、きっと、そうだろう。

 夢想する。私と、リリスフィーの間の子。未だ息子か娘かも分からぬ、愛しき我が子。


『きっと、リリスフィーに似た美しい娘が生まれてくるに違いない』

『あら。あなたに似てとっても凛々しい男の子が生まれてくるかもしれないじゃありませんか』

『いや、娘だ。娘が良い』

『もう―――あなたったら』


 『お父さんが変なこと言ってるわよー』と、リリスフィーは腹に向かって語り始める。

 止めて欲しいものだ。変なことを生前に吹き込まれ、父に変な印象を持たれても困る。


『だが、娘であっても、たとえ息子であっても、どうか私の眼だけは継がずに生まれて欲しいものだ』

『あら。私、あなたの目、とっても好きよ。素敵な瞳』


 そうは言ってくれるが、この瞳。印象のきつさがどうしても拭えない。王としては威厳が出るが、もし娘にこんな目つきの悪さが遺伝してしまったらと思うと、可哀相で仕方がない。


『……ふっ』


 思わず、小さく息を漏らしてしまう―――ああ、こうして、まだ見ぬ子の姿を語り合うのも、幸せであった。

 リリスフィーと共に語り、共に過ごし、共に生きる。それだけで私は幸せなのだ。


 それと同じものが、彼女の腹で今は眠っている。

 それが生まれてくる日も、そう遠くはない。


 家族―――何物にも代えがたい、幸せの形である。


 今後、リリスフィーと共に生きる限り。子と共に生きる限り。

 私は必ず、幸せであろう―――そう、確信する。


『―――愛している。リリスフィー』


 そうして私は想いを囁く。

 普段であれば気恥ずかしく、なかなか語れぬ愛でさえも、今は自然と口から零れた。


『―――ええ、私もよ、あなた。愛しているわ』


 そして、リリスフィーも応えてくれる。

 透き通る白い肌に、薔薇色の頬紅を添えて。

 潤んだ瞳と唇で、愛を奏でてくれる。


『いつまでも―――』


 そう、いつまでも―――





















「いつまでも、幸せに暮らしていければ良かったのにね……」





 ―――何かが軋む、音が聞こえた。






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