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Straysheep  作者: ジョニー
7/11

6・社会悪

      A


 俺たちの無名会社が入る雑居ビルは五階建てだが、四階は無く三階から五階までぶち抜きの空間になっている。これもジョニーさんの計らいである。もし俺たちが眠気に耐え切れなくなったとき、ここに閉じこもって被害が出るのを防ぐということを想定してのことなのだが、その機会には恵まれていなかった。まさかここにきて役立つとは。事務所の天井に開けたマンホール大の穴から、梯子で上へ。光源は一つだけある蛍光灯のみで、部屋は薄暗く、空気の流れはあまりない。天井、壁、床に至るまでコンクリートがむき出しのままだ。その面に囲われた箱の中、中央に三人は立っている。面積は事務所と同じのはずだが、家具家電が無い分かなり広く感じる。これもまた無機質なコンクリの柱だけが圧迫感を与えてくる。訝しげに部屋を見回すユヅキちゃん、大あくびをかます高浪さんを一瞥すると、俺は咳払いをした。

「えー、それでは、第一回実証実験を行いたいと思います。いえーい。司会はわたくし、白澤才樹でございまっす」

 さっそく温かい歓声を頂く。

「眠いんだよ早くしろよ」

「ふざけてないで進めて」

 再び、咳払い。

「……まずは仮説の確認をしたいんだ。俺の感性の正しさを証明すべく、三日前と同じ状況を作ろうと思う」

「仮説?」

「ユヅキちゃんの存在が、怪物に与える作用の有無さ。つまり」

 人差し指を床に向け、

「ここで怪物に変身する」

「え、危なくね?」

 高浪さんが危険とは程遠いような気の抜けた調子で言った。

 非難も想定の内だ。危険は重々承知の上。

「ユヅキちゃん、あの時見た俺の身長はどれくらいだった?」

 考えるような間の後、「四メートルくらいかな。暗かったから定かじゃないけど」

「ちょい待ち。四メートルのバケモンだろ?もしユヅキがなんも関係なかったら、そのバケモンの隣にいる俺らはどうなるんだ」

「…………」

 上ってきた穴を見て、

「頑張って逃げてください」自己責任で、とサムズアップ。

「んなアホな」

 往生際の悪い高浪さんと押し問答をしていると、ユヅキちゃんが意志に満ちた目で俺を見た。

「……やりたい」

「ええ?」

 高浪さんは情けない顔をする。

「あなたを見たとき、わたしもなにか感じた。もう一度確かめたい」

「ええー?」

 ……心の強い人だ。答えて、俺は言った。

「いい覚悟だね。どんな結果でも君は受け入れられる?」

「ここまで知ったんだもの。後戻りはしない」

 さっきから情けない高浪さんが逃げようとする。

「俺は必要ないよな」

「ダメです。居てください」

「うう」

 それでは。

「検証するのは、怪物の制御の可否です。仮説は、『ユヅキちゃんが近くにいると、俺は怪物の体のまま意識を保てる』ということ。これが成功すれば、俺たちの目指す平和へ大きく近づきます。大義のために、いざ!」

 神妙な面持ちで聞く二人に、宣言する。

「寝ます」

「……どうぞ」

 許可を頂けたので、手近な柱に背をつけてずるずると腰を下ろす。溜まった眠気に早くもまどろんできた。寝ようと思って寝るのは久しぶりのことだな、と視界が暗くなる直前に思った。


      B


 柱に背を預け座ったサイキは、ものの数秒としない間に寝息を立て始めた。彼は本当に怪物に変身するのだろうか。そしてわたしの存在が、人を殺すほどの大きな力を押さえられるのか。

 サイキから少し離れ、わたしの隣で見守る高浪さんの表情にも緊張が窺える。もし失敗すれば、わたしたちは為すすべなく殺されるだろう。知らず、動悸が激しくなる。

 この目で見ているのだ。あの脅威を。禍々しいまでの野性の力を。

 すると、寝ていたはずのサイキがゆっくりと立ち上がる。糸で吊られた人形のように左右にゆらり、ゆらり。なにが起きたのかと訝るより先に、目を疑う事象が続く。

 サイキが影になってしまったのだ。いや、なってしまったように見えるほどに、足からズボン、手や服、顔までもが深い黒に覆われる。

 間もなく、影が肥大化し始める。みるみる背丈は伸び、不自然に体のパーツも拡大される。人の形のまま大きくなるのかと思えば、妙に手指が長く伸びていった。顔の形状も変化が見られる。それは、あの夜にわたしを助けた、あの羊そのままだった。

「マジかよ」

 高浪さんが掠れた声で漏らす。わたしは呼吸をするのも忘れ、まるで色彩を排除したその生き物を見上げた。

 百六十四センチメートルのわたしと身長は大差ないと思っていたサイキが、今や四メートルにもなろうか。全身漆黒としか言いようがない。ヒト型二足歩行で、人間らしい足の形だけど、ヒトの面影はそれのみ。その脚も短めの黒い毛がびっしりと埋め尽くす。毛は、筋肉質な男性の上半身を思わせる胴、頼もしい太さの腕も覆う。印象的なのはその腕の先だった。本来指があるべき場所に、刀のような五本の爪。そう、まるで指が無いのだ。根元から縦に伸びる、光さえ染みるような濃黒の刃。長さはわたしの肩から指先くらい。中ほどで掌側に狭角度で折れ曲がっていて、切っ先の鋭さは万物を貫き通しそうなほどだ。そして、背中から肩、首回りと頭を羊らしい縮れた毛に包まれている。そこから突き出す長い顔に、金色の目が光った。

 冷厳さに似たプレッシャーを迸らせながら、怪物はわたしたちを見据える。

「サイキ……なの?」

 わたしの問いかけに、その生物はわずかな間を持って、


「あ、上手くいったみたいだね」という、実に軽い感想を述べた。


 力が抜けてしまった。

「……っかー、ひやひやしたぜ」

「ほんとに、ヒトが変身するなんて……」

 人間が、巨大な怪物へ変貌を遂げた。展開された事実は屈折しようが無く、信じるよりほかないだろう。

 羊面の怪物、もといサイキは、人間の時と変わらぬ調子で冗談を飛ばした。

「ともあれ、背が伸びたのは嬉しいことだね。二人が小さく見えるよ」

      A


 天井が近い。その感慨にただただ打ち震える。

「で、どんな感じだ」

 安心した様子で寄ってきた高浪さんが訊いてくる。

「不思議な感覚ですね。でも違和感はないというか、自分の体と変わらない」

 とりあえず指を動かしてみて気づく。これは爪なのか。刀のような鋭い爪が指の代わりにシャキシャキと握り開きを繰り返す。

「危険だなあ。もしかしてこれで今まで人を殺してたのかな?」

 俺の自嘲気味なジョークにユヅキちゃんが軽く眉根を寄せた。不謹慎な物言いを咎めようとしたのか彼女は口を開きかけるが、思い直したように下唇を噛んだ。

 連日の睡眠不足のおかげで慢性的に俺を悩ませてきた頭痛もすっかり消え、代わりに脊柱が冷え冷えとするほどのパワーがみなぎっている。

「自分の姿を見てみたいんだけど、無理だろうね」

「どうして?」

「カメラ持ってる?」

 俺は携帯のカメラ機能を使ってほしいという意味合いで言ったのだが、彼女は本当にブレザーのポケットからデジカメを取り出した。

「……持ってるとは思わなかったな」

「え、カメラでいいんでしょう?」

「携帯で足りると思ったんだけど……まあいいや、撮ってみて」

 ユヅキちゃんはカメラを構える。俺はダブルピースを構える。フラッシュ、そして。

「あれ?」画像確認をしたユヅキちゃんが眉を寄せ、

「おいおい……」画面を横から覗いた高浪さんは呟く。

 そう。恐らくこの体は、

「カメラに映らない……?」

「どういう原理か知らないけど、そうらしいんだよね。たぶん鏡にも映らない」

 光学的に、なのか、はたまたこれほどの超常現象には理屈はつけられず、かの有名な吸血鬼のような体質なのか。いずれにせよ普通のことではないことは確かだ。

「そいつぁすげえな。隠密活動にうってつけじゃねえか」

「闇に紛れて人を殺すためには、必要なことなのかもしれませんね」

 ユヅキちゃんが頭を抱えて首を左右に振った。

「……もうだめ。人智を越えすぎてて理解が追いつかないし、普通に巨大生物と会話できてる自分もよくわからなくなってきた」

 俺は両手の人差し指を互いに打ち合わせてかちかち鳴らし、本来確認すべき主題に話を戻す。

「深く考えないほうがいいね。ともかく目的は達成されたよ。この力があれば、世界を変えられる。……俺たちの最終的な狙いは、『世論の変革』なんだ」

「世界の……?」

 高浪さんがいつも通りの眠たそうな顔で説明をする。

「俺たち怪物について、世間でもいろいろ言われてるだろ?安全のために積極的に狩るべきだとか、捕まえて調べ上げろだとか。どちらにせよ正体がバレたら、普通の人間としちゃ生きられねえ」

 この数日間で、情報社会では大きな議論が巻き起こった。匿名の会議室の中では誰もが過激だ。邪推ではあろうが、『怪物は人間ではないか』という意見も出て、「荒唐無稽だ」と理性派を名乗るネットユーザーに叩かれてもいる。が、それは外れてはいない。

「でも、それなら」と、ユヅキちゃんが張り詰めたように言う。

「怪物の正体が人間だとわかったら、警察とかも、それなりの措置を取ってくれるはずじゃ」

 これまた平和的なご意見だが、現実は甘くは無いのだ。

「それは無いね。そんなことが民衆に知れたら大パニックだ。事実は秘匿され、害悪は処分される……たとえ元がどんな善人であろうが、殺されるってことさ」

「そんな……」

 彼女の目に浮かぶのは、俺たちへの憐れみか、酷薄な事実への恐怖か。

 高浪さんが拳を握ったのに気づいた。

「ただ生きてるだけってのに、殺されるのは御免だ」

「俺たちも、どうしてこんな体になったのかわからない。そんな同族たちが世界中で増え続けてる。人々は自分の命のために悪を排除することをためらいはしない。だから、変えるのさ」

 人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である。

 殺人者という相対的な悪でも、振る舞いや努力次第では相対的正義に成り得る。

「怪物になってしまった人を、仲間に引き入れる。人を殺さない方法を考えるんだ。人助けをして、怪物の存在を正しいものと位置付ける。組織が大きくなったら、世間に俺たちの現状を訴えるのさ。俺たちも、被害者なのだと」

「そのために、わたしが必要ってこと?」

「無理に、とは言わないけど。できれば君にも俺たちの会社に入ってほしいな」

 ……彼女は聡明で冷静だ。自分の何倍もある、人を殺す怪物を前にして、おびえる様子はまるでない。見たものを現実として受容する知性を備えているのだろう。

 でも、――俺の卑劣さには勝てない。これまでのやり取りで、俺たちは『困った人』であると刷り込んだ。そして、ユヅキちゃんはそんな人を放っておけないタイプだろう。断ることはできないように仕向けた。

俺はなんと最低な男か。あまりの醜さに笑い出してしまいそうだ。もし心中が見た目に反映されるのならば、このおぞましい姿はお似合いだ。

……そうは思っているのに、この息苦しさはなんだ。汚くて当たり前だ。俺は悪人なのだからと、自覚、しているのに。


 どうして世界は、俺を正しく生きさせてはくれないのだろうか。


「わたしにできることがあるなら、それをしたい」

 ユヅキちゃんの声に、意識が戻される。

「あなたに助けられたことも、苦しんでいる人がいることも、無かったことにはしたくない。だから」

 その言葉に、俺は偽りの笑顔を浮かべた。羊面で笑えるのかは知らないが。

「ありがとう!歓迎するよ、ユヅキちゃん」


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