5・まじめなひと
A
相手に伝えたいことがあるとき、話を効率よく進めるためには、相手が知りたいであろう深奥に届く言葉で話をスタートしろ、となにかで読んだ覚えがある。なので俺は、まず彼女の大きな黒い眼を見つめてこう言った。
「あの夜君が見た怪物は、俺だよ」
まず彼女のとった反応に俺は満足した。すなわち、驚愕に目を見開いたのだ。まあ予想に違わない。
「そんな、なにを」
「落ち着いて聞いてね。……あの怪物は、人間が変身したものなんだ。変身の条件は、夜に睡眠状態に入ること。原因は分かっていない。ただ、これまで普通に暮らしてきた人が突然そのような体質になって、毎晩の殺人行為によって連続殺人事件として世間を賑わせている事は間違いない。君が見たのは変身した俺だ」
切れ目なく言葉を垂れ流す。狙い通り彼女は慌て、先ほどまでのぎこちない敬語が外れた。
「嘘でしょ?あれが人間だっていうの?それに、あなたが……」
「本当さ。元々は人間だったと言うべきかな。今はどうかわからない。昼間は人間の姿をしていて、夜眠るとあのような羊型の怪物になる」
高浪さんも自ら付け加える。
「俺もこいつと同じ、その『怪物』ってやつだ」
女の子はしばらく考えるようなそぶりを見せると、おもむろに反論する。
「第一に、非科学的すぎる。ヒトは変身なんかしない。第二に、もしそれが本当だとして、わたしに話してどうするの?ニュースでは『あの怪物は無差別に人を殺している』と言われてる。殺人者であることを告白して、警察に通報されることは考えないの?こんな妄言、取り合ってくれるかもわからないけど」
俺はさらに満足する。実に論理的で理性的なお答えだ。
「冷静だね。話が進めやすくて助かるよ」
俺の褒め言葉にも、彼女は形の良い眉を寄せたままだ。軽く息を吐く。
「信じられないのも当たり前かな。俺も最初は受け入れがたかった。人を殺す怪物になってしまったなんてね。それじゃあ逆に聞くけど」
一呼吸ののち、
「これが嘘であるとすると、俺たちにはなんのメリットがあるのかな?君は、俺が三日前の女性殺害事件にかかわりがあると思ってついてきたんだよね。見ず知らずの男に。危険だよ。なにをされるかわからない。そのリスクを認識したうえで、いや、自分に危害が及ぶような事態ではないと判断して、ここにいる。実際こちらもそんなつもりはない。こんな大がかりなことをして君を騙しても面白くもなんともない」
「でもお前、ひとだまくらかすの得意じゃねえか」と揶揄する高浪さんの言葉を、
「それはそうですが……」と一度認め、「今は口をはさまないで下さい」
「わかったよ」
「――そして君にはなんらかの確信がある」
彼女は目線を左下に外してぽつりと言った。曰く、
「ヒトの言葉を喋ったのを聞いた。たぶん、わたしだけ。信じられなかったけど、もしあれがあなたなら」
そして、
「命を、助けられたことになる」
「…………」
俺は目を丸くする。おそらく高浪さんもであろう。
確かに昨日の事件は、そのような構図に見えなくはなかった。しかしどちらかと言えば、二体の凶暴な怪物の縄張り争いに巻き込まれた、と見るほうが『人間らしい』のではなかろうか。その視点を差し置いて助けられたとは。つまり、恩を返しに?
「……それだけ?」
顔を伏せたまま彼女は頷く。
「えーと、なんというか……」
牛乳に口をつける。中途半端にぬるい。買ったばかりなので勝手がわからず、冷蔵庫の冷却機能が活用できていない。設定温度を下げよう。それはともかく彼女に言う。
「……律儀だねえ」
「わ、悪い?」
「いや……」
忍び笑いが聞こえる。高浪さんだ。俺もつられて笑い出す。笑い声はだんだん大きくなり、ついに二人で腹を抱えて大笑いした。人助けはするものである。
B
笑いはようやく収まったようで、ふたりは疲れたように大げさに呼吸をしていた。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかって、じっと俯いていることしかできなかったけれど、笑われることをそんなに悪い気はしなかった。落ち着いたのを見計らって訊いた。
「そんなに可笑しいの?」
「いや、ごめん。真面目だなと思って」……理由にならない。高浪さんも、
「俺とサイキもそんなに長い付き合いじゃねえがよ。どっちも不真面目なもんだから、それに慣れすぎちまって新鮮なんだよ。サイキに何回かからかわれただろ?こういう奴なんだ」
まあ、否定はしない。ところで、
「あの、名前」
「ああ、確かにこいつが胡散臭いって話はしたが、どっちもホントに本名だぞ。免許証見るか?」
「いえ、そうではなく、まだわたしが名乗ってないので」
「あ、そうだったね」
偽ることなく。
「米原優月。米の原っぱに、優しい月と書きます」
サイキがホワイトボードにペンを走らせる。
「こうかな?」
『白澤才樹』の下に『米原優月』の文字。そしてサイキが横目で高浪さんを見る。
「なんだよ。……俺も書けってか?」
『高浪健介』が加わる。それを見てサイキは満足そうに頷いた。
「これで良し。それでは改めて。サイキでいいよ。よろしくね、ユヅキちゃん」
遠慮なくわたしを名前呼びしたサイキは、歓迎の微笑みを浮かべた。
ならばわたしも、遠慮の必要はないだろう。
サイキが同じ高校一年だとは思わなかった。童顔なのでてっきり中学生かと。しかし学校には行っていないらしい。怪物であることを自覚してから家族とも連絡を断絶し、現在行方不明者として扱われているそうだ。高浪さんも同様で、『目的のために都合がいいから』らしい。
「じゃあ、今の仕事は?」
「ペテン師」サイキは真面目ともおふざけとも取れない無表情で言った。
気を取り直して、「あの夜のサイキは……」
「爪の長いほう」
それなら、「もう片方は、高浪さんですか?」
高浪さんは手をひらひら振った。
「違う違う、それは俺じゃねえよ。お前を襲ったってのは、別のやつだ」
わたしは眉根を寄せる。事態が呑み込めない。
「ある程度は説明すべきかもね。――近頃の連続殺人のことは耳に入ってる?」
頷く。
「犯人は未だ捕まらず、被害者は増え続けるばかり……それも当たり前か、罪びとはなにも知らずに眠る隣人なのだから」
サイキは舞台役者のような口調でそう言った。
「隣人?」「たとえ話さ」
わたしは腕を組んで、顎を指先で揉んだ。
「眠った人間が怪物に変身する……本当のことなの?」
「地球上すべての人間が例外なく、というわけじゃない。その証拠に君は違うだろう?」
自覚が無いだけかも、という可能性は言わないでおく。人は誰でも凶暴な怪物になりうる、という比喩的な話を思い出したからだ。
「しかし、その化け物が増えているのは事実。被害者が日ごとに、比例的に増加しているのが事実だからね」
高浪さんが鬱陶しそうに顔をしかめた。「要するに、バケモンになっちまう人間が増えてるってことだろ?」
サイキは首肯ののち、眼鏡の位置をを指で直した。
「ユヅキちゃんをここに連れてきた目的を伝えてなかったね。これは、俺たちが目指すものに直結する可能性があることなんだ」
「目指すもの?」
「そう。怪物になってしまっている人間のほとんどは、無自覚に夜毎、人を殺してる。これは、怪物に変身しているとき、人間としての意識は眠っているからなんだ」
恐ろしいことだ。そうなるとわたしがサイキを追っていたことは割合に危険だったのか。高浪さんがホワイトボードに羊の顔と、そこから尾を引いた丸いものが上っていく絵を描く。もしかして羊は怪物で、丸いものは霊魂でも表しているのだろうか。しかし、
「でも、それだと説明がつかない。あの夜、あなたは喋ったじゃない」
「それなんだ。あの時は怪物の体でありながら、俺の意識は保たれていた。これまでそんなことは無かったのに、なぜか」
霊魂の絵がクリーナーで消され、代わりに羊に眼鏡がかけられる。眼鏡でサイキを表しているのだ。
「その原因がわたしにあると?」
「可能性さ。君が近くにいると、俺の人としての意識が怪物の状態でも存在できるかも、と」
ホワイトボードにはポニーテールの人の顔。あれはわたしか。羊と両矢印で繋がれる。
「どうしてそんな突飛な考えに」
そこで彼は、歯切れが悪くなった。
「……根拠は無いんだけど、いいかな」
首肯して先を促す。サイキは言いにくそうに、
「君を見たとき、こう、衝撃のようなものを感じたんだ」
「……は?」
わたしは目をしばたたき、それから呆れた声を出した。
「ビビッと来たっていうか……」
「愛の告白にしても、古すぎるぜ」高浪さんがからかうような声を上げた。
サイキは薄く笑い、
「もし俺が告白するとしたら、もう少しマシな言葉を選びますよ」
直感でわたしをここまで連れてきたと?わたしは、「非論理的」とサイキを睨んだ。
「科学の次は論理ときたか。手厳しいね。そうじゃなくて、今のところそれしかすがるものがないんだよ」
「呆れた。わたしが近くにいれば人を殺さずに済む、と?それにそもそも、寝なければ怪物にならないんでしょう?だったら寝なければいいんじゃない」
ところがサイキは自嘲気味な笑みでこの案を却下した。
「一晩中、それも毎日、ね。一か月前からこの体質になったんだけれども、その手でやってきたさ。……死ぬ方がマシなほど辛いよ」
「な、なら昼の間に寝れば」
「それはできないんだ。実は……」
と、ここでサイキは急に口をつぐむ。片手で頭を押さえゆるゆると首を振った。
「来た」
「今日もまたこれか……」
見ると高浪さんも一段と疲れたような表情をしている。
「どうしたんですか?」
サイキがこれに答える。
「日暮れだよ。ここから『夜』だ。ちょうどいいから、試してみようか」