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Straysheep  作者: ジョニー
2/11

1・睡魔

      B


 ホームルームが終わったばかりの放課後の教室は、今日もまたそれぞれの目的を持つ生徒で賑わっていた。部活動へ向かう人、補習に呼び出されてしまった人、級友との会話の輪の中で、明るく笑いあう人。わたしはそのどれでもない。部活動には入っていないし、補習の呼び出しをくらうような成績に甘んじているのであれば、母から雷を落とされる。

「ねえねえ、優月ちゃん」

 学校に居残る理由もなく、スクールバッグに教科書を詰め、さて帰ろうかというところで、誰かに声をかけられた。

「この後って予定ある?」

 そう訊いてくるのは、クラスメイトの女子二人。声の主が千原さんで、その後ろが中村さん、だった気がする。

「え、ええと」

 高校一年も十月となれば、さすがに同級生に気後れはしなくなる。それでも、いつでもどこでもよく話す友人がいないというのもまた事実だった。なので、特に接点のない二人が話しかけてきてくれたのには驚いた。わたしの家族構成という事情もあって、お高くとまっているとは思われないまでも、そこになんとなく気を遣われているような、そんな気がしていた。芸能人の娘だからといって、何だというのだろう。わたしはこうして、何気ないように話しかけられたことが嬉しかった。

「予定、というと?」

 千原さんは笑顔でこう言った。

「あのね、これから駅前で遊ぼうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」

 ニコニコと笑いかけてくる。さらに言うことには、

「それに今、そこに北川(きたがわ)(れん)くんが来てるらしいの!ツイッターで見てさー」

 興奮が抑えきれないらしい。今にも小躍りしそうな様子で教えてくれる。しかし、

 ……誰だろう?それは。若い男性のアイドルか俳優なのだろうけど、あいにくそちらの方面には疎いのだ。

 そして、芸能人の名前が登場したことに、わたしは戸惑いを覚える。

 彼女たちは、クラスでも発言力があり、不可視の階層概念の上層に位置する中心的存在。例えば、わたしが興味のない目でそのアイドルの何某君を見ていたとしたら、彼女らはこんなことを言うのではなかろうか。『北川君にお目にかかれるというのに、そんな生意気な態度を取るなんて。自分は家で芸能人は見慣れてるから下らないとでも言いたいのッ?』そしてネットを媒介して恐ろしい速度で伝播していく、その生意気な女の悪名。正直に言って他人と関わることすら、現代では躊躇を禁じ得ない。

「……お誘いは嬉しいけど」

 断ろう。予定はないけど。

 二人は明らかに残念そうな顔をしたが、すぐに慌ててこう取り繕った。

「そ、そうだよね。忙しいよね、ごめんね?」

 わたしは首を横に振る。

「ううん、誘ってくれてありがとう。また何かの機会があったら」

「うん、また今度ね」

 千原さんと中村さんは、どこかへ行ってしまった。わたしも何だかいたたまれなくなって、すぐに教室を、学校を出た。そして後悔する。二人はわたしを気遣ってくれた。こちらが勝手に思ったように心無い人間などではなかったのだ。

 気後れしていないなんて、嘘だ。家への帰路で、ため息をつく。まず友達からの遊びの誘いなんてそうそう無いし、仲の良い人もいない。仲の悪い人がいるということでもないのだけれど。

 聖沢(せいたく)学園(がくえん)は、私立の高等学校だ。柴村市のなかでも偏差値が高く、進学率の高さを毎年の受験生を呼び集める広告にしている。母もそれに引き寄せられたくちで、例によってわたしの高校はここに決められた。不満があるわけじゃない。上位校だからか、素行の悪い人はほとんどいないし、いじめなんてわたしの見える範囲では、ない。

 でも、母に連れられてきたこの場所は、何だか、自分のいる場所ではないような気がする。

「……本屋にでも行こうかな」

 顔見知りには会わない、少し遠い場所にある本屋に。


      A


 胡蝶の夢を見ているにしては、日中の意識は必要以上に明瞭だ。本物の自分は昼の姿か、はたまた寝ているときのものか。

 十月に入り、気温は過ごしやすいものへと変わっていく。ひつじ雲に被った太陽の光の残滓が、古ぼけたビルの壁を薄く光らせている。街を一人、俺はジーンズのポケットに手を突っ込みながらぶらりぶらりと散歩する。片側一車線の道路には、車がひっきりなしに行き交い、そこから伺える世間のせわしなさは、自分の置かれた窮状とはまったく色が違って見えた。

 俺が「普通」で無くなってしまってから、ほぼ一か月の月日が経った。普通でないがゆえにここ数日は寝ておらず、正確に数えれば、ひいふうみい……なんと、五日も睡眠しない夜が続いている。白澤才樹、誕生以来の新記録かもしれない。

「ちょっと、今夜はやばいかもね」

 口の中で呟く。これも症状の一つなのか、昼間はまったく眠気には襲われない。そして、そのツケを補うかのように、夜は地獄になる。異常と言えるまでの睡眠欲求が、太陽が出るまで苛み、頭がおかしくなりそうになる。乗り切る方法は、最終手段は存在するが、その実行もまた苦痛なのだ。さらに具合の悪くなることに、夏の終わりよりも秋の始まりのほうが夜は長いのだ。そのぶん睡魔に苦しめられる時間も増えていく。

 今夜高浪(たかなみ)さんは仕事で、ジョニーさんも今、遠出してしまっている。俺が眠りに落ちるのを止めてくれる人はいない。夜通し外を歩き続けて眠気を紛らわす、という手段も出来なくはない。しかしうっかりくらっと来て、人の目がある路上で倒れでもしたら?正体がバレてしまう。

 ……そして、その近くにいる無関係な人間の命を、俺は、

 拒否反応だけが脳内を埋め尽くす。絶対に、嫌だ。諦めたくない。クズに逆戻りするのは嫌なんだ。

 あの人を――恩人を殺した最低のクズには。

 ……今はもう、暗くなるようなことは考えたくなかった。とりあえずは今夜を、なんとか乗り切らなければ。

 ふと顔を上げると、コンビニの隣にある、小さな本屋が目に触れた。


      B


 誰も気づかないような棚の、趣味・実用書コーナーの前で、かれこれ十五分は悩んでいる。

 題名で目につくのは、『カメラ』という言葉。幼少の折、家の押し入れに小さなデジタルカメラを見つけて、家族に訊いても所有者は判明しなかったので、なんとなくわたしの物になったのだ。そこから軽い趣味程度に、写真を撮るようになった。

 特に迷っている一冊は、さっき中身を見てみたもの。わたしがよく撮る風景の撮影法が事細かに記されていた。例示の写真も多くてわかりやすい。腕に自信はないけれど、これを読めば自己満足が出来る程度の写真は撮れるようになる気がする。いや、なりたい。

 よし、買おう。腰の高さの台に整然と並べられた内の一冊を手に取ろうとしたところで、視界の隅から別の手が伸びてきた。たまたまその人も同じものを取ろうとしていたようで、わたしともう一人の、二つの手が空中で止まった。

 すぐ隣にいた彼の、眼鏡の奥の目とばっちり視線がぶつかった。

 グレーのパーカーを着た、若い男の人。急のことで手を引くことも出来ず固まっているわたしに、その人は笑いかけてきた。

「やあ、すみません」

「あ、こちらこそ」

 眼鏡の彼は本に目を落とすと、

「ちょっと見ようとしただけですので、お気になさらず。……はい、どうぞ」

 それを取り手渡してくれた。

「あ、ありがとうございます」

「お気遣いなく。それでは」

 そう言ってその人は元から手にしていた一冊を持って、レジに向かっていった。優しくて紳士的な人だったのに、わたしの対応の拙さは恥ずべき程だ。もしかして駆け寄ってお礼を重ねたほうがいいのだろうか。

 それに、なんだろう。……この、言い表せないような感覚は。彼を見たとき、言い知れぬ感情が湧き上がってきた。

 すでに会計を済ませたらしく、その人はレジの前にはいなかった。わたしはしばらくその場所に、呆然として立ったままでいた。


      A


「ぐ…………あ……っ!」

 帰って来て、水でも飲もうかと立ち上がったところで、一瞬視界が暗転して、限界が近づいていることを感じた。

 一人きりの事務所で、俺は猛威的な眠気に襲われていた。やはり無理なのか、と諦念が朦朧とした意識の隙間を見え隠れする。

「嫌だ……!」

 寝たらおしまいだ。あの方法……ナイフでなくてもいい、何か、何か代わりになるものを!

 事務机の上のペン立てが目に入る。右手は頭を強くおさえ、左手はふらつく体を支える杖として、壁につき机につき、何とか目標物までたどり着く。

 が、そこで終わりだった。一段と強い波が精神を吹き飛ばし、目測を誤ってペン立てに手をぶつけて机から落としてしまった。それを追うように俺の体も床に倒れ伏す。甲高い音が頭のあたりで聞こえて、俺の求めた『先端の尖ったペン』は遠くに転がってしまったのだと知った。

床に頭を打ちつけようと腕に力を込めるも、糸が切れた操り人形のようにべしゃりと横っ面を接するにとどまってしまった。

 その衝撃で眼鏡がずれ、薄目のぼやける視界にフレームの一部が映る。

 眠い。

 そのシンプルな欲求が、自我を支配する。

 睡魔に負けたまま、いっそ眠り続けて死んでしまえればいいのに。


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