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Straysheep  作者: ジョニー
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9・眠る道化

「へっ……」

 上に戻ると、高浪さんが妙な声を漏らしつつ天井を仰いでいた。どうかしましたかと問う前に事情を察する。くしゃみが出そうなのだ。社会常識に則り温かく見守る。

「へっ、へえっくしょいぃ!うえ~い」

「風邪ですか?」とユヅキちゃんがティッシュの箱を手渡す。それさっき俺に投げたやつ。

「そうみてえだな。あんま寝てねえからかもしんねえな」

「あるんですねそんなこと。馬鹿はナントカを引かないって言うのに」

「伏せる部分間違えてるぞ」

「気のせいです」

 高浪さんは休憩室の扉に付けられた鏡を覗いて、「うわっ、顔もひでえな。寝不足だからか」

「元からです」

「黙ってろい」

 気の抜けたやり取りを静観していたユヅキちゃんが、呆れた目で俺を見た。

「どうしてそんななんでもないふうに他人を罵倒できるんだか……」

 間違った認識を持たれそうなので訂正しておく。

「そんなことないさ!普段の俺は慈愛と優しさに満ちているけど、高浪さんには別」

「どうだか。わたしにも色々言ってくるじゃない」と、彼女は腕を組む。

「俺を特別扱いなのも大概だろ」と、風邪を引いたらしいナントカさんが抗議する。

まあ、その話は置いておこう。すでに日は落ちている。

「そろそろ第二回の実証実験を始めたいところだけど、その前に話したいことがあるんだ。いいかな」


 ノートパソコンに保存しておいた動画ファイルを開く。読み込みの後、再生が始まった。

 机の上で三人、顔を並べてモニターを見る。

「これは?」

「一か月前の俺の部屋だよ。寝るときにカメラを設置して、録画してみたんだ」

 部屋全体が撮影できるように天井の隅にビデオカメラを取り付け、撮影に支障が出ないように部屋の照明は明るい。右奥にはベッド、左奥にはベランダにつながる窓。

「お前の部屋、殺風景だな……」

「そうですか?わたしの部屋とあんまり変わらない気が……」

 女の子の部屋がこんなに殺風景なものだろうか。真偽はどうであれ、

「見えないところに物はありますよ」

「ほほう」高浪さんが意味ありげにニヤニヤして、「なにを隠しているのかな?」

 またこの人は下らないことを。どう返したものかと黙っていると、ユヅキちゃんが言った。

「怪しいですよね、サイキって。さっきもジョニーさんと意味ありげな事話してたし……。裏で犯罪まがいのことでもしてたんじゃないの?」

 俺と高浪さんはきょとんとした。論点にズレがあるような気がする。高浪さんの言ったことは下衆の勘繰りで間違いないだろうけど……犯罪まがい?アダルトなブックスを隠匿しているのがそんなに危険だろうか。もちろん、断じてそんなものは所持していなかったが。

 違和感の正体はすぐにわかった。この子はこういう会話に慣れていないのだ。

 高浪さんに目配せする。彼の表情の曰く、『お前が言えよ』

答えて、『嫌ですよ。また怒られます』『今更だろ』『今更ですかね』

「なに?ホントに後ろめたいことでもあるの?」

 蚊帳の外にされた彼女が不満そうに口をとがらせて、俺に詰め寄ってきた。やはり俺なのか。

「違うよ、ユヅキちゃん。高浪さんが言いたかったのは……」

 世の中には閲覧に年齢制限のある資料が存在することをお教えすることに始まり、人類におけるオスの(さが)を迂遠に慎重に言葉を選んで話した。

 ブラウスの襟元から見える白い肌から頭のてっぺんまでみるみる赤くなっていく。うわお、面白い。自分が訊こうとしていたことの危うさを知ったのか、目を伏せて「そう、なんだ」と誤魔化す魂胆が見え見えの呟きでことを終わらせようとする。

 しかしこんな表情を見せられて、いじめずにいられようか。

「それで?」

「え?」

「君はなにを知りたかったんだっけ?」

「……っ」

「もう一度言ってくれたら教えてあげないこともないなあ?」

 思えば適切な行動選択ではなかった。拳を固められなかっただけ感謝すべきかもしれない。

「……このっ、変態‼」


「一晩中撮ってみれば、証拠が見つかるかもしれないかと思ったんだ」

 粛々と進行しようとするのに、高浪さんがピンポイントで傷を抉ってくる。

「お、変態がベッドに入ったぞ」

「……」

 変態とまでの痛罵を浴びせられるとは予想だにしなかった。少しふざけただけじゃないか。

「さあ、変態さんが寝るのを待ちましょう」

「……」

 じとりとユヅキちゃんに睨まれる。うん、俺が悪いのかもしれないね。

 ともかく、この動画には変身する瞬間が収められている。テーブルの正面のソファに俺とユヅキちゃんが座り、背もたれの後ろで高浪さんが見ている。画面の中では、ベッドに仰向けになった俺が身じろぎもせずにいる。

「………………」

 変身の瞬間を、二人は固唾を飲んで見守る。俺は動画の内容を知っているのでなんとも言えない気分。

「………………」

 時計の音と、隣に座るユヅキちゃんの呼吸音だけが耳に届く。動画の進行を表すカーソルが左から右に平行移動するのを、寝ぼけ眼で見つめている。

「……おい」

 高浪さんが沈黙を破った。

「はい」

「寝ろよ……」

 実に的を射た指摘だ。画面の俺は一向に寝る気配が無い。

「いや、なんかカメラが回ってると思うとソワソワしちゃって」

 画面の中の俺はゴロゴロと寝返りをうって落ち着かない。

「なら初めから飛ばしなさいよ」

「見たくないの? 俺が眠りに絡めとられるまでのコケティッシュな過程を」

「……もっかい叩かれたい?」

 すっ……、とユヅキちゃんの平手が用意される。

「冗談さ」左頬はまだひりひりする。

 睡眠薬を飲み、ベッドに戻ったところまで飛ばして再開。

 動画が静かになり、俺が眠ったことがわかった。その瞬間上体を起こし、再びベッドから這い出る。

「まだ寝てねえのか」

 ぼやく高浪さんを制止する。

「違います。見ててください」

 緩慢としているが迷いのない足取りで、俺は窓を開けてベランダへ出た。カメラから見える位置で、立ち止まったかと思うと、俺の姿はかき消えた。「嘘!」とユヅキちゃんが目を見開いて、文字通り消えた俺を捜すように顔を動かすのが見えた。

 五分ほど経って、動きがある。今度はベランダに俺が突然現れ、またゆっくりベッドに戻ったのだ。

 動画を停止させると、ユヅキちゃんは「今のはなに?」と訊いてくる。

 質問は予想していたので、淀みなく答えられた。

「怪物の姿がカメラに映らないことは、昨日確認したよね」昨日の俺の『変身』の様子を聞けば、俺の体は影に包まれたように真っ黒になった、と。

「俺の体が変身前に黒くなった時から、ステルスの効果は発動されていたんじゃないかな」

「それもあるけど」彼女は続けて、

「寝ていたんでしょ?」

「そうだよ」

「じゃあ、どうやって歩いたの!」

 おっしゃりたいことはよくわかる。一度完全に眠った俺が、目を覚ましてもいないのに起き上がり、あまつさえ窓のカギを開けて外へ出たのだ。もちろん、この時の記憶は全くない。

 つまり。俺は指先で眼鏡を直した。「……怪物には知能がある。部屋を壊さないように外に出てから変身するために、俺を歩かせたんだ」

 この事実は怪物の恐ろしさを裏付ける。パソコンを閉じて、俺はマーカーペンを持った。

「おそらく、俺の体には二つの意識が宿っている。眠ることがスイッチになって入れ替わり、体を動かす権利を得る」

 ホワイトボードに人体の輪郭を描き、顔の左右に眼鏡と羊の顔を描き加える。

「今ペンを持っているのは、こっち。白澤才樹のほう」眼鏡を丸で囲む。俺の自虐ネタなど意に介さず、「入れ替わった場合は、どうなるの」と先を促してくる。

「羊は寄り道せずに、まっすぐ人を殺しに行ってる。この時の獲物が単数か複数かはわからないけどね。それを達成すれば、元の持ち主の意識に気づかれないようにベッドに戻っているってわけさ。……あの後、羊における『その夜のノルマ』がクリアされたのか、どう頑張っても眠れなかった。たぶん、『必要がないから』だろうね」

 ユヅキちゃんが膝の上で拳を握り、震える声で尋ねる。

「体の主にも、世間にも知られないように人を殺すことが目的なの?」

「理由の見当はまるでつかないけど」ペンを指の間で回し、

「今ある情報をまとめたら、そんなところかな」

 部屋にしばしの沈黙が流れた。

 俺は自分が気の抜けた調子で話すことを自覚しているが、現実はもっと深刻だったりする。俺や高浪さんのように、ある日突然怪物に変身してしまうようになった人は、その事実がまだ世間に知られていないにせよ、増加している。もし、十人、百人と増える暗殺者が毎晩一人の人間を殺すと仮定すると、犠牲者の数は世界人口の何割となるだろうか。

 一度考えかけてやめた。いくら眼前にホワイトボードがあるからといって、計算を始めるわけにもいかない。

 まあ、最終的な答えは明白だ。『普通の人類』は滅亡するだろう。

 神の手も届かない、原因不明の災厄。残った羊たちは、その後どう生きるのだろうか。

「止めないと」

 誰に対して発せられたのかはわからない。恐らく思ったことが彼女の口をついて出たのだろう。ユヅキちゃんは顔を上げ、眼鏡越しに俺の目を見据えた。

「そんなこと、そのままにしておけない。たとえ小さな力でも、止めるためになにかしないと」

 そう来ると思っていた。

「君がいれば、小さな力は大きなものになる」

 俺はホワイトボードの羊の顔に、不恰好な眼鏡の絵を重ねた。

「君は、世界のために戦ってくれるかい?」

 一人の女の子が、世界に奉仕する存在になる。想像を絶する覚悟と決断が必要だろう。しかし彼女そのものを突き動かす正義感は不安など蹴り倒すだろう。たぶんこの子はそういうふうに出来ているから。

 やがてユヅキちゃんは力強く頷いた。その反応に俺は、「いいね」と笑って見せる。

 ……さて。ペン尻にはめていたキャップを片手で外し、五本の指を使いペン先につけ直す。

「高浪さん、ここで寝ないでください」

「へあっ」

 目を半開きにし、直立姿勢でよだれを垂らしかけていたいい大人が、びくりと体を震わせた。

「せっかく、世界の命運を左右する感動的なやり取りが目の前で行われていたというのに……」

「半分以上聴いてなかった」

 さいですか。

「まあいいです。今日の実験は高浪さんも出番がありますからね」

「うえ、めんどくせえ……」

 そう言って大あくびをし、頭を掻く高浪さんと、なにやら考え込むような顔つきのユヅキちゃんを横目に、俺は思案を巡らせる。

 これでいい。昨日今日で彼女に対する不安要素がだいぶ取り除かれた。『大義のため』という思想を食い込ませれば、警察に俺たちのことをリークする可能性は無くなる。彼女は柔軟な考え方のできる正義感の持ち主だが、それは実に利用しやすい。世界のためなんてお笑いだ。高浪さんは家に置いてきた家族のためだろうが、俺は少なくとも自分が死にたくないからだ。嘘を上手につくコツは、笑顔を惜しまないこと。

 なんと徹底した悪役ぶりか。本当の悪者は、そうであると疑われないことにある。他人をからかう軽薄なスタイルは俺の本質であるにせよ。あの子は反応が面白おかしいのだ。

 さてと。部屋の電気を消し、三階へ向かおうとしたところで軽いめまいが襲った。

「さ、行きましょう。やることはたくさんありますよ」高浪さんの背中を押す。不調に気づかれないように努めて明るく振る舞うが、今度は吐き気を催した。実際に吐きはしなかったが、これはよろしくない。睡眠は人間の活動における根源なのだと改めて思い知る。なにか対処法を講じなければ。


 ……わかっていた。ただ、わかりたくなかった。この不快感は、自己への嫌悪感なのだと。

 俺は悪だ。悪として振る舞うのに、今更なにを迷うことがある?気合いを入れるために両頬をぱちんと叩いたら、ユヅキちゃんに先程叩かれた左頬が少し痛んだ。


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