アラームは要らない
A
当然のように、六時三十分に目が覚めた。
ベッドからむくりと体を起こす。念のためと仕掛けておいた置時計のアラームは、今朝も出番は無かった。寝覚めはいつもすこぶるいいのだ。
寝癖のついた頭を掻きながら階下のリビングへと降りる。綺麗に掃除された階段を、リズムをつけながら踏んでいく。この階段はもとより、二階建てのわが家の清掃担当は、何を隠そう自分一人しかいない。母も父も、東京の職場近くのホテルにほぼ住み込むような形で、毎日お勤めしていることだろう。二人の仕事はよく知らない。というか、興味もない。きっとあの人たちに似合うエリートな職場で、エリートな振る舞いをしているんだろう。そんなわけで両親はあまり家に帰ってこないのだ。兄は……言わずもがな、日々休むことなく遊びほうけている。こちらも他所を泊まり歩いているらしいので、まあほとんど家には帰らない。
朝食も自分で作る。もちろん一人分だ。フライパンが温まるのを待ちながら、キッチンの向こう、テレビの朝のニュースを漫然と眺めている。
自己紹介がてらに人格形成の根幹を示しておく。母は我々兄弟に対して幼い頃から、教育熱心の域をはるかに超えるような苛烈さでしつけにあたった。勉強に加えて精神面でも持論を持ち出し、それが世の真理であるかのように鼻高々に、しかしそんな高慢な心情など表に出さずこう言うのだった。
「世界にはね、能力を持つ人間と持たない人間がいるの。そして、持たない人間の方が圧倒的に多い。だから持つ人間がその能力を最大限に振るうことは、世界を回すために必要なことなのよ」
このありがたいご高説を、兄はふてくされながら、自分はニコニコとさも従順そうな笑顔を浮かべて聞いていた。母はその様子を見て満足そうに笑顔を返し、職場から持ち帰った仕事の片付けに入った。兄には目もくれなかったことを覚えている。
作り笑顔の裏で、自分はこう思っていた。
……下らない。そもそも子供にする話ではない。母は、「あなたは能力を持つわたしの子供なんだから、わたしのように選ばれた者として、能力を振るい続けなさい」そう言いたいのだ。
しかしそれに気づく自分もそんな内心は表に出さず、物わかりのいい息子を演じていた。
母の思うよりも、次男は賢くなりすぎてしまったのだ。嫌な子供である。
反して、兄の頭の出来はどう気をつかっても悪いとしか言えなかった。そんな兄を、両親は容赦なく出来損ないとして扱った。二人は、今どき頭が固いと言えるほどの差別主義なのだ。家庭内での苛烈な風当たりから湧出した、弟への劣等感。うまくいかない自身への歯痒さ。兄を曲げてしまった要因は、思いつく限りではそんなところだろう。だから兄は家に居場所を見出すことを諦め、やけくそのように遊び回っている。彼は逃げたのだ。
手早く朝食を作り終え、一人、食卓につく。メニューはベーコンと目玉焼き、食パン。
長男の、ステータスとしての価値は見限られ、そのぶんの期待も上乗せされた両親の視線は自分に向けられた。それに応えるべく日々勉学にまい進し、その状況は高校一年になった今でも続いている。
こんがりと焼けたベーコンを口に運ぶ。テレビはまだ、見るともなしに見ている。
先日、県立重慶高校の夏季休業は終了し、すぐに迎えた期末試験では、両親を満足させるだけの結果を残すことができた。顔には出していなかったが、点数の記載されたプリントを渡した時の彼らの喜びようと言ったら滑稽で、吹き出すのをこらえるのに必死にならなければいけないレベルだった。なにがおかしいと言えば、それを息子に悟られまいとしていることが息子にバレバレなことだ。
上々だった試験の結果を勇んで親に報告し、それを喜んでもらえる。別段変わったことのない普通の家族の一幕なのに、なぜこんなに歪んでいるのか。
それはおそらく、うちの家族に誰一人としてまともな人間などいないからだ。
食パンを牛乳で流し込む。せっかくの朝食も、さっきから味をあまり感じていない。
そして誰よりも性根が曲がっているのは自分だという自覚もある。
テレビに映るニュースに目が留まった。
『……昨夜二時ごろ、柴村市の住宅街で、「女性が血を流して倒れている」との一一〇番通報がありました。警察が駆けつけたところ、腹部に大きな刃物で切られたような傷のある状態で、七十代の女性が道路に……』
画面の中のアナウンサーの言葉はまだ続いたが、それに被せてひとり言が漏れた。
「驚いたな。すぐ近くじゃないか」
傷害事件など珍しくもなんともないが、まさか住む街で起きたことが報道されるとは。映された凄惨な現場の街並みも見覚えがあるような気がする。さらに流れる文句を聞くに、女性は死亡したらしい。傷害でなく殺人だったようだ。
「ある家族の家庭事情ひとつとっても最悪だっていうのに……いやな世の中になったもんだね」
昨晩亡くなったという見知らぬ誰かに、同じ柴村市民として黙祷。自分はと言えばその時間帯、夜更かしして文庫本を読み終え、作品の余韻に浸りながら眠りについたころだ。いやしかし、物言えば唇寒しなんとやら、だ。家族を嫌っているわけでもないが、いくら心中でも朝っぱらから血縁者をやたらに批評するんじゃなかった。
さて。考え事をしている間に、かなりの時間が過ぎていた。今日も学校に行かねばなるまい。
食器を片付け、テレビも消す。身支度を、特にひどい寝癖を入念に整えた。
「さ、今日も頑張ろう」
ここからは優等生モードだ。親に不満も持たせず、友達付き合いも良好。成績優秀、どこを叩いても埃が出ない、笑顔が武器の高校一年生。
いざ行かんというところで、重大な忘れ物に気がついた。おっといけないこれでは駄目だ、こいつが無けりゃあ完成しない。
なにせ眼鏡は、白澤才樹を形作る、最重要パーツだからだ。
フレームの太い、大きな黒縁眼鏡をかけて、玄関から外に出る。九月初めの朝の陽光を浴びて、これはまだまだ夏の熱気が居座りそうだ、と思った。
B
ピッ、ピッ。実はこの時点で起きるには起きていた。しかしただ目が覚めたというだけで、まだ体を動かす気にはなれない。
ピピッ、ピピッ。電子音の数が増え、時計が主人の目覚めを催促する。ただその主人のわたしとしては、起床の催促はもっと優しくして頂きたい。
ピピピッ、ピピピッ。このような気に障るサウンドを目覚まし時計に組み込んだ設計者を忌々しく思う。本来の目的に沿えば必要なことなんだろうけど。
ピピピピッ、ピピピピッ。ああ、もう諦めよう。他に誰が起こしてくれるでもなし、寝坊からの遅刻でもすれば後で母にどやされる。
ピピピピピピピピピピピピ。
ベッドの隣のサイドボード、デジタルの時刻表示を睨んで、そのボタンを叩いた。うつ伏せだった体を起こして、ごしごしと目をこする。
「んん……」
さっきまでのやかましさはどこへやら、黙りこくった時計を見たら、時刻は七時〇〇分。日にちは、十月三日を表示していた。月曜日。ぼす、と枕へと倒れて顔をうずめる。
「……やっぱり、まだ眠い」
米原優月は、眠い目をこすりながらそうぼやいた。
「あっ……」
卵を割った時、殻の欠片が白身に入ってしまった。箸での救助を試みるも、粘り気の多い荒波に作業は難航し、結局指でつまみ上げた。
茶碗の中で卵をかき回す。まだ朝の眠気が取れず、ぼんやりとテレビ画面を見ている。このテレビ、幅は薄いのに画面がむやみに大きすぎる。いつもテレビに触れるのはわたしだけなので、その迫力を楽しむのは一人で映画を見ているときくらい。広いリビングでテレビの前に座っていると、ふと、空寂とした気持ちに襲われることがある。父も、母も、忙しいのだろう。よくわかっている。……わかっているけれど。
画面に見慣れた顔が映った。タイムリーなことに、母だ。別に驚かない、母が報道陣の前でインタビューを受けている光景など、よくあることだから。
米原留実子。芸名では、笹野かほ。演技派として音にきこえる女優だ。見た目は四十二歳という実年齢よりも七つは若く見える。「人に見られることを常に考えて、その振る舞いには気配りを怠らない」というのが信条だと言っていた。わたしもよく、その教えを守るように指導されたものだ。
今は、これから撮影が始まる映画についての告知イベントに出ているようだ。演技力の高さもさることながら、役者の仕事以外の場面で見せるミステリアスな雰囲気も相まって、かなり有名な部類の芸能人だろう。身内褒めではなく、その評価は客観的な見地からである。記者の問いに、穏やかに笑みをたたえながら受け答えをしている。
しかし母は、家では滅多にその表情を動かさない。柴村は東京のベッドタウンとして十分な地の利があると思うけれど、芸能活動をしている母はそんな移動時間すら惜しみ、東京を拠点と据えて滅多に柴村のこの家には帰らない。たまに家に帰れば、「自分は努力をしていると思った時点で、その人間の努力は足りない。不要な勘違いをしては駄目よ」「将来のことを考えて、夢を見ずに勉強だけをしてなさい」など、厳しさを隠さない言葉でわたしを諭す。わたしを大女優の娘の名に恥じない、優秀な人間に育てたいのだろう。その推測は決して母への反目から来るものではなく、同時に母親として娘を案じる心が彼女にあることもわたしは知っている。
知っている、のだけれど。
教育の成果が出ているのか、高校ではよく、「真面目だね」と評される。成績は悪くないし、非行なんて出来ない、控えめな女子生徒。先生や級友はその表面的な、多数意見に塗り固められた外面を見て真面目と言うのだろうけど、自分ではよくわからない。信じられないくらい間抜けな失敗だってよくするのだ。先刻の卵の殻然り。
ただ、友達の間には、既にある先入観が形成されているから、『真面目』という最も招く語弊が少ない表現が与えられたのだろう。……わたしの母が、ゲイノウジン笹野かほであることを知っているのだ。……そもそもただのクラスメイト程度の淡泊な付き合いの人に、わたしは果たして『友人』であると認識されているのだろうか。
父と母の結婚は、当時メディアで大きく取り上げられたそうだ。父は若い頃、単身警備システム会社を立ち上げ、革新的な戦略でその分野のトップを走る大企業へと成長させた若社長として名を馳せた。らしい。詳しいことは知らない。ともかく、そんな二人のおめでた話は、スクープに飢えたマスコミ各社を黙らせておくはずもない。雑誌新聞、各放送局で、連日報道の嵐だったそうだ。
そんな昔のこと、と気に留めていなかったのがまずかった。昔は昔でも、話題にはなったのだ。何かの拍子に高校のクラスメイトに家族構成がばれてしまい、噂好きの彼らによってそのことは瞬く間に学校中に知れ渡ってしまった。「あの子、女優の笹野かほの娘らしいよ」「え?じゃあお父さんはあの大きな会社の社長?」「すごーい、サラブレッドじゃん」……それ以来、なんとなく友達からは距離を感じずにいられない。もしかすると、嫉妬というかそこからくる無意識の嫌味というか、「そうか、あなたはそういう人だものね」と、ことあるごとに周りに自分を決めつけられるような気がして、わたしのほうから距離を作っていたのかもしれない。
ちなみに父の性格はというと、代表取締役が聞いてあきれる、自己主張という言葉も知らなさそうな気弱な優男だ。春の日のようなのほほんとした人柄は、母の尻に敷かれるために生まれたのではないかと疑うほど。わたしを甘やかすと、いつも母に怒られている。その為か父も家には帰らず、社長の忙しさを理由にわたしに家族サービスが出来ないことをよく謝っている。
……そう、母は恐い。機嫌が悪い時の眼光や佇まいは迫力に満ち満ちている。ただ、いつもそうというわけじゃない。優しい時は優しいし、厳しい時は厳しいのだ。
辛いとは感じない。きょうだいはいないけれど両親はいいひとだし、恵まれた家庭に生まれたと思う。
でも、わかっている。わたしには「自分」がないのだ。
厳しい母の言うとおりに、いつも正しく振る舞って、構ってほしい父親には言いたいことも言えない。高校一年生にして、ませた、悪い意味での大人びた感性しか無くなってしまった。無個性無能力。どこに出しても恥ずかしくない一般ピープル。
「ふう……………」
知らず深いため息が出る。なぜこんなことを再認するために考え事にふけっていたのか自分でもわからない。混ぜすぎた卵をフライパンへと注ぎ、それが音を立てるのをしばらく見守っていた。
テレビのニュースは母の出演する映画から、別の話題に移っていた。ここ最近頻発している、連続殺人事件だ。一か月ほど前から、全国各地で毎晩、人が殺されるのだ。この事件で見るべきものは、解決が追いついていない点。連続殺人なんて、……こう言っては不謹慎だけれど、現代日本でも珍しい事件ではない。でも、それが日本各地の市区町村、果ては離島に至るまで、様々なところで毎晩多発しているのだ。もちろん、それら全てに関連してということは無いけど、犯人は一向に捕まらない。同一犯では不可能、グループ犯行だとしても大規模すぎる。これに乗じた模倣犯がちょこちょこ逮捕されはしたけど、警察も本質は掴めていないようなのだ。
不思議であると同時に少し、寒心する。わたしの住む柴村市でも、犠牲者はいる。知り合いや家族が殺されはしまいか、そんな想像をすると居ても立っても居られなくなる。
興味はある。ただ、嫌な予感がする。首を突っ込んだら良くないことが起こるのではないか。それよりも、わたしが気にするようなことじゃない。誰でもそうあるように、話題を呼んでいることを騒ぎ立てて、それでも自分には被害は及ばないと信じて疑いもしない。一般人ならば、わたしもそんなスタンスでいいのではないか。
でも、それを許さないような誰かの声がする。何かしなければ、なにか、凶悪な殺人犯を見つける手助けになる、わたしに出来うるなにか。
……この感情は、なんなのだろう?わからない。ひとつもわからなかった。自分の行動指標になるような信条も持ち合わせていない。これだから「自分」が無いのだろう。曖昧模糊なわたしは、まるで起き掛けのふわふわとした頭の中のよう。
思考に没入していたわたしの鼻に、焦げたような臭いがふわふわと届く。思わず咳き込み、
「え、あ、きゃあっ!」
みっともない声を上げてしまう。家に誰もいなくてこの悲鳴を聞かれることはなかった幸運を無にする重大事が展開されていた。
フライパンの上で、溶き卵を加熱し続けたまますっかり忘れていたのだ。
幸い大事にはならず、出た被害と言えば焦げた卵焼きを朝食にしなければならないことだけだった。……卵焼きでもないかもしれない。卵焼きのつもりで作っていたのだけれど、煙が出始めたときに焦ってかき回してしまったために、結果としてスクランブルエッグになった。じっくりと燃焼されたスクランブルエッグ。
時間が無いので急いで朝食を済ませ、登校の準備をする。朝の時間はいつもせわしない。寝覚めが悪く、なかなかベッドから出られないので仕方ない。
起きるということは、夢から覚めて、現実を見なければならないということだと思っている。わたしにとっての現実は、母に厳しくされ、進む道を決められて、自分の本心も満足に他人にさらけ出せない、弱いわたしのがんじがらめの牢獄だ。そんな現実を見たくないから、わたしは眠りから覚めたくないのかもしれない。
だからと言って、当座の現実的状況として、学校に行かないわけにもいかない。
いつもの白い髪ゴムで、いつものように後ろ頭の高いところで髪をまとめると、いつものように誰もいない家に「行ってきます」と言い残して家を出た。無駄に大きな玄関ドアが、妙に音高く鳴って閉まったことを覚えている。
今にしてみれば、「まともな現実」の朝は、この日が最後だった。