第7話 告白
うっかり長風呂をしてしまった。
いや、元から風呂に入る時間はかなり長かったんだが、今世では浴槽にお湯を貯めるのも温めるのも人力だから面倒臭くて、貯めた時には前世以上に長くなってしまうのだ。
しかも今日はミリーが貯めてくれたのもあって、そのことに感謝しながらだったから一時間近く入ってしまった。……本当に感謝の念だけだからな? あれから風呂に入る度にアレを思い出してしまうとかそういうのはないからね?
「ごめんごめん、気持ち良くて長湯しちゃ……あれ?」
流石にミリーも掃除を終えて待っているだろうと思って、ガシガシと髪を拭きながら部屋に入るがそこにミリーはいなかった。
もしかして、まだ掃除をしてくれているのだろうか。
だったらそろそろ切り上げるように言ってあげないとな。とても真面目みたいだから、一度掃除を始めたら細かいところまで気になり始める質なのかもしれないし。
「ミリー、お疲れ様。こんな遅くまでありがとう。お風呂気持ちよかったよ。冷めちゃうからそろそろ終わりにしよう?」
すっかり暗くなり見通しの悪くなった店内をランタンを片手に歩く。しかし、ミリーがどこにもいない。
「おっかしいな。 どこ行ったんだろ。……あ、まさかトイレだったりしたのかな?」
うちはトイレと風呂場が別だから、他の人が入浴中でもトイレは使えるのだ。
一度部屋に戻るかと階段を登ろうとした時、カウンターの上に紙が置かれていることに気が付いた。
『お世話になりました。 お貸しいただいたお洋服は洗濯物カゴに入れさせていただきました。 洗濯せずにお返しする失礼をお許しください。 ありがとうございました』
震えた文字と、涙で濡れた紙。
一瞬、紙に書いてあることの意味が理解できなかった。 理解したくなかった。
そして現実から目を逸らすように紙から視線をそらすと、ゴミ箱の中にあったさっき破り捨てた貼り紙が目に入った。
……迂闊だった。 あの時は感情的になっていたが、ミリーがここの掃除をすると言った時に思い出すべきだったのだ。
これを見てミリーが出て行ったのは確かだろう。
それも泣きながら。
「ミリー………」
これを書いているミリーの姿が目の前で起こっているかのように想像できた。
初めて会ったときのように嗚咽を漏らしつつ、しかし今度は悲しみの涙を流しながら。
気が付いたら俺は、ランタンを片手に家を飛び出ていた。
人は失って始めてものの大切さに気が付くことがあると、昔誰かが言ったそうだ。
それは俺も身を持って痛感したことがあった。 前世の生を突然終え、今世で生まれ直したときに俺は悲しみの涙を流した。 すべてを失った悲しみを乗り越えるまでに何年もかかった。
俺は、また失ってからその存在の大切さに気が付くのだろうか。 ミリーが俺の手の届かないところに行ってしまってから、彼女がいた生活を思い出してまた、嘆くのだろうか。 本当に短い時間だったけれども、もう手に入らないミリーとの温かい生活を。
───いや、今ならまだ間に合う。
俺が風呂に入っていたのは多く見積もっても一時間。 俺が風呂に入るときにちょうど下に降りて行ったのだから、そこから掃除をして手紙を書いて、身支度をして出たのだ。
まだそう遠くへは行っていないはずだ。
ミリーは。
ミリーは、どこへ行く!?
思考を巡らせてミリーが行きそうなところを考える。
ミリーが行きそうなところ……。
ミリーに頼れる人は、おそらくいない。
もし近く知り合いがにいるのだとしたら、この街で倒れていたのは不自然だ。
好きな場所は……。
そういえば、俺ってまだミリーのことなんも知らないんだよな。出会って何日も経っていないんだから当たり前といえば当たり前か……。
俺はミリーに惚れている。
しかし、それなのに俺はミリーのことを何も知らない。 いや、知ろうとしなかったのかもしれない。
貴族の事情があるだろうとか、そんなことばかり考えてミリーとの間に一線引いてしまっていた。
ミリーは俺のことを頼ってくれて、俺のためになんでもすると言ってくれた。
それなのに俺は……。
───いや。 今は自責の念に囚われている場合じゃない!
こうなったらバカでもできる最終手段、とにかく走る。
ここが王都だったりしたらほとんど不可能。しかし、ここはこの辺りでは大きい街だが走って走れない距離ではない。日頃から早朝の本配りをしていなければ不可能だっただろうが。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……さよなら、レオ様」
またしてもジワリと滲み出てきた涙を拭って街をあとにします。
レオ様が入浴なさっている間に服を着替えて飛び出してしまったので、結局お別れは言えませんでした。私が元々着ていたドレスはボロボロだったにも関わらず、今は洗濯されていてほのかに石鹸の匂いがします。
一体、いつの間に洗ってくださったのでしょう。 すっかり乾いているのですが、いつの間にに洗って置いてくださったのでしょうか。
レオ様の優しさが心に染みます。
そんなレオ様のことが信じられない自分が嫌になります。
もしも、レオ様に見捨てられてしまったら……。私はおそらくもう2度と立ち直れなくなるでしょう。
レオ様はそんなことはないと、そう考える自分ももちろんいます。けれど、もしかしたらあの人たちのように、と考えてしまうのです。
自分の心を守るため、そんな身勝手な理由です。
あれだけお世話になっておいて直接お礼も言わないなんて、きっと怒っていらっしゃいますよね。
だけどどうか、私の心の中には物語の勇者様のようなレオ様を刻ませていてください。
「どこに行く気?」
「レオ、様……」
不意にかけられた声に恐る恐る振り返ると、ランタンの明かりを持ったレオ様が立っていらっしゃいました。
ご本人は平静を装っておられるようですが、肩が大きく上下していて走ってここまでいらしたのだと分かりました。
……いけません。また涙が溢れてきてしまいました。
「どうして……」
「いや、どうしてって言われても。ミリーが家を出たから、だよね」
「それは……」
それは答えになっていません。そう言おうとしましたが、私の言葉はレオ様の言葉に遮られました。
「何でもしてくれるって言ってたでしょ? だったらさ、少なくとも今後の目処がつくまではウチにいてよ。 人手が足りなくて困ってたんだ」
「だけど、私は……」
「あぁ、うん。 そういえばミリアリア・ルーデインってご令嬢が王都を追放されたらしいね。 けどさ、俺がたまたま拾ったミリーにはそんなこと関係ないよね?」
「過去を捨てて新しい人生を送れと、そういうことですか……?」
「まぁ、そういうことだね。 これからはミリーはミリーとして生きればいい。 もちろん、いつ元・ミリアリア公爵令嬢がやってきても俺は構わないけどね。
……ってダメだ、こういうカッコつけた言い方は合わないわ。 素直に言うわ、俺はミリーのことが好きだ。 性格よくて、可愛くて、家事もできて、頭もよくて。 これ以上ないくらいにミリーは素晴らしい人だ。
だから、ミリーさえよかったら一緒にいて欲しい」
「……ひぇぅ!?」
驚きのあまりに変なところから声が出てしまいました。
だ、だって、告白なんて、初めてでしたし……。いきなり過ぎでしすし。
それに褒めすぎです。
「で、でも……私、たぶん、レオ様がいないと生きていけないと思います」
「……うん。 どうして逆説がついたのか分からないね。 むしろ俺の以上に情熱的な告白だと思うんだけど……」
「そ、そうじゃなくて。 あ、いえ、そうですけど、そうじゃなくて。 えっと、あの、私、レオ様に依存すると思います。 たぶん、重い女です」
「いや、ヤンデレはむしろ好物なんで大丈夫」
「………?」
やんでれ、とは何でしょうか?
やはり本を扱っているだけあって難しい言葉を知っているのですね。
「ま、まぁ、とにかく。 それくらい別に気にしないから。 それに、俺はこれからミリーのことをもっと知っていきたい。 だから、一緒にいてほしい」
そう言いながらレオ様は私の体を引き寄せ、抱きしめてくださいました。
「ひゃう!? レ、レオ様?」
「こうされるの、イヤかな?」
不安そうにレオ様がそう問いかけて来ます。ですが、抱きしめられた状態だと、吐息が耳元に当たって変な気分になってしまいそうです。
うまく動いてくれない口の代わりに、レオ様の背中に両手を回してギュッと力を込めます。
こんなこと、婚約者だった王太子様にもしたことありません。 今までお会いした方々とは全く別の意味でお慕いしているからこそです。
「さ、うちに帰ろう?」
「は、はいぃ……」
レオ様の言葉に返事をしようとしたら、堰を切ったように涙が零れ始めました。
「ほら、せっかくの綺麗な顔が台無しだよ? お風呂、温め直してあげるから帰ったら流しておいで?」
「ひぐっ。 あ、ありがとうございます……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「よし、それじゃあ行ってくるね」
そろそろ日が昇り始める時間。
今日は本の注文が一件しかないからカートは使わず小脇に本を抱えただけだ。
「お供します、レオ様」
「いや、でも、朝早くから大変でしょう?」
「それはレオ様も同じです。それに私はレオ様さえいれば睡眠時間は1、2時間で十分ですから」
いや……それは健康的にどうかと思う。
まぁ、四時間半は寝たんだからギリギリいいのか。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「はいっ! レオ様、一生あなたのそばにいます」