第68話 さすがミリーさんです。
お砂糖補給回、1弾目。
〜レオ視点〜
今日の仕事……というか、調査を終えた俺は公爵家の馬車に揺られてミリーの待つ屋敷へと向かっている。
時刻は夕方の6時頃。 日はほとんど地平線の向こうに沈んでいて、街灯や道を通る人たちが手に持っているランタンの明かりがぼんやりと道を照らしている。
常闇というほどの暗さではないが、前世と比べるとやはり暗いだろう。 女性の一人歩きには不安な暗さだ。
学校での情報収集を終えた俺は、書き取っておいたメモに様々な付け足しをしてから宰相様の仕事を手伝った。
まぁ、ほとんどは宰相様本人じゃないといけないようなものばかりだったし、彼の本来の付き人であるルーデイン公爵家の執事さんが身の回りの世話などはしてくれていたから俺のすることはあまり多くはなかった。
せいぜい文書の誤字脱字をチェックしておいたくらいだ。
なんとなーく、前世のお仕事を思い出したような気がしたよ。
───と、いうわけで、宰相様はまだ王城の執務室でお仕事中だ。
俺だけ帰ってきてしまって心苦しくないかって?
いや、だってそういう話だし。
そもそも、自分で蒔いた種と言えないこともないんだからそれくらいはしてもらわないと。 大丈夫。 俺にできることはやっておいたから仕事が終わらないということはないと思うよ。
俺は愛しのミリーに会わせてもらうことにする。
今日は夜にミリーと晩酌を楽しむことになっているからね。 出勤初日から徹夜で残業とか冗談じゃないよ。
なんとなしに外を眺めていると、建ち並ぶ屋敷の中でも一際大きな屋敷が前方に見えてきた。
ミリーが待つルーデイン公爵家の屋敷だ。
カタカタと小気味良い音を奏でていた轍が、その演奏をやめて馬がブブルと前奏の終わりを告げる。
さて、ここからが本番。
この時間だとミリーは部屋で本でも読んでいるだろうか。
早く会いに行って、ミリーの綺麗な声を聞きたいな。
丸一日会えなかったミリーへの想いを膨らませて、俺は馬車から降り────
「レオ様〜〜〜!」
「ぐふっ……!?」
────かかったところで、ミリーに華麗なる頭突きを食らった。
いや、抱きついてきてくれたんだということはわかってるよ。
わかってるけど、みぞおちにクリーンヒット……。
肺が圧迫されて空気が押し出された。
「はっ!? す、すみません!」
「だ、大丈夫……。 ただいま、ミリー」
俺から少しだけ顔を離して頭をぺこりと下げるミリー。
帰ってきてすぐに飛びついて来てくれるあたり、よっぽど寂しかったらしい。 みぞおちに突き刺さったのはともかくとして、これほどまでに真っ直ぐな気持ちをぶつけてくれるのだから愛おしくて仕方がない。
普段は淑女然としたミリーだけど、たまーにこういう子供っぽいところがある。
慌てると頬を真っ赤にして動揺したり、俺に抱きついて甘えてきたり、後は昔の話だけど嬉しさのあまり泣いたりね。 普段は感情を完全にコントロールしているように見えるミリーだけど、恋愛が関わるとそうなることが多い。
まったく、旦那さんとしては嬉しい限りだよ。
「はい! おかえりなさいませ、レオ様! レオ様。 私、レオ様に見せたいものがあるんです」
「ん? なに?」
「お部屋にあるのでついてきてください!」
「ん」
見せたいものとはなんだろうか?
たぶんこの様子からして、何かを作ってくれたんだと思う。
期待を心の内に秘めることもなく思いっきり露わにして、俺はミリーに手を引かれてミリーの、いまは俺たちの私室へと向かった。
「まずはこれです!」
「え、えっと……?」
ミリーが見せてくれたのは壁に掛けられたやや大きめな絵画だった。
薄紅色の抽象的な空間を後ろにたたずむ男女。
その二人は仲睦まじく寄り添って互いの顔を見つめあっており、幸せが溢れ出ているように見える。
一方は肩口までで切り揃えられた金色の髪を靡かせる碧眼の美少女。 もう一方は美少女よりも少し背の高いやや細身の男性。
それはいまにもキスをし始めそうなくらいに生き生きとしている。
「私が描きました! 私とレオ様の肖像画です!」
「はは……。 だよね」
もうどこをどう突っ込んでいいのかわかんないわ。
いや、嫌だとかそういう気持ちは微塵もなく、褒めるべき点が多すぎてどこから褒めればいいのかわからないのだ。
まず、俺が屋敷を開けていた時間はせいぜい10時間程度。 俺にとっては待ち遠しい時間だったけど、このクオリティの絵画を描くには短すぎる時間だ。
写真のようなリアルさを持ちつつ、それでいて写真では表現しにくい人物の内面がしっかりと描かれている。
更に、これを描いているとき俺はいなかった。 つまりミリーは記憶力だけでこの絵を完成させたということだ。
「あの、どうでしょうか?」
そしてどうしてミリーは不安そうな顔をこちらに向けてくるのだろう。 ……いや、可愛いんだけど。
これほどのものを作って不安に思う必要なんか全くないじゃないか。
「もう凄すぎるよ。 さすがはミリーだよ」
サラサラふわふわの髪の毛をそっと撫でる。
前世のようなトリートメントやリンスは存在していないというのに、相変わらず手触り抜群だ。
「はぅ。 ありがとうございます」
「それにしても本当にすごいな……」
ミリーの頭に手を置いたまま絵を眺めるが、とても一日で描いたとは思えない。 もちろん絵の具で描かれているから、重ね塗りをするにしても乾くまでの時間がかかるだろうし、下書きのようなものも必要だろう。
絵には詳しくないから細かなところはわからないが、一枚の絵を完成させるのに何ヶ月もかかるなんて話も聞いたことがある。
それを一日でやってのけてしまうミリーって……。
ソフィリアさんに鍛えられたおかげで俺もだいぶチートじみて来たと思っていたけど、この子には到底敵わないな。
まぁ、得意分野が違うのだから、比べること自体が変な話だけど。
夫婦なんだからお互いの欠点を補い合っていかないとな。
「あっ、見せたいものは他にもあるんですよ!」
「え? 他にもなにかあるの?」
他にも絵を描いたということだろうか?
いや、でも流石に……。
「はい! よかったらお使いください!」
そう言ってミリーが差し出したのは革の手袋だった。 手袋というよりもグローブと言った方がいいかもしれない。 あ、もちろん野球のやつではなく。
真っ黒なデザインだが、ロッカーが使っているような奇抜なものではなく、軍曹とか大佐とかそんな感じの人たちが着けていそうな気品と硬質さを合わせ持ったものだ。 それでいて中が蒸れないように手の甲の部分が開いている。
いまの俺は軍服風の正装だから、ここに革のグローブを足したら完全に軍人さんだ。
あとは帽子と、ピストルも欲しいかな……。 いや、本当にもらっても困るけど。
さて、そろそろ現実に戻ろうか。
「えっと、どこからどこまでミリーが作ったのかな?」
ミリー、作ったって言ってたよね。 買ったとか作ってもらったとかじゃなくて、作ったって。
まさかの革細工までお手の物ですか、ミリーさん。
革細工って形を作るだけじゃなくて表面の加工とか大変そうだけど、ミリーの性格的に考えると……。
「全部です!」
「ですよね〜……」
下準備とかもやっちゃうんですね。
と言うか、革細工って一日でできるの?
いくら手際が良くても限界ってありそうなものなんだけど……。 まぁ、ミリーならこの世の物理法則を超越し始めても納得できるかな。
「よろしければ明日からはこれを使っていただけたらと思いまして。 あ、もちろん、専属の仕立て師に許可はいただいていますので、問題はないですよ」
「そうだね。 でも、汚しちゃったら申し訳がないよ」
手袋となると気をつけていてもやっぱり服よりも汚れやすくなってしまう。
手なら普通に洗えばいいが、革ではそうはいかないだろう。
「それは心配ないです! 汚れが落ちやすい加工をしていますし、また作り直せますから!」
「おぅ……。 それじゃあ、明日からこれを使わせてもらおうかな」
「はい ♪ 」
何から何まで抜かりないミリーさんです。
汚れが落ちやすい加工って一体どんな感じですか?
そしてそれをサラッとやってのけてしまうあたり、流石です。
「あの、まだあるんですけど……」
「え?」
「お料理も作りました ♪ 」
どこか子供っぽい笑みを浮かべるミリー。
こ、これは更なる驚きが待っているパターンですかね。
………もう、どんと来い!




