第64話 出勤
〜レオ視点〜
ミリーと二人で食事を済ませてから、俺はミリーのお父さんの執務室へと足を運んだ。
本当ならば食べさせあいっこをしたり、ミリーが動けないのをいいことに餌付けしたり、もっとゆっくりとイチャイチャしたかったんだけど、残念なことにそういうわけにはいかない。
宰相であるお義父様は、前にも言ったかもしれないが多忙だ。
近ごろは王太子の尻拭いなどをしているせいで、家に帰ってくることができない日も珍しくはないらしい。
昨日は無理を押して強引に帰って来てくれたようだ。
今朝も朝早くから屋敷の執務室に籠って、持ち帰った仕事を処理しているとのこと。 南無三。
部屋の入り口で控えていた執事さん……と言うか、ジリーアスさん───この人、思ってた以上に偉い人だったらしい───に許可を得てからドアをノックする。
「おはようございます、宰相様」
扉を閉めて、机に座って書類の山に囲まれていた宰相様に頭を下げる。
まさか、あの書類の山を全部昨日のうちに持って帰って来てたわけじゃないよね?
10キロくらいあるんじゃないか?
それも紙だから下手をするとバラけて、運ぶのも大変そうだし。 従者さんたち、ご苦労様です。
「お義父様でいいんだがな」
「………お義父様」
宰しょ……お義父様にジト目で見られて言い直す。
中年のおっさ……ダンディなおじさまのジト目って、若干シュールだ。
初めて会ったときと比べて、俺の中でのこの人の印象ってだいぶ変わったよな。
はじめはミリーを追い出した敵、って感じで警戒してたし嫌悪感とか敵対心とかが強かった。 今はミリーを追い出したことに関しては許したわけじゃないけど、この人も人間なんだなぁと言うことを感じた。
為政者としては失格な気がするが、良くも悪くも人間的な人だ。 少し上から目線になるけれど、過去の失敗を次ぎに活かすことができる人だと思う。
「うむ。 よく来たな、息子よ。 ささ、そこに腰掛けてくれ」
「いや、俺はあくまでも付き人ってことなんじゃ……」
お義父様の指示で執事さんがお茶を淹れる。
だけど主が仕事をしてるのに、その横でのんびりお茶をいただくなんて申し訳ないんだけど。
「それはあくまでも建前だ。 早速で申し訳ないが、私は今から王城に向かう。 君はどうするかね?」
書類に目を通しながらチラリとこちらに目を向けてくる。
扱いが邪険なのは俺を侮っているからではなく、それほどに忙しいと言うことだろう。 よく見ると目の下にはクマもできているから、夕べは酒を飲んですぐにたたき起こされたのかもしれない。
「俺もお供しますよ。 早く俺たちの住む世界に帰りたいですからね」
「そうだな。 君の服は既に手配してある。 それに袖を通してくれ」
「わかりました」
さっきお茶を淹れてくれた執事さんが、どこからか豪華な服を取り出してくる。
黒を基調としたデザインに、金のボタンや飾緒が付けられた詰襟だ。 詳しいことは知らないけど、軍服っぽいイメージだ。
「今から30分後に玄関に来てくれ。 馬車を手配させておく」
「わかりました」
執事さんから服を受け取り、一度部屋に戻る。
「おかえりなさいませ、レオ様」
「ん、ただいま。 だけど、今からすぐに王城に向かうよ」
部屋の入り口で出迎えてくれたミリーに、早速ながらそのことを伝える。 ミリーは黒ベースの露出の少ない落ち着いたドレスを身につけていて、いかにもお嬢様って感じだ。 超かわいい。
だけど、こういうやりとりって夫婦っぽいな。 いや、今までも十分に夫婦っぽかったし、実際に夫婦なんだけど。
「早速、ですか……?」
「うん。 俺にどれだけできるのかはわからないけど、ミリーのお父さんが俺の力がこの国の立て直しに役立つと言ってくれたんだから、やれるだけはやってみないとね」
「ありがとうございます」
複雑そうな顔をしながらも、なんとか笑顔を作ってお礼を言ってくれる。
ミリーからしてみたら、俺を巻き込んでしまったとかそんなことを考えてるのかもしれないな。 今回は特に、ミリーの頼みを受けて俺が決断したということになるからな。
「ふふ、気にしなくていいよ。 着替えるから、よかったら手伝ってくれる?」
「はい、もちろんです!」
頭をポンポンすると屈託ない笑顔を取り戻してくれる。
うんうん、やっぱりミリーには笑顔が一番似合うよ。
ミリーに手伝ってもらいながら、なんとか軍服風の服に袖を通していく。
途中からミリーが鼻歌を交え出したんだが、この可愛い生き物をどうしてくれようか。
抱きしめてキスをしてやればいいか。 いや、まだ足りないね。
なんてことを考えていると数分で服を着終わった。
「ん、これでいいのかな」
「はい。 とっても素敵です、レオ様 ♪ 」
「ん、ありがとう」
「まるで物語に出てくる勇者様みたいです」
俺の顔を見てうっとりと呟くミリー。
いや、喜んでくれるのは嬉しいんだけど、服を着替えたくらいでそんなに大きく変わるもんかな。
………あ、でも、ミリーが新しい服を着たときなんか俺も見惚れちゃうときとかあるな。
ミリーと比べちゃうと俺は見劣りするような気もするけど、ミリーが喜んでくれているならその辺は問題じゃないね。
「そこまで言われると照れるな」
「………だけど、ちょっと不安です」
さっきまで満足気な笑みを浮かべていたんだけれど、途端にその表情にくらい影を落とす。
「どうして?」
「ただでさえ素敵なレオ様が、今日はいつも以上にかっこいいです。 それで私の目の届かないところに行ってしまうなんて……。 他の女性がレオ様のことを好きになってしまったら……。 もしその人が、私よりも魅力的だったら………」
「もう、何て可愛いんだろう、ミリーは」
こんなに可愛いお嫁さんを捨てて浮気なんかするわけないじゃないか。
もう、可愛くて可愛くて仕方がない!
ミリーのこれは俺のことを信頼してくれていないというわけじゃなくて、トラウマから来るものなのかもしれない。 と、いうわけで。 ミリーの不安を拭い去ってあげるという名目のもと、ミリーを思いっきり抱きしめる。
あ、もちろんボタンとかが当たらないようには気をつけて。
「大丈夫だよ。 なにがあっても、俺はミリーだけのもの。 そして、ミリーは俺だけのもの。 そうでしょ?」
体制の関係で自然と耳元で囁くようになってしまう。
俺の言葉にピクンと反応する仕草もまた可愛らしい。
あぁ、もう!
ミリーの可愛らしさの前だと、可愛いという言葉がチープに聞こえてくる!
「……! はい! もちろんです!」
時間があれば今からもう一回戦いけるわ!
……悲しきかな。 時間はないから、ミリーの服の襟元に伸びそうになった手を慌ててミリーの頭に移動させる。
「よしよし。 俺は死んでも浮気なんかしないよ。 どっかのアホ王太子とは違う。 俺には、ミリーしかいないから」
ミリーの髪は柔らかくて手触り抜群だ。
おまけにフローラル系のいい匂いもして、ミリー本人が放つ甘い香りと合わさって俺の頭の中は完全にお花畑だ。
「レオ様ぁ……」
「ほんっとうに可愛い。 ミリー、大好き」
キス、キスくらいならいいよね!?
頬を染めて潤んだ瞳で見つめてくるミリーの唇に、自分の唇を少し乱暴に重ねる。
ミリーの唇はグミのように柔らかく、そして温かい。
そこを舌でそっとなぞると、ゆっくりと開いて俺の舌を受け入れてくれる。 ミリーの舌は情熱的に動き、自ら俺の舌に絡みついてくる。
あ、やばい。
お花畑と化していた頭が溶けそう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
お花畑が溶け切るまえになんとか唇を離して、身支度を整えた俺は時間ギリギリで部屋を後にすることになった。
出勤初日から遅刻とか情けなさすぎる。
「それじゃあ、行ってくるね。 そんなに遅くならないうちに帰ってくるつもりだから、帰ってきたら一緒にお酒を飲もうね?」
「はい、楽しみにしていますね。 いってらっしゃいませ、レオ様」
笑顔で送り出してくれるミリーに手を振って、俺は小走りで玄関へと向かった。