第6話 ミリー
私の名前は、ミリアリア・ルーデインです。
あ、今はただのミリアリアですね……。
私は、貴族の学校に通う学生でした。
公爵家の長女であり、宰相の娘であったためにあまり友人は多くありませんでしたが、それでも少なくとも大切な友人と充実した日々を送っていました。
そんなある日でした、私のクラスに編入生として一人の女生徒───アリス男爵令嬢がやってきたのは。 あまり大きな声では言えませんが、どうやら男爵家の隠し子だったそうです。
私は特別に仲良くなろうとは思いませんでしたが、かと言って虐げようなどとは微塵も思いませんでした。家柄や爵位、外見だけで人を判断するなどあってはならないことです。
王太子様の婚約者である私は、ゆくゆくは王妃としてこの国の女性の代表となるのですから、人の手本となれるように心がけていました。
しかし、彼女の言動は庶子の出であるというのを考えても、目に余るものがありました。
社交パーティーではマナーを無視して有力貴族の子息に媚を売り、その他の人間はまるでないもののように扱っていました。
始めはマナーを知らないのかと思い、そっと注意をしましたが、今度はミリアリア嬢に虐められたと言いながら男性に泣きついたそうです。
それだけならば、不必要にこちらから関わろうとさえしなければやがて自分の過ちを正すか、自滅していくだろうと考えていました。だから私は、できれば前者であればいいなと、傍観を決め込むことにしました。
彼女は私の婚約者である王太子様にまで色目を使い始めました。ですが私はそんな人に自分の婚約者が──ゆくゆくはこの国を背負って立つルイス様が靡くはずがないと考えていました。
ルイス様と私は幼い頃からの付き合いでした。だから彼が真面目で、人の迷惑になる身勝手な行為は見逃さない性格だと知っていました。 お互いの間に恋愛感情がないことはわかっていました。 しかしそのようなことは貴族の世界では良くあることなので気には留めていませんでしたし、お互いのことは十分に信頼しあっていたので問題ないと思っていました。
ですから、彼女がルイス様に近付くことを私は戒めませんでした。むしろ彼ならばアリス様を諌めてくれるだろうと安心すらしました。
その油断がいけなかったのかもしれません。 気が付いたときにはもう手遅れでした。
彼はすっかりアリス様に懐柔され、彼女の取り巻きの一人に成り下がってしまっていたのです。
そして、その中に自分の兄がいたことに気づいて更に愕然としました。 兄は私よりも五つ年上で、もう既に婚約者の方がいたはずなのに……。
そしてとうとう、彼女の自作自演も悪化して行きました。
ミリアリア嬢にワインをかけられた。カバンを池に投げ捨てられた。ノートが万年筆のインクで真っ黒にされた。階段から落とされた。挙げれば枚挙に暇がありません。
いくらなんでも、私がそこまでするはずがないだろうと、内心で彼女の出まかせにため息をついていましたが、周りの人たちの反応はそうではありませんでした。
彼女の言うことを信じ切っていたのです。
そして私は、ありもしない罪で罰せられました。
いえ、ありもしないというわけではありませんでしたか。
罪状は国家反逆罪。 “王太子様への数々の忠言”が“王族への批判”として解釈されたようです。そこにルイス様とアリス様の私的思惑があったことは間違いないでしょう。
本来、王妃は王の隣に立ち、女性の立場から彼を支えときには戒めることを責務としています。 ですから、私の言動は時期王妃としては間違っていないはずだったのです。
確かに、私にも多少なりとも非はあったかもしれません。 しかし、この国の令嬢として間違ったことをした覚えはありませんでした。
信じていた婚約者に、友人に、挙げ句の果てには家族にまでも私は裏切られました。
あれよあれよと言う間に私は貴族位を剥奪され、着の身着のままで王都から追い出されました。
それからのことはもうほとんど覚えていません。
信じていた人に裏切られた絶望。
今までの全てを失った喪失感。
自分と言う存在が薄れていくような恐怖。
そんな感情がごちゃ混ぜになって、私は何処へともなく歩き続けました。
冷たくて固い土の上で寝て、水溜りの水を口にして、比較的柔らかそうな木の葉を食べました。 今になって思うと、そこまでして生にしがみついていたのは、もしかしたら運命に突き動かされていたからなのかもしれません。
そんな生活がどれくらい続いたでしょうか。
とある夜。 とうとう歩くことすらままならなくなった私は、吸い込まれるように街から漏れる明かりに向かって歩きました。 そしてとうとう疲労が限界に達してしまったのか、朦朧としていた意識すら保てなくなり、意識を手放しました。
美味しそうな匂いが鼻を擽り、目が覚めると私は暖かくて柔らかいベッドの上に横になっていました。
まだ一昨日の朝のことですが、レオ様が私を助けてくださったのです。
そして、お風呂をお貸ししてくださり、着るものを貸してくださり、更には温かい食事まで与えてくださいました。
その時の私の気持ちがご理解いただけるでしょうか。
嬉しくて嬉しくて、裏切られた時には一滴も流れなかったのに、涙が目から溢れ出て止まりませんでした。
今まで積み上げてきたものは全て崩れ去りましたが、その代わりに……いえ、それ以上のものをレオ様は与えてくださりました。まるで今までの自分とは別の新しい人生が始まったようでした。
だから私は、ミリーとして全てをレオ様に捧げて生きようと決めました。
身も心も、全て。
「───私、レオ様が望まれることなら何でもします!」
私なりに精一杯の言葉でした。
どのようなことでも、喜んで行うと。
例えば、その……睦事、ですとか……。
残念ながら、レオ様にはそこまでの意図は伝わらなかったようですが。
私はいま、レオ様のお店のお掃除をしています。
お店は夕方には閉めてしまうので今は午後の六時。レオ様は私が念入りにお掃除して、家の裏にある井戸から水を組んで温めておいたお風呂に入っておられます。
「あ、ゴミ箱の中も綺麗にしておいた方がいいでしょうか?」
レオ様が昼間のうちにやっていらしたらしく、並べてある蔵書はまったく汚れていなかったのでそれ以外のところを中心に行います。
ゴミ箱の中に目をやった時、ビリビリに破り捨てられた紙に目が行きました。
「………ぁ」
思わず声が漏れかけて慌てて両手で口を押さえます。
そこに書かれていたのは私の罪を知らせるものでした。
国家反逆罪という仰々しい罪状とともに私の貴族時代の姿絵が載せられています。
おそらく、アリス様が王太子様に口添えをして発行させたのでしょう。
しかし頭が冷静になるにつれ、私の心を恐怖が支配し始めました。
この紙がここにあるということは、少なくともレオ様は私が罪人だと知っているということです。 私には身に覚えのないことばかりですが、それを知らない人が見たらどう思うでしょうか。
レオ様は、この紙を見てどう思われたのでしょうか。
レオ様は、私のことを蔑むでしょうか。
見捨てられてしまうのでしょうか。
また、全てを失うのでしょうか………。