第54話 答え
〜ミリー視点〜
部屋のお掃除を終えて、レオ様のお手伝いをしようと一階に降りてきたら、そこにはお兄様がいました。
……いえ、家族の縁は既に公式に切られているのでしたね。
私はレオ様の隣で、ことの成り行きを見送ります。
何も口出しをしなかったのは、驚きのあまり何も言えなかったのもあります。
ですが、何よりの一番の理由は……レオ様を、怖いと思ってしまい何も言えなかったのです。
いえ、レオ様のことは心の底から信頼しているつもりです。
レオ様になら何をされても構いませんが、お優しいレオ様は私を傷つけたりは絶対にしません。
今、レオ様が怒っていらっしゃるのだって、それは私のためで、その怒りが私に向くことはないとわかっています。
レオ様がここまで怒りを露わにするのを見るのは初めてです。
ソフィお姉様と初めて会った時も、警戒と怒りを露わにしていらっしゃいましたが、今回はその時とは比べものになりません。
レオ様の視線が、お兄様の顔からアインハルト様のそばにいた人の剣に移動したのに気が付きました。 他の人たちは怯えているのか、それどころではないようですが。
以前、レオ様の剣技を拝見したことがあります。
その時ですら出色したものでしたのに、ソフィお姉様との特訓を経て、今ではおそらく右に出る者がいないほどの腕前です。
軍の方から教わったそうで、その剣技は力強さを感じるものでした。 軍に所属する方々の使う剣技は、鍛え上げた筋肉を活かした力技が多いからです。
そこに今はソフィお姉様の力ではなく技で戦う方法も加わっています。 ソフィお姉様は力のない女性が男性に勝てるように、受け流しや最小限の動きで最大限の力を加える剣の当て方などを身に付けています。
剛の剣と柔の剣。 その二つを完全に習得したレオ様は、この国で一番の剣の腕だと私は思っています。
服の上からでは分かりませんが、レオ様の身体は程よく筋肉が付いていて逞しいです。 一見すると細身で、剣など握ったこともなさそうですが、実際は違うのです。
近頃は、目を瞑ったままで、更に無手でも剣を持ったソフィお姉様に勝てるほどです。
レオ様は人の域を超えていらっしゃいます。
そんなレオ様なら、剣を奪い取り、この場にいる方たちを全員殺すのは刹那の時間で済んでしまうでしょう。
誰も抵抗することもできずに、あっという間に。
そう思った時、私は先ほどとは違った恐怖に襲われました。
剣技が人を殺すためのものだと言うことはわかっています。
私は温室育ちで、考え方が生ぬるいのだとわかっています。
けれど、私はレオ様に人を殺して欲しくはありません。 こんな街中で人を殺してしまえば、たとえそれが正当防衛であったとしても罪に問われます。 相手が貴族、しかも公爵家の長男ともなれば下手をすれば死罪になってしまいます。
私は、レオ様には死んで欲しくありません。 ずっと一緒に、いたいです。
レオ様に縋るように、レオ様の心が鎮まることを祈るように、私はレオ様を抱きしめました。
するとレオ様は私の方を見て、さっきまでの怒りに満ち溢れたような雰囲気を霧散させてくださいました。
そしてそのまま、私の頭を撫でてくださいます。
ついさっきまで不安と恐怖に襲われていたというのに、私は果てしない安らぎを感じました。
その場は一度それで終わり、また翌日に仕切り直しということになりました。
アインハルト様が帰ったその日の夜、私はレオ様と話し合いました。
とは言っても、私の答えはもう決まっていますし、レオ様も私の気持ちは理解してくださっているので、あっという間に終わりましたが。
日は変わって翌日。
アインハルト様が告げられた、答えを出す約束の日です。 今日は事情を話して、ソフィお姉様も相席してくださっています。
昨日と同じくらいの時間に、私にとってはとても見慣れた馬車に乗ってアインハルト様が降りて来ました。
「改めてだけど〜、結論を聞いてもいい?」
「はい、アインハルト様」
相変わらず、どこか気の抜けたような話し方をするアインハルト様に頷きます。
「私は、“ミリアリア・ルーデイン” に戻るつもりはありません。 私はレオ様の妻として、これからもこの街で生きていきます」
それ以外の答えは私には考えられません。
結果だけ見えしまえば、私は無実の罪を着せられたことも悪くはなかったと思っています。
それがなければ、私はレオ様とお会いすることすらおそらくなかったでしょうし、ここまでレオ様のことを愛するなんてあり得なかったでしょう。
私は居場所は華やかな世界ではなく、レオ様の隣なのです。
「………そっか。 と言うことは、ソフィリアもここに残るってことでいいんだね」
「もちろんでございます」
「ソフィお姉様は、私の大切な家族の一人ですので」
ソフィお姉様はジャスミンさんの宿屋さんで忙しい時間帯だけお手伝いの仕事をしています。 今日は無理を言ってお仕事を休んでいただきました。
ちなみに、お兄様が使った宿屋さんはジャスミンさんのところではなかったようで、二人が鉢合わせすることはなかったようです。
「………わかった。 それじゃあ、私は失礼するよ。 もう、貴女の前には現れないから」
少し悲しそうな表情を浮かべて、帰ろうとするアインハルト様に焦ります。
まだお話は終わっていません。
「まぁ、そう焦らなくてもいいじゃないですか。 話には続きがあるんだよね、ミリー?」
「は、はい」
レオ様に促されて、話したかったことを口にします。
「私は “ミリアリア・ルーデイン” に戻るつもりはありません。 ───けれど、叶うならばお父様やお母様、お世話になった人に結婚の報告をしたいです」
「それは、つまり……」
「許してくださるなら、屋敷まで、ご一緒してもよろしいですか?」
家族の縁は切られてしまいましたが、私にとってはお兄様はお兄様ですし、家族は家族です。
もちろんレオ様が一番ですが、10年以上家族として生きてきたのですから、そう簡単に割り切ることは出来ません。
できることなら、レオ様のことを話したいです。
もしも反対されてももう関係がないわけですし、私はレオ様に乙女を捧げているので罪のことを無視しても、他の方との結婚も難しいでしょうからね。
「………いい、の?」
「はい。 むしろ、よろしくお願いします」
驚いた様子のお兄様に頭を下げます。
お兄様は私の様子に更に戸惑ったようで、レオ様に視線を向けました。
「庶民の分際でこのようなことを願い出ることは、烏滸がましいことだとわかっておりますが、ミリーの生みの親である宰相様と奥方様にお目通り願いたく存じます」
いつになく改まった口調でレオ様が頭を下げます。
「………き、昨日とは随分と態度が違うんだね〜」
その様子にお兄様はもう頭が追いついていかないようです。 全く的外れな返答をしています。
「戻しましょうか?」
「う、う〜ん。 その方がありがたいよね〜」
「わかった。 それじゃあ、そういうことで」
「あはは、本当にあっさりと変わるんだね〜。 君のマスクには畏れいるよ」
「それはどうも」
これは私の願望なのかもしれませんけれど、もしかしたら二人は気が合うのかもしれません。 お兄様の方が少し間延びしていますが、性格も似ているような感じがします。 もちろんレオ様の方が素敵ですが。
「それで〜、旅の支度はどれくらいで出来たりするのかな?」
「最低でも2日は欲しいかな。 あ、今日を含めて」
「えっと……。 じゃ〜、明後日に迎えに来ればいいのかな〜?」
「そうだね、それでお願いできるかな?」
「ん〜、分かったよ〜。 それじゃあ、またね。 ミリー、レオさん」
表面上では何事もなかったかのように振舞っているお兄様ですが、その内心は穏やかではないでしょう。
お部屋に帰ってから状況を理解するのに苦労しそうですね。
「ん、また」
「はい。 またお会いしましょう、お兄様」
レオ様と一緒にお兄様が馬車に乗って行くのを見送りました。




