第45話 卸問屋のお爺さん
〜レオ視点〜
翌日。
朝食と身支度を済ませた俺たちは、大通りから離れた大きな建物の前に来ていた。
ちなみに、夕べはミリーと同じベッドで寝たけど、禁欲状態だ。 おやすみとおはようのキスをしたり、互いに身を寄せ合って寝たりはしていたけどね。
「ここがそうですか?」
「うん、そうだよ。 流石にこういうところは来たことない?」
この、古びた倉庫みたいな木造の建物が目的の卸問屋だ。
先代───おじいさんのときからお世話になっている店で、おじいさんの古い友人が店主を務めている。
「そうですね。 こういったところは来たことがないです。 ソフィお姉様はどうですか?」
「私もないな。 こういうところは専門の者しか来ないからな」
「そういえば、そうだね。 大量購入する人しか受け付けてないから、一般の人は来ないね」
ここでは一般向けの販売はしていない。
最低でも何十冊単位でないと売ってくれないのだ。
しかもほとんど一見さんお断り。 何処かの本屋から独立したとか、そういう人じゃないとなかなか受け入れてもらえない。
俺のように本屋を営んでいない限り、来ることなんてそうそうないだろう。
「それでは、ソフィお姉様、ジャックのことよろしくお願いします」
「あぁ、任せておけ。 な、ジャック?」
「ワン!」
ジャックの首にリードを繋ぎ、日本とあまり変わらないお散歩風景なソフィリアさんだ。
俺たちの住む街では犬を飼う人はほとんどいなかったが、王都ではちょっとしたブームなのか、お散歩をしている姿がチラホラと見受けられる。
そのうち街でも流行るかもしれないな。 ……ミリーがその火付け役になったりして。
「おぉ、よしよし。 お前は可愛いなぁ」
脇の下に手を入れてジャックを持ち上げる女侍さん。
うん。
クールなキャラと小動物。 ある意味、バランスの取れた組み合わせだね。
「ありがとうございます、ソフィリアさん」
「ふん。 貴様のためではない。 ……頼んだからな?」
「もちろん、任せておいてよ」
しっかりと頷いてから、ミリーの手を取って店の中に足を踏み入れた。
店の中はシンと静まり返っているから、他に客はいないようだ。
ウチの本屋を何倍、何十倍にも大きくしたような内装の店内には、無数の本が棚に並べられていたり、平積みされていたりする。
ウチの本屋では前世のように同じ本が何冊も並べられていないから、この中から注文を受けた本や売れると思った本をそれぞれいくつかずつ買うことになる。
「いらっしゃい。 ……なんじゃ、やっと客が来たと思ったらレオ坊か」
本の整理をしていた老齢の店主がガッカリしたような声でそう言う。 けど、その表情はどこか嬉しそうである。
ヒゲを短く切り揃えているきっちりとしたタイプのおじいさんだ。
「お久しぶりです、ガルフさん」
「そこの女は誰じゃ?」
俺の話を聞いているのかいないのか、自分の要件を貫いてくる。 まぁ、これがこの人だ。
いわゆる頑固親父タイプ。
「俺の妻です」
「ほぅ。 ……なんじゃ、人払いした方がいいのか」
「構わないのですか?」
この人にミリーのことを話すのは、既に二人の了承を得ている。 最後の判断はミリーに任せるということになっているが、俺としてはこの人なら大丈夫だと信じている。
そんな僅かな空気の違いを察してくれたのか、そう提案してくれるガルフさん。 年の功と言うやつなのか、こういう機微にはかなり敏い。
「もちろん構う。 まったく、こちとら大切な仕事中だというのに。 他の客に申し訳が立たんと思わんのか」
「おっしゃるとおりです……」
口が悪いのが玉に瑕だが。
「ふん。 まぁ、問題を持ち込まれたものは仕方がない。 ちょっと待っとれ。 いま表を閉めてくる」
「ありがとうございます」
「まったく、自分のことばかり考えおって。 これだから最近の若いのは───」
「すみません……」
表の扉を閉めて中からも外が見えなくなってから、ガルフさんが椅子に座った。
「それで、そこのおなごは本当は何者なんじゃ?」
「いえ、俺の妻ということに嘘はありません」
「ただの結婚報告だったら追い出すぞ」
酷いな。
と言うか、結婚報告なら結婚報告でいいと思うんだけど。 まぁ、だとしたら大騒ぎしすぎか。
「いえ、違います。 ミリー、帽子を取ってもらっても大丈夫?」
最後の確認をミリーにする。
ここでミリーが嫌だと言ったら、ガルフさんにはしっかりと謝ってからミリーにはソフィリアさんと一緒にジャックの散歩をしてもらってから宿に戻ってもらうことになっている。
「はい。 ミリアリアと申します。 こちらのレオナルドの妻です」
ミリーの目からしてもこの人は大丈夫と判断されたのか、躊躇いのない動きで綺麗に帽子を取った。
石鹸のいい匂いが俺の鼻を擽る。
そして、その様子を見たガルフさんは暫し目を見開いていたが、すぐに事態を理解したのか膝を叩いて笑い出した。
「くっ、はっはっはっ。 これは驚いたのう。 これは、くっ、本当に面白いのぅ。 くははっ、くっ、がははははははは!」
「あの、だ、大丈夫ですか?」
笑いまくっているガルフさんの様子を見て不安になったのか、恐る恐る尋ねるミリー。
確かにこの豪快な笑い方は見慣れてないと不安だよな。
「く、はは、大丈夫じゃ。 それにしても娘っ子、可愛いのう」
「あ、ありがとうございます……?」
「わしの妻になるか?」
「えっ?」
「人の奥さんを口説かないでください」
「養子でもいいぞ」
「だから……」
前のやつは冗談だとわかりやすいからいいが、後ろのは冗談なのかどうかわかりづらいからやめてほしい。
「レオ坊、まさかおぬし、この娘っ子に不自由な思いはさせてないじゃろうな?」
「出来る限りは」
ガルフさんの言葉に内心ドキリとする。
可能な限り、ミリーには不自由ない生活を遅らせてあげられるように努力はしている。 しかし、ご令嬢時代と比べたら明らかに不自由だろうし、何か不自由なことがあっても本人が健気だから俺に言わないで我慢してしまっていることもあるかもしれない。
「出来る限りではないわ。 こんなに可愛い娘っ子が嫁なのじゃぞ。 自信を持ってそう宣言出来るようになれ」
「はい……」
「さて、何故わざわざ王都まで連れて来たんじゃ。 万が一があったらどうするつもりじゃ」
「ミリーを一人で家に残して俺がいない間に何かあったらと思ったら耐えられませんでしたし、俺が側にいられれば守ってあげられると思ったので」
「はぁ……。 バカかおぬしは。 貴様一人で背負って、王族相手に勝てると思っておるのか」
「それは……」
言われれば確かにその通りだ。
俺は前世の知識があるだけで、農村生まれのただの本屋だ。
国家権力と真っ向から戦って勝てるほどの力はない。 せいぜい見つからないように逃げるのが精一杯だ。
「目先の利益ばかりに囚われておらんで、もう少し先を見通せるようになれ。 常に警戒し続けるのは人間には不可能じゃ。 どこでボロが出るかもわからんではないか」
「………」
返す言葉もない。
本人がついてくると言ってくれたし、割と楽しんでくれているようだから気にしていなかったが、ハイリスクローリターンな上に、ミリーは外出中も建物の中にいるときも常に心が休まらない。
改めて言われてみて気がつくなんて、俺はやっぱり考えが足りないみたいだ。
「これはたっぷりと説教してやらねばならんの」
「あ、あの、私が望んだことですから」
「おぅ、娘っ子よ。 其方はそこで本を読んでいていいぞ?」
「い、いえ、そういうわけには……」
「さて、レオ坊、まずは娘っ子を守るとか抜かす性根を叩き直さねばならんの。 夫婦と言うのは一方が一方を守ると言うのではないのじゃ。 それはただの護衛じゃ。 そもそも────」
お説教はそれからおよそ2時間続いた。
今度はレオくんがお説教を食らう話。
え?
ミリーがお説教を食らう話?
ないよ?




