第4話 天国で地獄
「ミリー、お風呂湧いたよ?」
浴槽と水瓶にお湯を張り終えたタイミングで俺はミリーに声をかけた。
ちなみにウチの風呂には一人サイズのバスタブと身体を洗ったりするためのお湯を入れる大きな水瓶が置いてある。
手間がかかる上に薪代もただではないので風呂がない家もあるのだが、ウチにはちゃんと備え付けてある。 長年染み付いた習慣のせいか、毎日とは言わないが風呂には定期的に入りたいからな。
「ほら、起きて。 お風呂冷めちゃうよ?」
優しく肩を揺すりながら声をかける。
「わた……ア、ス、まの、を……いじ、てな、です」
「……ミリー?」
「いや、いやです。 捨てないで。 やだ、やだ、やだ、やだ、やだ……」
「ミリーっ!」
まるでうわ言のように繰り返し始めたミリーを強く揺さぶり、強引に起こす。
よくない夢を見ていることは俺の目から見ても明らかだったから、早くそこから救い出してあげたかった。
「ぇ、ぁ……。 レオ、様……。 レオ様! レオ様、レオ様、レオ様レオ様レオ様レオ様レオ様レオ様」
ようやく意識を浮上させたミリーは俺の姿を確認するなり俺の腰を力いっぱい抱きしめて来た。
目からは大量の涙がこぼれているようで、自分の服が湿っぽくなったのが目で見なくてもわかった。 ……もう少し位置が下だったら、いろいろと危なかったかもしれない。
「ミリー、落ち着いて。 大丈夫、大丈夫だから」
背中に手を回し、抱きしめ返す。 そしてポンポンと彼女の背中を赤ちゃんをあやすように叩く。
「怖い夢を見たんだね。 大丈夫だよ、俺がいるから」
怖い夢を見た後は人肌が恋しくなるというのは、俺も小さいときに経験したことがある。 本当に小さなときは母親に一緒に寝てもらったこともあったなぁ。 もちろん前世のときの話だよ? 今世だと小さなときでも精神年齢は大人だったし。
「あ……。 あぁ、レオ様ぁ……」
顔を上げて俺の姿を再び確認したあと、今度はさっきよりも上───ちょうど首に腕を回すように抱きついてくる。
俺もそれに合わせて撫でる位置を頭に変える。 出会ったときにはボロボロだった髪だが、今ではまるで金糸のように輝いていて手触りは生糸のようだ。
「よしよし。 ほら、怖くない、怖くない。 ミリーが見たのは、ただの夢だよ。 だから心配しなくていい」
「う、ぐすっ……。 はい……」
俺の肩口に顔をうずめ、徐々に呼吸を落ち着けていく。
何の夢だったかは……聞かない方がいいだろうな。 思い出させてしまうかもしれなし、聞いたからといってどうにかなるものでもない。
「……どう? 落ち着いた?」
どれくらいこうしていただろうか。
ミリーの呼吸が平常通りの呼吸のリズムに戻ったのを見計らって声をかけた。
「ふぅ〜……。 は、はい。 ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした……」
「う、ううん。 気にしなくていいよ」
むしろ俺としては気にして欲しい点が一つ。
……二つの大きなマシュマロが俺の身体にガッツリ当たってます。 下着をつけていないから、その感触が鮮明に───。
「さ、お風呂に入って置いで? 着替えは用意しておくから」
服とズボン、パンツは新品のをもうワンセット出すとして、胸当て……要するにブラはどうにかしないとマズイな。
………そういえば、バトル漫画とかだと長い布を胸に巻きつけてるキャラとかいたよな。 大抵はポニーテールで刀使いだったけど。 さらし、って言うんだっけ。
「あ、あの……そばにいてください」
この後のことを考えていたら、縋るような目を向けながらミリーがか細い声でそう申し出てきた。 俺の服の袖をチョコンと摘まむ仕草が萌える……。
「や、でも、お風呂入らないといけないよ?」
流石に一緒にお風呂はマズイだろう。
よくある恋愛漫画みたいに背中合わせに入るようなスペースはウチにはないし、そもそも俺の理性が耐えられないと思う。 理性が耐えられずに絶えてしまう。
なんて、しょうもないことを言ってる場合じゃない。
出会ってまだ一日ではあるものの、俺はミリーに対して少なからず好意を抱いている。容姿が美しいのはもちろんそうだが、彼女の健気で一生懸命な性格、そして、何としても守ってあげたいと思えるような弱さがあった。
そんな相手と混浴は俺の精神衛生上よろしくない。
「そ、そう……ですよね……。 申し訳ありません」
あぁ、もう。
またそんな悲しそうな顔をする。 そんな顔されたら頷くしかないじゃないか。
「わかったよ、そばにいる。 だけど、一緒には入らないよ? ドアの前で待ってるから」
「は、はいっ。 ありがとうございます! 」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ザザァーッ
カポン……
背中の薄いドア越しに水音や桶を置く音が聞こえてくる。
これは一体、何の拷問ですか。
第一、俺、ここにいる意味あるのか?
『レオ様、ちゃんといらっしゃいますか?』
「おー。 ちゃんといるよ〜」
ときどき不安そうな声をミリーが投げかけてくる。 返事はするが、振り返ったら曇りガラス越しに肌色のシルエットが見えてしまいそうだから絶対に振り返らない。
ザザァーッ
カポン……
ザザァーッ
カポン……
チャポンッ
『はふぅ……。 んっ、んん〜〜っ』
……や、やべぇよコレ。
めっちゃ色っぽい声が聞こえてくるんだけど……。
実際にはそんなに時間は経っていないはずなのに、桶を置く音や水の流れる音、果てにはタオルで身体を擦るような小さな音まで聞こえて来て、とんでもなく長い時間のように感じる。
『レオ様ぁ、ちゃんといらっしゃいますか〜?』
「も、問題ないよっ!?」
『レオ様も一緒に入られますか? とっても気持ちがいいですよ』
「やっ、あ、後ではいるよ!」
『……そうですか。 あ、それでは私もう出ますねっ。 あまりお待たせしてはいけませんし』
ザバァとミリーが水から出る音がして慌てて立ち上がる。
「そ、それじゃあ俺は部屋にいるから!」
『分かりました。 ありがとうございます』
ミリーの声を聞いて、まるで逃げるように脱衣所を後にする。
なんだか覗き魔にでもなったような気分だ。
「レオ様がご入浴中は私がドアの前で待たせていただきますねっ!」
……俺の戦いはまだ始まったばかりだ。