閑話 昔の思い出
少し昔のお話。
ちょっぴり幼いミリーです。
今日は久しぶりの市井見学の日です。
一般の方々と同じような服に身を包み、貴族だとバレないようにしてこっそりと人々の暮らしを見学します。
これはこの国の貴族として、民の暮らしを知ると言う重要な意味を持ちます。 更に私の場合は将来的には王妃になる予定なので、より重要になるでしょう。
国の上層部に立つ人ほど、人々の心の動きや暮らしぶりとはどうしても遠くなってしまいますから、こうしてしっかりと現状を理解する努力をしなければいけません。
「ミリ〜、出発の準備はいいかな〜?」
支度を済ませて玄関に向かうと、先に玄関の広間に出ていたお兄様が声をかけてくださいます。
私よりも5歳年上のお兄様は貴族の子女が通う学校に通っています。 学校は全寮制なので、長期のお休みにしか会うことができません。
ただ、年度末のこの時期は学校もお休みだそうで、お買い物に付き添ってくださるとのことです。 お兄様にもご学友はいらっしゃるでしょうに、私などの相手をしていてはご迷惑ではないでしょうか……?
「はい、お兄様。 しかしよろしいのでしょうか? せっかくの長期のお休みですのに、私に付き合っていただいて」
「はは、別に気にしなくていいよ〜。 可愛い妹に悪い虫が付かないようにしっかり守ってあげないとね〜。 ソフィリアがいれば問題ないだろうけど、年頃の女性二人だけでは余計な厄介ごとに巻き込まれないとも限らないからね。 ほら、ミリーは可愛いから攫われちゃうかもしれないでしょ?」
「ありがとうございます、お兄様」
「お嬢様、お荷物はわたくしがお持ちいたします」
私の後ろに控えていたソフィが声をかけてきます。
ソフィは三つ年上の私の専属の侍女で、幼い頃からいつも一緒にいます。
真っ黒な髪を後ろで一つにまとめた姿はまるで女性騎士のようで凛々しいです。 実際に、彼女の剣の腕は男性顔負けです。
「ありがとう、ソフィ。 でも大丈夫、これくらい自分で持てるから」
お財布はお兄様が持っているから、私のカバンに入っているのはハンカチとかちょっとしたものばかりです。
重さなんてほとんどあってないようなものだからわざわざ持ってもらわなくても大丈夫。
「しかし、それでは私の仕事がなくなってしまいます」
「ふふふ、ソフィも今日はお仕事は忘れてお買い物を楽しみましょう? 」
私が歳の近い同性の中で一番親しくしているのはソフィです。 他のご令嬢達となるとやはり貴族同士の上辺だけの付き合いになってしまって、なかなかソフィほど親しくはなれない。
学校に通うようになったら友達が増えるのでしょうか。
「いえ、私はあくまでもお嬢様の付き添いですので」
「いいじゃないか、ソフィリア。 荷物なら私が持つし、一人で選ぶよりも二人で選んだ方がいいだろう?」
「お兄様も一緒にお買い物をしましょう?」
「ん、あぁ〜。 そうだね。 それじゃ、そうさせてもらおうかな〜」
「よろしいのでしょうか……」
「もちろんです。 よろしくお願いしますね」
ソフィにそっと微笑みかけます。
実の姉妹みたいで楽しいです。
「かしこまりました」
私の笑顔に負けてくれたのか、ソフィがウンウン唸りながらも首を縦に振ってくれました。
令嬢と侍女という主従関係を保とうとするソフィですが、いろいろ言いながらも最終的にはこうして私のお願いを聞いてくれる優しいお姉さんです。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ソフィ、この髪留めなんて可愛いですよ」
大通りの露店で可愛い髪飾りを見つけた私は、思わずソフィの方を振り返ります。
ちなみにお兄様は少し離れたところで私たちの様子をぼんやりと眺めています。 今日は色々なお店を回っているので少し疲れてしまったのかもしれません。
私は楽しいので疲れなど感じませんが、女性向けのお店が多くてお兄様には退屈かもしれませんね。
このお店を見終わったら路地裏にある隠れ家のような静かなお店でお茶でもいただきましょうか。
「そう……ね。 み、ミリーによく似合うと思……うよ」
「ソフィ、なんだか口調がぎこちないです」
「申し訳ありません。 しかしお嬢様に敬語を使わないというのは、どうにも悪いことをしているような気がするのです」
「私たちは姉妹みたいなものではないですか。 昔みたいに呼び捨てにしてください」
ソフィは昔からよく私の手を引いてくれていていました。
あまりにも活発なので男の子と間違えられることも多かったそうです。 素の口調が少しぶっきらぼうなのも原因かもしれません。
もちろんそれがソフィのいいところなのですが。
「そ、そんな畏れ多い。 私はあくまでもお嬢様の侍女ですから」
「……むぅ」
私とソフィの関係はわかってはいますが、改めて言われて思わず頬を膨らまします。
……はっ。
こういった子供っぽい仕草は早めに治さないといけませんね。
「わ、わかりました。 善処いたします」
「………」
今度は無言で抗議の視線を向けます。
ソフィが折れてくれるまで私は諦めません。
「ど、努力する」
「はい、よろしくお願いしますね」
ソフィの優しさに満足した私は、私の分と、あとソフィの分の髪飾りを買ってからお店を後にしました。
……あ、お兄様の分も買った方が良かったでしょうか? 髪飾り。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
お昼を少し過ぎた時間。
路地を一本裏に入った通りを歩いています。
たった一本裏道に入っただけなのに、大通りの喧騒が嘘のように静まり返っています。
もう少ししたところに、隠れ家のようにひっそりと佇む喫茶店があります。 貴族の方々もお忍びでよく訪れるお店で、その雰囲気と美味しいケーキがとても人気です。
思わず弾んでしまいそうな足取りをどうにか抑えてお店に急ぎます。
そんなとき───
「いやっ。 ちょっ、離してよ!」
大通りとは反対側の更に奥まった方から、女性の悲鳴が聞こえてきました。
お兄様に声を潜めるようにジェスチャーで示され、お兄様の後に続いて声のした方に近付きます。
「嬢ちゃん、王都に来んの初めてなんだろ? 俺たちが手取り足取り教えてやるよ。 なんなら俺の側女にしてやってもいいぜ?」
「あっ、どこ触ってんの!?」
建物の影からこっそりと覗くと、一人の女性を数名の男性が囲んでいました。
そのうちの一人、女性に話しかけている主犯格と思われる男性には見覚えがあります。
「……お、お兄様、あれって。 確か男爵家の三男の」
「あぁ〜。 しかも、強姦未遂ってところだねぇ。 いや、もう強姦に入るかな………?」
声が震えてしまっている私に対して、お兄様は平然と答えます。 平然とし過ぎていて、 あの光景がしっかりと見えているのか不安になります。
「と、止めに行かないとですよね!?」
声を押し殺したまま、お兄様に問いかけます。
このままでは女性がどんな目に遭うのか、私でも想像に難くありません。
慌てて飛び出そうとしましたが、ソフィに腕を掴まれてしまいました。
「危険です、お嬢様。 お嬢様の身の安全を考えても、ここは一度、憲兵を探してきた方が賢明かと」
「で、ですけど、あの人がっ」
ソフィの腕を振り払って女性の元に走ります。
冷静になって考えれば危険極まりないことなのですが、このときの私は女性を助けることで頭がいっぱいでした。
「あっ、お嬢様!?」
後ろでソフィが慌てたような声を出しますが、そのときにはもう私は男爵子息とその取り巻き達と女性との間に割り込みました。
「その手を離してください!」
「ん、なんだ嬢ちゃん。 この子の友達か何かか? ……へぇ、嬢ちゃん可愛い顔してんな」
男性たちが下卑た視線を向けてきますが、負けてはいけません。
人々の暮らしを支えるのが貴族の務めなのです。 この人にはそのことをしっかりと理解してもらわなければいけません。
キッと男性たちを睨みつけます。
「はぁ〜、ミリー。 あんまり無茶なことをしちゃダメだよ?」
「な、おまっ!?」
男爵子息が私に手を伸ばそうとしたとき、その腕をお兄様が捻り上げました。
突然の事態に男性たちはおろか私と襲われていた女性も唖然としていると、他の男性たちの悲鳴が次々聞こえてきました。
そちらに目を向けると、倒れ伏した男性たちの近くに立つソフィがいました。 その手には殺傷性の低い護身用の短い鉄の棍棒が握られています。
どこから取り出したのでしょう。
「全く、その通りですよ、お嬢様! 相手が手練れだったら、私たちでは鎮圧できなかったかもしれないじゃないですか!」
倒れた男性たちを一瞥すると、棍棒を一振りしてから私の方に詰め寄ってきました。
こ、怖いです。
「は、う、嘘だろ……。 はっ、お、お前らこんなことしてただで済むのと思ってんのか!? 俺は貴族の息子だぞ! 庶民が逆らえるわけねぇだろうが!」
声を裏返らせながら男爵子息が叫びます。
私たちのことを街の者と勘違いしているようです。 いえ、そう見えるようにしているのですが、この状況で気づかないというのは、あまり褒められたものではありません。
強姦をしようとしたのですから褒めるもなにもありませんが。
「こいつの目は飾りなんだね〜。 まぁ、憲兵に事情を離して引き渡すとするかな〜」
「ちょ、お前! 離せっつってんだろうが!」
「私の名字はルーデインって言うんだ。 いくらバカでもこれくらいは分かるでしょ?」
「……は? る、るる」
お兄様がそう言うと見る見る顔を青ざめさせて動かなくなってしまいました。
彼らのことはお兄様が引き受けてくださったので、女性とともに表の通りに出ます。
「あの、ありがとうございました! 私、王都初めてで。 道に迷ってたらあの人に絡まれて……。 あ、こ、公爵令嬢様なんですよね、すみません!」
表通りに出るなり、女性が頭を下げてきました。
子爵子息令嬢くらいまでならあまり珍しくないですが、公爵子息令嬢となると街にはあまり来ませんから、驚いているのかもしれません。
しかしそれは、お父様がすごいのであって、私が偉いというわけではありません。 自分が偉いのだと驕ってしまえば先ほどの彼のようになってしまうでしょう。
「いえ、どうか頭をお上げください。 私自身はなにも偉くありませんから。 ところで、怪我などはないですか? 」
「は、はいっ。 大丈夫です」
「あの、そこまで畏まらなくても大丈夫ですよ? 私たちもお忍びですから」
ガチガチに固まってしまっているので、どうにか安心していただけるようにゆっくりと語りかけます。
あまり目立ちたくもありませんし。
「わ、わかりました」
「貴女、お名前は? 良かったらお送りいたします」
「く、クーティン、です。 宿屋を営んでいる親戚のところに行く予定でした」
「そうですか。 宿屋はあっちの方向ですね。 一緒に行きましょうか」
確かあちらの方には雑貨屋さんもあったと思いますし、ついでに見てみましょう。
「あ、ありがとうございます。 えっと……る、ルーデイン公爵令嬢様」
「私のことはミリーと呼んでください。 私の方が年齢は下ですので呼び捨てで構いません」
「わ、わかりました。 ミリー……さん」
私たちがお忍びだということをしっかりと理解してくださっているようで、難しい顔をしながらも頷いてくださいました。
「お嬢様、時間も限られていますので、移動しましょう。 アインハルト様もすぐに合流するとのことですので」
懐中時計を確認しながらソフィが促してくれます。
ありがたいのですが、一つだけ言っておかなければいけないことがあります。
「わかりました。 ですが、ソフィ?」
ソフィの方を振り返り、真っ直ぐに見つめます。
「なんでしょうか?」
「敬語はやめてください」
「ど、努力、する」