第37話 王都の宿屋さん
「うん、ジャックによく似合ってるね」
「ジャック、可愛いです」
『ワン!』
首輪とリードを付けられてミリーの腕の中に収まるジャックが元気よく返事をする。
下にへローンと垂れた尻尾が元気よく左右に揺れている。
つい最近まで野生だったわけだから、人にここまで懐くのも驚きなのに、首輪を付けられても嫌がるどころか喜んでいるのには本当にビックリだ。
ミリーの腕の中にいる安心感からか、これだけ人が多いところでも取り乱していないし。
「さて、早速だけど宿に行こうか。 いつもお世話になってるところがあるんだ」
いまの時刻は4時前あたり。 宿を取るには少し早い時間だが、あまりゆっくりしていては目的の宿が埋まってしまうかもしれない。
他にも宿はいくつもあるが、いつもの宿の方が色々と都合がいいのだ。
「あの、バレたりしないでしょうか……?」
「まぁ、流石に宿だとバレちゃうかもしれないね」
ちょっぴり困らせてみたくなったから、不安そうに問いかけてくるミリーに、さも当然のように笑顔で答える。
………子供か!
しかし、宿屋ではバレてしまうだろうということは事実だ。
部屋の中でも帽子を被っていては逆に怪しまれるし、食事を取る時に顔を見られる危険性も高い。
運がよければバレないかもしれないが、リスクはある。
「え……!?」
「ふふ、ごめんごめん。 心配しなくても大丈夫だよ。 王都ではトップクラスに信頼できる人の店なんだ。 事情を話せばミリーのことは黙っててくれるだろうし、頼めば部屋でご飯を食べるのも許してくれると思う」
バレてしまうリスクがあるなら、もういっそバレてもいい宿に泊まればいいのだ。
ただ、食事中などは他の宿泊客にバレてしまう可能性もあるから、頼み込んで部屋で摂らせてもらいたい。
そして幸いなことに、俺が普段からよく利用させてもらっている宿屋はこれらの条件を満たしてくれている。
「そ、そんな宿屋さんがあるんですか。 さすがはレオ様です ♪ 」
「ふふふ、ありがと」
『ワン!』
行き交う人の間を抜け、街の宿屋よりも大きな宿屋に入る。
ちなみにリアカーは宿屋のそばに専用のスペースが用意されている。 もちろんある程度のセキュリティは保証されているが、野営用品以外の服や貴重品などを持って宿の中に入る。 野営用品は重いからあまり持ち歩きたくない。
「あら、いらっしゃい、レオちゃん。 そろそろ来る時期だと思ってたわよ」
「お〜、レオちゃんにミリーさん。 やっほ〜、おっひさ〜」
宿屋の中にいたのは、妙齢の恰幅のいい女将さんと二十代前半くらいの従業員の女性だ。
昼飯時はとうに過ぎており、夕食時にはまだ早すぎるためか、食事処も兼ねている店内には他の人の姿は見られない。
「ご無沙汰してます。 ナーシサスさん、クーティンさん」
「事情はジャスミンから聞いてるわよ。 ミリーちゃんよね、よろしくね」
皆さんお忘れかもしれないが、ジャスミンさんというのは俺たちの住んでいる街の宿屋の女将さんだ。 いっつもお世話になっているあの人。
なんとこの宿屋の女将さんであるナーシサスさんはジャスミンさんの姉に当たる人物なのだ。 見た目も雰囲気もそっくり。 双子ではないそうだが、見た目の区別はイマイチ付きづらい。
そして、クーティンさんはジャスミンさんの一人娘だ。 ここの人手が足りないのいうのと、より多くの経験を積むという目的でここで働いているそうだ。 ハツラツとした美人さんだが、女将さん達にパーツパーツが似ており、あと三十年もしたら二人とそっくりになりそうである。
「えと、あの、よろしくお願いします」
「あれ、女将さ……ジャスミンさんから話が行ってたんですか?」
「えぇ、ちょっと前にクーちゃん宛に手紙が来たのよ。 ただ……いくら信頼できる人だからって言っても、そういう他人に聞かれたらまずい内容の手紙を他人に任せるのはよくないわよって返事を出しといたけど」
「はは、そうですね」
女将さん……ジャスミンさんののことだから、かなり相手を選別して頼んだのだろうから心配はいらないのだろうが、姉としてはそうでもないのかもしれない。
しかし、ジャスミンさんからナーシサスさんに話が既に行っているなら安心だ。
「あ、ところでさぁ、ミリーさんってあたしのこと覚えてたりする?」
俺とナーシサスさんが話していたら、隣にいたクーティンさんがミリーに話しかけた。
「ん? 二人って知り合いだったの?」
まぁ、ミリーも王都にいたんだから知り合いでも不思議はないが、王都の宿屋に知り合いがいるなんて本人は一言も言っていなかったよな。
「えっと……。 その、申し訳ありません。 以前何処かでお会いしたことがあったでしょうか?」
困った表情で頭を下げるミリーの姿を見るに、本人はやはり覚えていなかったらしい。
「あちゃ〜、やっぱ覚えてないかぁ。 ま、結構前のことだしね〜。 あたしは割と恩義を感じてたんだけど」
額に手を当てて困ったようなジェスチャーをするクーティンさん。
「5年くらい前かなぁ、あたしが王都に来たばっかのときに困ってたところを助けてもらったことがあるんだよ〜。 てな訳であたしは全力でミリーさんの力になるよ〜。 ママにもその話をしたっていうのもミリーちゃんの力になった理由の一つなんじゃないかなぁ。 まぁ、ミリーさんとレオちゃんの人柄が一番の理由だと思うんだけどねぇ〜」
「そうだったのですか。 申し訳ありません、覚えていなくて」
どうやらミリーが市井の見学をしていた時に何かがあったようだ。
ミリーの性格を考えると、困っている人は片っ端から手を差し伸べていたのだろう。
そのうちの一人がクーティンさんだったというのは運が良かったのかもしれない。
………なんだかんだで、ミリーって運がいいよな。 いや、本当に運が良かったらこんなことにはなっていないのかもしれないが。
「いいの、いいの〜。 そんだけ多くの人を助けてたってことなんだからさ〜」
手をヘロヘロ〜っと振りながら答えるクーティンさん。
相手の正体を知ってても普通に振る舞えるこの人たちは大物なのだろうか。
「ありがとうございます」
「いやいや、ただの恩返しだから〜。 ───でも、ミリーさんが本当に困っているときに力になれなくて本当にごめんね。 あたしがミリーさんが追い出されたのを知ったの、何日か後に配られた張り紙見たときだったから……」
どうやらミリーが王都を追い出された時のことをかなり悔いているらしい。
確かに、クーティンさんが王都でミリーを助けることができていればミリーは草原を彷徨い歩く必要もなかっただろう。 しかし、実際に罪が市井に公開されたのは何日も後のことだろうし、ミリーが王都を追い出されたのは夜だったと本人が言っていた。
クーティンさんがミリーを助けられなかったのも仕方がなかっただろう。
そうは言っても、そんなことは何の慰めにはならないことくらい、俺でも察することができる。
「い、いえ、お気になさらないでください。 確かに大変でしたが、今ではこうしてレオ様にお会いできましたから」
「あっちゃ〜。 随分と甘々だねぇ。 まっ、幸せそうでよかったよ〜」
「それで、今回も3泊でいいのかしら?」
「はい。 部屋、空いてますか?」
「もちろんよ。 それじゃあ、これが部屋の鍵ね。 クーちゃん、案内よろしくね」
「はいは〜い。 そんじゃ二人ともついて来てね〜。 あ、ワンちゃんがあんまり部屋を汚さないようには気をつけてね〜」
ナーシサスさんから鍵を受け取り、階段を上がって行くクーティンさんの後に続いた。