第33話 小さな犠牲
「さて、今日はここまでにしておこうか」
川と林が近くにある場所で立ち止まる。
水も薪も簡単に手に入れられるから野営にはもってこいの場所だ。
……ところで、婚約の件は詳しくは家に帰ってからということになった。 本当ヘタレでごめんなさい。
「そうですね。 もう日も傾いてきましたし」
これから野営の準備をして、夕食を食べ始める頃には日も沈むだろう。
ただでさえ日の動きに左右されるこの世界でも特に旅のときは、日の入りとともに寝て日の出とともに起きるという生活を余儀無くされる。
まぁ、慣れてればそれほど大変なことでもないんだけどね。
「まずはテントの設置からかな」
ミリーが休める場所を作っとくべきだろう。
見たところはあまり疲れていないようだが、本人が隠しているだけかもしれないし早めに休ませてあげたい。
「お手伝いいたします」
「ん、いいよ、ミリーは休んでて」
テントの設営は力仕事だからミリーには大変だろう。
こういうのは俺の仕事だ。
「ですが私だけ休むというのは……」
「大丈夫。 ミリーはゆっくり休んでて。 ね?」
「ですが……」
ミリーの性格的に、俺だけ働かせて自分は休むというのは気が引けるのかもしれない。
俺がミリーのためにやりたいだけだから、そんな遠慮はいらないのに……。
いつもなら料理をしてもらうとか掃除をしてもらうとかっていう方法があるんだけど、食事は保存食だし掃除の必要もないから頼めそうなことはない。
何か、危なくなくてそんなに疲れないものは……。
「うーん。 それなら薪用に木の枝を集めて来てもらってもいいかな? 量はそんなにいらないから、落っこちてるやつを適当に集めて来るだけでいいよ」
水汲みは重くてたくさん歩いた後には大変だろう。
薪なら少量ならそこまで重くないし、そう歩かなくても見つかるはずだ。
しかし、前世の価値観があるからなのか、それとも俺の性格からなのか。 はたまたミリーへの愛情ゆえなのかわからないが、万が一にも何が起こるかもしれない場所でミリーを俺の目と届かないところに行かせるのはどうにも不安がある。
これが街の中などなら心配は少ないだろうが、こんな場所では盗賊が出るかもしれないし、ミリーに悪意を持った貴族が通りかかるかもしれない。
……やはり無理やりにでもここで待機させた方がいいだろうか?
「薪ですね、わかりました!」
嬉しそうな表情でミリーが返事をする。
今更、やっぱりダメだなんて言えないじゃないか。
「……10分くらいしたら帰って来てね。 あと、あんまり遠くに行っちゃダメだよ。 あと、道に迷わないようにね? でも、もし道に迷ったら下手に進もうとしないで大声を出してね。 あと、転ばないように木の根っこには木を付けてね。 あと───」
「もう、レオ様、私は子供ではないのですから大丈夫ですよ ♪ 」
怒ったような口ぶりに反して、ミリーの表情はニヤけている。
過保護……ではあるが、ミリーに鬱陶しがられていないようで良かった。 まぁ、ミリーに対する過保護を直そうとは思えないが。
「はは、そうだね。 それじゃあ気をつけてね」
「はい。 行って参ります」
「ん、行ってらっしゃい」
笑顔でミリーを見送ってから、テキパキと野営の準備を続ける。
ミリーが帰って来るまでにテントと焚き火の場所くらいは作っておきたい。
「あとは焚き火する場所を作らないとな……」
テキパキとテントを組み立て、スコップをリアカーから取り出していると森の方から足音が近づいて来た。
予定だとあと2、3分くらいは帰ってこないかと思ったのだけどたくさん集まったのかな。
「ミリーお帰りなさい。 早かったね」
「ただいま戻りました。 ……あの、レオ様」
ミリーはその腕に木の枝の他に小さな毛玉のようなものを抱えている。
モルモットくらいの大きさだ。
「ん? その子は」
「森の中に倒れていたんです。 まだ息はあるのですが酷く弱っていて、それで……」
薪を下に置いて抱えていたそれを俺の方に見せる。
先ほど草原で見かけた見かけたミニチュア版・ミニチュア・ダックスフンドの子供だろう。
要するに、ミニチュア版・ミニチュア・ミニチュア・ダックスフンド。 ……長いな。
呼吸が弱々しく、衰弱していることが目に見えてわかる。
足から血が出ているから何処かで怪我をしたのかもしれない。
この動物は群れの意識が強く、怪我をした程度では見捨てられることはないから、群れからはぐれたというのが可能性としては一番高い。 けれど、もう生きていけないと判断されたというのも考えられる。
この様子ではあと数時間で死んでしまうだろう。
「あの、私たちで育ててあげることは───」
「……正直なことを言うと、やめておいた方がいいと思う。 下手に助けたら群れの仲間が寄り付かなくなるかもしれないし、もしかしたら何かの病気を持っているかもしれないし」
野生の動物は、人間の手が加えられると群れに馴染みにくくなるというのを聞いたことがある。 嘘か本当か知らないが、あまり深入りしない方がいいだろう。
「もといた場所に戻して来るのが一番だよ。 一応、近くに餌になりそうなものは置いておいても大丈夫だと思うけど」
「それでは───」
途中まで言って、ミリーは自ら口を塞いだ。
『それではこの子は死んでしまう』と、言おうとしたのだろう。
「何事にも犠牲というものは仕方がないんだ」
王妃となるべく勉強をして来たのなら、嫌でもそういったことは勉強しているだろう。
公共の利益のための個の犠牲。
もちろん犠牲がないに越したことはない。 しかし、その方法がないのならば、少しでも少ない犠牲で済ませるしかないのだ。
そのための犠牲。
この子も自然界の生存競争の中の一部。
怪我をして、自分で生きることができなくなったのなら死を待つしかないのだ。
その死よって他の生き物が栄養を得ることができ、命をつないでいく。
冷たいようだが、この子は仕方がなかったのだ。
「犠牲……ですか……」
そう呟くミリーの言葉は震えていた。
ミリーのその言葉には、まるで仔犬に彼女自身の姿を重ねているように思えた。
力尽きて倒れていた命。
仲間に見捨てられた命。
ミリーにとっては、ここで自分までもがこの子を見捨てるという判断は、自分で自分を見捨てる行為に等しいのかもしれない。
それはミリーには辛い決断だろう。
───それにミリーには、見捨てるようなことはして欲しくない。
「……わかったよ。 まぁ、この子が弱ってるのは病気が原因じゃなくて足の怪我だろうから大丈夫でしょ」
「ほ、本当ですか!?」
俺の声を聞くなり、ミリーがバッと顔を上げる。
「うん。 足の手当をしてあげた方がいいね。 待ってて、ちょっと水汲んで来るから」
傷口を洗うには水がいるだろうし、飲み水もいるだろう。
「あの、私も……」
「ミリーは荷物の中から包帯を出してあげて」
慌ててついて来ようとしたミリーを手で制して、治療の準備をするように指示をする。
「は、はい。 わかりました。 ありがとうございます!」
ミリーの笑顔が眩しい。
うん、これだけでも仔犬を助ける意味はあるかな。
荷物の中から桶を取り、近くの川に向かった。




