第17話 髪を切ってみた
「ふぅ〜」
夕食の後片付けを終えてゆっくりとお茶を楽しむ。
テレビがあればいわゆるゴールデンタイムなのだが、テレビはおろかエレキテルの存在すら怪しい今世では、こうしてゆっくりとお茶を楽しんだり本を読んだりするのが俺の楽しみだ。
最近はいつの間にかミリーと仲良くなったのか、イレースちゃんを筆頭にパーティー会場にいた女の人たちがウチに来てはミリーと2階で話し、やけに百合百合しい雰囲気を纏いながら家路に着くのが多かった。
おかげで俺も少しだけ疲れていたりする。 こういうゆっくりできる時間は素晴らしい。
「あの、レオ様……お願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
俺の向かい側で同じくお茶を飲んでいたミリーが口を開く。
風呂を炊くときはどちらかがこのタイミングで風呂に入っているのだが、今日はお湯で汗を流すだけの予定だ。 手動だとさ、大変なんだよ。
「なに?」
「髪を切りたいのですが、お願いできますでしょうか?」
「髪?」
ミリーの言葉を思わず繰り返す。
確かにこの世界では髪は自分で、もしくは家族に切ってもらうのが一般的だ。
もちろん貴族には専属の理容師がいるし、王都には庶民向けの床屋のようなものもあるらしい。 しかし、ここみたいな中規模の街だと床屋がないのは決して珍しいことではない。 ちなみに俺は、自分で頑張るか、女将さんにやってもらったりしてた。
……だけど、俺の目からはミリーの髪は出会った頃とあまり変わっていないと思う。
もともとが腰まで伸びる長さだったから変化がわかりにくいのかもしれない。
「はい。 以前切ってから時間が経っていまして。 それに、あまり長いと洗ったりするのが大変なので」
「ん、わかった。 ただ、俺もあんまりうまくはないから、期待はしないでね?」
わざわざ言うまでもないが、俺のハサミ捌きは前世の床屋はおろか、今世の床屋の足下にも及ばない。
専属の理容師に切ってもらっていただろうミリーの髪に俺がハサミを入れるのは少し申し訳ないが、伸ばしっぱなしにするよりはいいだろう。 何より髪の美しさを損なわないように精一杯頑張るつもりだし。
「わかりました。 ですが、レオ様に切っていただけるなんて楽しみです」
「お、おぅ。 それじゃあ準備をするから風呂場で待っててもらっていい?」
ヒマワリのような笑顔を咲かせるミリー。 相変わらず眩しい。
「お風呂、ですか?」
「うん。 その方が飛び散った髪を流しやすいからね」
「なるほど、確かに飛び散ってしまってはお掃除が大変ですからね。 それで……服は、脱いでいた方がいいですか?」
「い、いや。 着たままでいいよ。 というか着ていてください。 集中できなくなるから」
服の裾に伸ばされてた手を慌てて止める。
見たくないわけじゃないけど、いろいろとマズイじゃん?
なんだかんだで、お互いの裸はまだ見たことはないし。
「わかりました」
……すこ〜しだけ、残念そうな声音だったのは気のせいだよな?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ミリーを風呂場用の木の椅子に座らせて、濡れていないバスタオルを巻きつける。
イメージは床屋や美容院で付けられるエリマキトカゲみたいなアレだ。 正面には鏡を置いてあるから気分は本当に床屋みたいだ。
「どんな感じにする? 長さとか、ボリュームとか」
「えっと……。 それでは、肩口あたりまで切っていただきたいです」
「そんなに大胆にバッサリやっちゃっていいの?」
「はい。 短い髪というのは以前はできませんでしたから。 もう貴族ではないのですし、思い切って短くしてみようかと。 レオ様は短い髪はお嫌いですか?」
「う、ううん。 そんなことないよ。 わかった、そういうことなら任せといて」
本人が意図してのことなのかどうかはわからないが、それはつまり『貴族社会との決別』を意味しているのではないだろうか。
貴族はいまのミリーのように腰のあたりまで髪を伸ばすのが風習なのだと聞いたことがある。 それを盛ったり、結ったりして気品と美しさを静かに競うのだと。
短くしてしまえば、結ぶことはできるだろうが盛ることは難しくなるだろうし、盛ったときの見栄えも劣るだろう。
ミリーならばセミロングでドレスも十分に似合うだろうが、似合う似合わないは貴族の争いごとには通用しない。
そう感じつつ、俺はミリーの髪をゆっくりと撫でた。
「よろしくお願いいたします」
うん。 可愛い。
ミリーの笑顔にほっこりとしながら、その髪にそっと刃を入れる。 ハサミがそれ専用のものではないから痛くないように気をつけながらだ。 専門のハサミとか売ってたらすぐに買うんだけど、流石にないからなぁ。
まずは思いっきりバッサリと。
ご要望の長さよりも少し長めにしておいてあとで微調整をするつもりだ。
………バッサリ切った髪は勿体無いからまとめて別のところに置いておく。
これはセーフだよね?
ヤンデレキャラって髪の毛とかを保存してたりするけど、こんなに艶があって綺麗な髪を捨てるなんてできるわけないでしょ? 病んでないよ、俺は。
なーんて意味のない言い訳してないで、ミリーの髪を綺麗に整えていく。
「ミリー、ちょっとだけ目を閉じて?」
「はい」
最後に前髪を整えていく。
長さは眉と目のちょうど中間くらい、かな。
「───よし、こんな感じでどう? ……後ろ、上手く見える?」
ハサミを置いて、手鏡をミリーの髪の後ろに持っていく。
ちょっと見にくいかもしれない。 美容院みたいに大きなものがあればいいのだが、残念ながらウチにはない。
この世界では鏡はさほど貴重ではないから、今度買ってみてもいいかもしれないな。 ……鏡を作るのにはそれなりの技術が必要だったと思うのだが、どうやって作るているんだろうか。
「完璧です! 後ろもしっかりと見えています。 なんだか身も心も軽くなったような気分です!」
こちらを振り返って微笑む姿は妖精のように美しい。
「う、うん。 それはよかった。 切った俺が言うのも変かもしれないけど、短い髪のミリーもとっても素敵だよ」
「レオ様……」
その瞳はまるで大海原のように深く、それでいて光を受けてキラキラと輝きながら、わずかな潤いを湛えていた。
ドレスのスカートのように遠心力で大きく揺れる髪は、頬を染めるミリーの輝かしさをより一層引き立てている。
「んっ……」
互いの距離が縮まっていき、唇がそっと触れ合う。
軽く触れ合うだけのキスだが、それだけで心が満たされるような充足感を覚える。
ミリーの髪をそっと撫でてからゆっくりと離れる。
「さ、それじゃあ片付けをしよっか。 ミリーは髪ももう一回洗った方がいいと思うし」
「はひぃ」
トロンとした表情のまま頷くミリー。
うん、やっぱ可愛い。




