the daily life~これが日常~
やっと救急救命っぽいことが書けました…
ピーピー!ピーピー!
私は無意識のまま、けたたましく鳴いているベル鳥の頭を撫でる。するとその小鳥は鳴くのを止め、窓際に置いてあった水飲み皿の方へ飛んでいった。
「ん…。」
目の前のサイドテーブルに置いてある腕時計で確認すると、時刻は午前4時30分……。どうやら3時間は眠れたようだ。
寝ていたソファから起き掛け布団を取り払うと、昨日から着っぱなしの青い戦闘服が現れる。3秒で身だしなみを整え、腕時計やら筆記用具やら忘れ物がないかをチェックする。最後に、口笛を吹いてベル鳥を呼ぶ。まるで私と同じように出発に向けて毛づくろいをしていた彼女は、すぐに飛ん私の胸ポケットに収まった。
ベル鳥はその小柄な体に似合わず大きな声で鳴くことから、古くから朝を知らせるトリとして重宝されてきた。近年の研究で、ボスベル鳥が鳴けば近くにいる同じグループの鳥が一斉に鳴く、という性質を持っていることが分かった。この性質にいち早く注目し、仕事に活用し始めたのが病院だ。今では規模の大きい病院では必ずといって良いほど、医者の呼び出しにベル鳥を使っているさっき私のベル鳥が鳴いたのも、下にいるボスベル鳥が鳴いたからだ。ちなみに、医者は普段ベル鳥をポケットに入れて行動しているため、私たちはそれにちなんでベル鳥のことを「ポケベル」と呼んでいる。
用意が整ったところで、私はすぐに部屋を出て5階に向かう。東棟にある観音開きの¨自動ドア¨をくぐると、そこが私の仕事場だ。
申し遅れたが、私の名前はハル。ここ私立プランタン大学附属病院で働く一介の医者だ。メール大学を卒業後その附属病院で研修を積み、3年前に故郷であるエトワールの街に戻ってきて以来、この病院で救命医として働いている。今は当直中で、急患で呼び出されたところだ。
私の所属する救急部は、二つのエリアが繋がって出来ている。まず、入口から一歩足を踏み入れるとそこが第一のエリアだ。左手に看護師達のデスクとその奥にカンファレンスルーム、右手にここの基準では重症度の低い患者のいる部屋がある。そして、奥には第二のエリアに繋がるドアがある。第二エリアは別名、ICU――集中治療室と呼ばれている。
「おはようございます。」
挨拶をしながら第二エリア、ICU内に入る。……医者が誰もいない。この時間では患者さん達もまだ寝ているので、めったにないくらい静かで寂しいICUだ。……私に気付いた夜勤の看護師が、挨拶を返してくれた。
「おはようございます、ハル先生。もうヤマーネ先生と研修医の先生達は出迎えに行っちゃいましたよ?」
――ガーン!遅かったか……。これでも精一杯早く来たつもりなんだけどな……。
ちょっと落ち込む私に、彼女はやってくる急患の情報を教えてくれた。
「午前4時27分、Cブロックより連絡鳥が入り車が急行、あと3分でこちらにつきます。患者は35歳男性、朝方に激しい腹痛を訴え、男性の妻が連絡してきたようです。」
「ありがとうございます。では私も出迎えに行きますか。」
私は車が来る8階へと急いだ。
車がやって来るのは、一般のバスが着くのとは反対側にあるデッキだ。デッキのすぐそばに救急用の部屋が設けられていて、運ばれてきた患者さんはここですぐに簡単な処置や検査を受けることが出来るようになっている。
私がその部屋に着く頃にはすでに感染防止の服に身を包んだ看護師が待機していて、その横で同じく準備の整った研修医達がそわそわしながら患者の到着を待っていた。そして、彼ら研修医達の指導医であるヤマーネ先生もちゃんと待機していた。
到着が遅れたことを軽く謝って、私は邪魔にならない部屋の端っこで待機することにした。人数は足りているので着替える必要はないし、研修医達への指示はヤマーネ先生がいるから大丈夫だ。
やがて、近づいてくるサイレンの音が聞こえだした。段々大きくなってきた音が最高潮に達した直後、プツンと途絶えた。曇りガラスで出来たドアの向こうで赤い光が見えた。何人もの人ががやがやと集まってしゃべっている声が聞こえた後、ストレッチャーに乗せられた患者さんが運ばれてきた。……ここからが本番だ!
さっそく一人の研修医が患者さんの脈を確認し、意志疎通が出来るかどうか大声で話しかけて診ている。……どうやらそれは問題無さそうだ。どこが痛いのか、どんな風に痛いのか、弱々しい声ながらもしっかり答えられている。その間にもう一人の研修医がレントゲンの準備をしていた。後ろでは鉛の板を持った看護師が待っている。
ある看護師は入口付近で、救急隊員の話や付き添いの奥さんの話をメモしてまとめてくれていた。奥さんはひどく心配そうな顔をして、時折みんなに取り囲まれている夫の方をちらりちらりと見ていた。しかしながらこの部屋は一般の人は立ち入り禁止だ。奥さんが病院内に入るためには、一旦正面入口に回ってもらうしかないのだ。
「ハル先生、奥さんをお願いします。」
ここで初めてヤマーネ先生からの指示が来た。
「分かりました。」
私は看護師からメモを受け取ると、奥さんを落ち着かせてより詳しい状況を聞くために動き出した。……
検査の結果や聞いた話をまとめた結果、どうやら患者さんの腸は破裂していて、内容物がお腹の中に撒き散らされていることが分かった。当然、緊急手術が必要な状態だ。
私は患者さんの病態を、部屋の前のソファで待っている奥さんに伝えに行った。奥さんも手術になるのはある程度予想していたようで、取り乱すことなくしっかりと聞いてくれた。
奥さんの了承を得て、すぐに私たちは聖域に入った。執刀医は私。ベテランのヤマーネ先生が助手として入ってくれるため、特に心配はいらない。私たちは戦士となり、ひたすら剣を振るった。……任務は昼頃までかかって無事に終わった。
手術後、すぐに目を覚ました患者さんとその奥さんに何回も礼を言われながら、私はICUに戻る。そこではサイトラ先生という心臓のスペシャリストが、急に容態の変化した患者さんを診ていた。ICU内に緊張感が漂う中、またしても一羽の連絡鳥が舞い込んできた。今度は事故――ビルの清掃員が3階から誤って転落したらしい。……ほっとする暇もなく、私は再び戦士となった。
忙しく働き回るうちに、気づけば朝御飯も昼御飯も食べることなく夜を迎えてしまっていた。カンファレンス後、一緒に当直する先生方と一緒に仕事場の隣にある救急医専用の談話室兼デスク兼仮眠室に集合して夕御飯だ。いつも出前をとることにしているのだが、メニューは研修医任せだ。……今日の晩御飯は焼き肉弁当!!ラッキー!!
週にいちどの豪華な出前にテンションが上がってしまう。空きっ腹に焼き肉なんて……という人もいるかもしれない。でも、ちょっとでもスタミナのつくものを食べなければ、このハードな職場ではやっていけない。精神的に。
しかも夕食後は少し暇な時間が出来る。後は21時に採血などをして、一応業務は終了だ。ここからは何も起きない限り朝まで仮眠を取ることが出来る、というわけだ。残念ながらその可能性は五分五分以下なのであるが。みんなは睡眠時間を少しでも確保するために一斉に仮眠ベッドに散らばった。私も自室に引き上げた。
患者の容態は急変する。連絡鳥は待ったなしに飛び込んでくる。いつ何が起こるか誰にも予測出来ない、そんな現場で働いているからこそ、いつでもどこでも寝られて、少ない睡眠時間で体力を回復、または温存する必要があった。
その日は残念ながら、23時に来た連絡鳥を皮切りに、続々と連絡鳥が押し寄せる形となってしまった。もはや何度目か分からない救急隊員との対面に、お互い苦笑するしかない。
「お疲れさまです、先生。」
「いえいえ、そちらこそ。……今日は特に急患が多いようですね。」
「そりゃ、¨引きのハル¨先生が当直をやってらっしゃるからでしょう。」
「……ははは。」
なぜかは知らないが、私が当直をしている日には連絡鳥がいつもの倍ぐらいやって来て、救急隊員の間では有名になっている、らしい。
それでも私たちはめげずに一晩中働き続けた。ようやく座って一息つけるようになったのは、朝になって引き継ぎが終わってからだった。
仕事を終えやっとのことで自室に引き上げる頃には、さすがに疲労感が蓄積していた。気力だけでソファに辿り着くと、行儀悪くダイブ、と言うよりは崩れ落ちるように横になった。幸いなことに明日は非番だ。……おやすみなさい。ストン。1秒たつかたたないかの間に、私の意識は深みに落ちた。