嵐のまえぶれ
ICUに戻ると、たった今車で来たばかりの患者さんに皆が集まっていた。実は昼食中に私のポケベル鳥もちゃんと鳴いていたから、車の存在は知っていた。
「あ、ハル先生!お帰りなさい!」
若手の看護師が気付いて声をかけてくれる。
「ただいま。これ、どうしたの?」
「タナ個人病院から搬送されて来たんです。…もうすぐご家族もご到着なさるそうです。」
「担当は?」
「コバシ先生です。」
「そう…。」
コバシ先生は今、研修医達にお手本を見せるべく、患者さんの静脈ライン確保を行っていた。これを行うと、直ちに薬剤を投与することが出来るようになるのだ。
私はサーベルさんに近くで見ますか、と声をかけようとしたその時だった。
ピーピー!連絡鳥が飛び込んできた。すぐに担当の看護師が、連絡鳥が運んできた内容を読み上げる。
「58歳男性、突然背部の痛みを訴えて搬送。6分後に到着します。通報者は男性の妻、Aエリア在住です。」
「「「「!!!!」」」」
一瞬でその場にいた全員に緊張が走った。
「…コバシ先生はそのまま患者さんについていて下さい。メイさん、念のためサイトラ先生に連絡を。」
すぐに、医者歴20年を越えるヤマーネ先生がてきぱきと指示を出し、その場をまとめていく。
「ハル先生、私と一緒に患者さんを迎えに行きましょう。」
「…!分かりました。サーベルさん、行きましょうか。」
私は早歩きでヤマーネ先生について行きながら、まだ良く分からないまま回りの緊張を感じとって不安そうな表情を浮かべているサーベルさんに状況を説明する。
「今から患者さんが一人、搬送されてきます。もしかしたら緊急手術になるかもしれません。」
「手術…ですか。」
「えぇ、それもとても難しい手術に。」
「…!」
サーベルさんの顔にサッと緊張が走った。きっと私も同じような顔をしているに違いない。だから私は、それをほぐすためにあえてこう言うことにした。
―先にお昼食べておいて正解でしたね、と。
私達が8階についてすぐに患者さんが搬送されてきた。ちらっとみたその体型は、かなり肥満気味だった。
即座に必要な検査が行われ、下された診断は―急性大動脈乖離、A型。今すぐにでも大手術を行わなければならない、非常に厄介なものだった。残念ながら予想が当たってしまった。私達はすぐに、聖域に向かった。
本当は執刀医はヤマーネ先生になるはずだった。しかし、診断がついた直後にまたベル鳥が鳴き、ICUで病態が急変した患者さんが出たことを告げ、ヤマーネ先生はそっちの対処をしなければならなくなってしまった。ともに聖域に移動しながら、ヤマーネ先生が呟く。
「昼間からこんなにたくさん手術が入るなんて…さすがは¨引きのハル¨先生ですね。」
「ヤ、ヤマーネ先生までそんなこと言わないで下さいよ!!」
私の苦情をだって当たってるでしょと軽く流し、ヤマーネ先生は真剣な表情でこちらを見た。
「ハル先生、頑張って下さいね。あの奥さんをギャフンと言わせてやって下さい。」
「…!」
実は、執刀医として患者さんの奥さんに手術の重要性と危険性を説明したところ、そんな大変な手術なのに女の人で大丈夫なの?的なことをあからさまに言われて、いつものことながらぐさっと来ていた。そうは言っても、心臓のスペシャリストであるサイトラ先生を待っていては間に合わない。手術の緊急性を再度説明し、なんとか説得出来たのだった。
「…分かりました。自分に出来ることは全てぶつけてきます!!」
「そのいきですよ!」
こうして私は、聖域と書かれた二重扉をくぐり、異世界へと旅立った。