雷の力
「パリス!!あぁパリス!!」
横たえられた男性にしがみついて泣き叫ぶ女性をさりげなく引き離し、ハルは男性を診た。…呼吸していない!
そこからのハルの動きは速かった。男性の衣服を持参していたハサミでさっと切って胸をはだけさせると、すぐさま胸骨圧迫を開始した。地面と垂直に伸ばされた腕が、一時も止まることなく規則正しく上下に動く。その明らかに手慣れた様子に、女性も泣くのをやめてハルの邪魔をしないように大人しく下がった。
「ハルさん!!僕もお手伝いします!!」
ひとまずは任務を終えたレスキュー隊員達がハルの回りに集まってきた。
「それじゃ、交代して貰えるかしら?」
「了解です!行きますよ?いちにのさん!」
隊員とハルは絶妙のコンビネーションで、間を開けることなく胸骨圧迫を代わって見せた。
胸骨圧迫は見た目よりも力がいる。さすがに額に汗を浮かべながらも、ハルはそのまま休むことなく鞄からあるものを取り出した。それは2枚の手袋のようなもので、ハルはそれを装着すると、男性の左胸と右脇腹に両手をあてた。すると…ハルはまた異世界に飛んでいた。
そこは、何もない空間だった。ただ大きなポンプだけがそこにあった。ハルには分かっている。そのポンプの動きが、それこそ手にとるように。本来そのポンプは自らの力で動いてたくさんの水を送り出す働きを担っているのだが、今は弱っていてそれは叶わない。その代わり、外部からの力で無理矢理潰され、その力を解除することで膨らまされ、なんとかその働きを再現しようとしていた。
…ハルがしなければならないのは、このポンプが本来の働きを取り戻せるように手助けすることだ。ハルはこの世界に来た時から手にしていた黄色の杖を握りしめた。
「な、何してるんですかい!?」
現実世界では、やっと追い付いてきて、後ろから遠巻きに見ていた男がハルに問い掛けていた。男からは、ハルは男性の胸に手をあてたまま沈黙しているように見えた。
「しっ!静かに!!今、先生がこの男の人の心臓の動きを解析して下さっているんです!!」
「…!そんなことが…!?」
「離れてください!!」
「!!」
突然のハルの鋭い言葉に、男も隊員達も、女性も一旦男性から離れた。ハルは相変わらず男性の胸に手を置いたままである。
異世界では、ハルは黄色の杖に力を注いでいた。段々杖が黄色のオーラをまとっていく。それが最高潮に達した時、ハルはさっと杖をポンプに向けた。
「命の稲妻!!」
ピカッ!!稲妻が、ポンプをまるで串刺しにするように通り抜けた。すると…電気に撃たれたポンプはゆっくり動き始めた。ドクン、ドクン。しっかりとした拍動が異世界を揺らし始める。
「…。」
現実世界では、ハルのギャラリー達が、また沈黙しているハルをじっと待っていた。離れて下さい!と言った後、ハルは男性のまわりにいた人々が完全に離れたのを確認してからショックします!と言った。すると、いきなり男性の体がバン!と跳び跳ねた。強力な電気が彼の心臓を貫いたのだ。女性はそれを見て悲鳴をあげ、おもわず駆け寄ろうとしたが隊員におさえられている。そしていまだ手を置いたままのハルは…。
―ピクリ。ハルがうつむいていた顔を上げた。
「すぐに胸骨圧迫を開始して下さい!」
「…!了解です!」
これが何回か繰り返された。やがて…。
「もう大丈夫です。止まっていた心臓は完全に動き出しました。…すぐに病院に運んで治療をしなければなりませんが。」
「「「「おぉぉぉぉ!!」」」」
思わず拍手がまきおこった。みんなが分かっていた。ハルが男性の命をこの世に繋ぎ止めたことを。ハルがこの場にいなければ失われていた命が、また一つ救われたことを。
すでにその時には病院の車が到着していたため、担架が運ばれてきて救急救命士達が男性を乗せて飛行機に運び、急いで飛び立っていった。勿論あの女性も一緒に。
ハルは地上からそれを見上げながら、ほっとため息をついた。…自分に出来ることはした。後は職場にいる同僚達がなんとかしてくれるだろう。男性は意外にもそんなに大きな怪我を負っていなかった。おそらく、藁がクッションとなって飛行機を受け止めたのだろう。あれなら大丈夫。すぐに治って社会復帰出来るだろう。
ふと、ハルの脳裡に、自分が初めて出会った事故現場の様子が浮かんできた。いや、浮かんできたというのはおかしい…。あれは二度と忘れることが出来ないのだから。燃え盛る飛行機、泣き叫ぶ女性。パイロットの男性は足を挟まれていて、救出は困難を極めた。焼け焦げる肉の臭いが辺りに立ち込め、あれはまるで―。
「いやあハル先生、今日も助かりましたよ。」
ハルははっとした。嫌だわ…また自分の世界に閉じこもるところだった。
レスキュー隊員の一人が、ハルが引き上げるというので挨拶をしにきたのだ。ハルは救出の際に軽い火傷を負った隊員達の手当てをし終えたところだった。
「いえいえ、これしきのこと、医者なら誰でも出来ますわ。」
笑顔で答えるハルに、隊員は若干顔を赤らめながら誇らしそうに続ける。
「さすがは¨青い天使¨。先生のような人がいる限り、世の中捨てたもんじゃないと思いますよ。」
「また隊員さんは大袈裟なんですから…。それではまた。」
照れたように言いながら、再びキュウちゃんの背に乗って夜空を舞うハルに、隊員はその姿を見失うまでずっと手を振っていた。
よく考えてみたら、ハルは現代では教習所でも教えて貰えるような胸骨圧迫と電気ショックしかやってないんですよね…。でも、これが大事。