五章 ~不穏な気配 移ろう心~
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僕は放課後、図書室に寄っていた。ついでに、西崎君も一緒だ。
「あ、ゆーちゃんじゃない。おひさー」
入るなり馴れ馴れしく駆け寄ってきたのは、三年の森さん。文芸部の部長だ。
「それにゆーくんも。ゆー&ゆーでご登場とは、明日辺り台風かな?」
「この季節に台風が来るわけありません。単に、書いたのを提出しに来ただけです」
僕はそう言って、持ってきたUSBメモリーを森さんに渡した。中身は小説のデータ。僕は文芸部の部員で、今渡したのは僕の書いた小説だ。何でも、近いうちに晒すから要提出、とのことらしい。
「俺も書いたんで、チェックよろしくっす」
西崎君のほうはマイクロSDだった。彼は携帯のメール機能を使って書くので、こういう形で提出することが多い(因みに、変換は部長の仕事)。あ、実は西崎君も文芸部員。運動神経はあるのに運動部に入らない変わり者だ。
「はーい確かに受け取りました。っていうか二人とも、出す物出すのはいいけど、それとは別にちゃんと顔出してよねー」
「忙しいものですから」
「そうねそうねー。決まったんだって? 風の噂で聞いたよー」
決まったというのは、僕の書いた小説の出版の話だろう。何か適当なラノベの賞に応募したところ、いつの間にかそんな話になっていた。別に入賞したわけでもないのに、出版社が費用持ちで出してくるというから、ありがたい話だと思って受けたのだ。
「運が良かっただけですよ。人の目に留まるかどうかは運にも左右されますし」
「そうかもねー。だけどそれは、未だにアマチュアの人からしてみれば、ただの嫌味にしか聞こえないからねー」
そうかもしれないが、だからといって誇らしげにするのも相手の気に障ると思うが。
「ま、いいや。とりあえず出たら教えてー。買ってあげるから」
「ええ」
その後森さんとは二、三言話して、西崎君と共に図書室を後にした。
「ふぅ、やっぱり部長と話すのは疲れるぜ」
「まあ、君はそうかもしれないでしょうけど」
そんなどうでもいいことを話しながら、昇降口へ歩いていく。
「さーてと、さっさと帰ってゲームでもするか」
「ほどほどにしたほうがいいですよ」
下駄箱から靴を出して、履き替える。さて、後は帰るだけ―――
「……」
「ん? どうかしたか?」
今何か、誰かの悪意を感じたような気が……。
「西崎君、ちょっと先に帰っててもらえます? 少し用事があるので」
「え? あ、ああ、いいけど……」
訝る西崎君を尻目に、僕は走り出した。
僕は昔から、他人の考えていることが分かった。それは単なる感情の動きから、具体的な思考まで、その時の「状態」によって変わる。けど、普段はそれが働かないようにしていた。勝手に人の心を読んでいては、その人のプライバシーにかかわるからだ。でも、今のは違う。察知できないようにしようとしても、感じ取ってしまうほどの強い悪意。いや、最早これは害意だ。誰かを傷つけようとしている者の思念だ。多分、かなり遠くから飛んできたものの筈。それでも分かるのだから、その根源がどれほど強い意思を持つのかは想像に難くない。
その害意を追って走り続けること一分、僕は見事に息を切らしていた。……忘れていた。僕は持久力が著しく低いんだった。仕方がないのでとぼとぼ歩きながら、害意の発信源を探す。果たしてそれは、意外と早く見つかった。
「ひぃっ……!」
ガードレールに背を向け、怯えた表情でへたり込んでいる牧野さん。後退ろうとするが、ガードレールに阻まれているため出来ず、また出来たとしても、その下を通る道路に落ちるだけだろう。
「へっ、図体の割りに小心もんなんだな。まっ、それも仕方ないか」
そして、そんな彼女を追い詰めていたのは、右手に銃―――恐らくはモデルガンを持った、あいつだった。
「おら、もっと泣き喚けやっ!」
あいつはその下品な顔を牧野さんにずいっと近づけ、手にした銃を彼女のこめかみに突きつける。
……もう、限界だった。何でこんなことになってるのかとか、その目的は何かとか、気になることは沢山あった。そして、それを理性的に解決する方法も分かる。でも、それでは意味が無いと分かった。あいつは多分、もっとしっかりと―――徹底的に懲らしめなければ、同じことを繰り返すだろう。となれば、「僕」にはこれ以上何も出来ない。ここは、「彼女」にでも任せよう。
そして、僕は「僕」の意識を手放した。いや、正確には、体の主導権を放棄した。これで「彼女」が、あいつを成敗してくれるだろう。そこで「僕」は、自身の思考も停止し、完全に「彼女」に身を委ねて、一時の眠りに就いた。