序章 ~夏の始まり プールサイド~
七月某日。梅雨も明けてすっかり暑くなって来た時期。百人中百人が暑いと答えるであろう、夏という季節がやって来たのだ。そんな熱気から逃れるため、というわけではないけれど、今は丁度水泳の授業中だった。
「ふぅ……」
プールから上がり、額から滴る水を片手で拭う。今日の授業は自由遊泳で、さっきまで軽く泳いでいたのだ。正直体育はあまり好きじゃないけど、水泳は(体格のせいか)割と出来る。それ以前に、あまりに暑くて水に浸かりたい、というのもあるんだけど。
「あ、もしかして中田君……?」
ふと見やれば、プールサイドにある屋根の下に、中田君が座っていた。そういえば、彼は泳いでいないみたいだったけど、見学なのかな?
「中田君……?」
「はい?」
近づいて声を掛けると、中田君がこちらに向いた。瞳は空色。いつも通りだ。
「見学? もしかして、体調が悪いの……?」
「いいえ、まったく。すこぶる良好ですよ」
「そ、そうなんだ……」
じゃあなんで、見学なんてしてるんだろうか? そういえば、去年もずっと見学していたような気がする。
「よっ、牧野ちゃん」
と思っていたら、西崎君がやって来た。……当然だけど、水着姿で。つまり、上半身裸で。
「……っ! に、西崎君……!」
なんだろう、慣れていないせいか、男子の上半身がまともに見れない……。特に、西崎君のは適度な筋肉があって、その、逞しいというか……。
「ん? ああ、優か。何でこいつが見学かって話?」
私の様子に気づいた彼は、そんなことを言った。間違ってはいないけど、それ以外にも色々あるんですけど……。
「そういえば、牧野さんは去年の水泳、初回だけ欠席してましたね」
「そう、だっけ……?」
中田君、なんでそんなこと、本人よりはっきり覚えてるの? でも、西崎君は合点がいったと言わんばかりに(上半身裸で)頷いている。
「なるほどな。それじゃあ知らなくても無理ないか」
「?」
私が首を傾げていると、西崎君がにやにやしながら話し出した。
「こいつ、極度の金槌でさ。去年の最初の水泳で盛大に溺れかけたんだよ。それから、「単位はやるから見学してろ」って先生が言って、それからずっと見学なんだよ」
「えっ、中田君って泳げないの……?」
意外だ。何でも器用にこなしそうなのに……。
「言っておきますけど、泳げないんじゃないですよ。ただ、「僕」に水泳の適性がないだけで……「他の子たち」は泳げます」
それって、多重人格のことだろうか? もしかして、人格で泳げるかどうかが変わるの……?
「この体自体は割と何でもこなせるように出来てるみたいですが、要求される動作によって神経の伝達方法が若干異なるみたいなんです。それが人格によって向き不向きが出来てしまう原因らしいです」
「とかいって、金槌を誤魔化しているらしいです」
中田君の(よく分からない)説明に、彼の口調を真似た西崎君が言葉を重ねてくる。それを馬鹿にしているのだと受け取ったのか、中田君が不快そうに眉をひそめていた。……にしても、最近になってようやく、中田君の表情の変化が読み取れるようになってきた。
「一応、泳げる「子達」に出て来てもらうのも手なんですが……「彼女たち」は女の子ですから」
それはまあ……前に出てきた女の子っぽい感じの人格だと、男物の水着は恥ずかしいだろう。私だって、男子用の水着で泳げなんて言われたら絶対に嫌。
「そんじゃあさ、それを証明するためにも、夏休み辺りに海行かねぇ?」
西崎君が、意気揚々とそう提案する。……もしかして、最初からこの流れに持ってくるつもりだったの? いや、それは考えすぎか。
「海、ですか……」
中田君は顎に手を当てて考え込むと、私のほうへ視線を向けた。
「牧野さんはどうです?」
な、何故そこで私に振るの……?
「え、えっと……」
正直、あまり夏休みに外出したくない。というか、前みたく休日に友達(?)と出掛けるのは勘弁願いたいのだ。それに、(一人は女の子っぽいとはいえ)男の子に水着姿を見られるのは恥ずかしい。それが学校のではなく、自分で買ったものなら尚更。特に私は背が高いから、選択肢があまり多くないし、水着に限らず私服を着て知り合いに会うのは気が向かないのだ。
「勿論行くよな。あと、あやめちゃんも誘っとくから」
「あやめが来るんですか……?」
中田君が、不満そうな声を上げる。これまでの私には、彼が僅かに眉を顰めていることや、些細な声の変化にも気づけなかった。けれども、さっきも言ったように、最近ははっきりと判別できるようになってきた。つまりは、それだけ中田君と一緒にいるということなのだろう。実感ないけど。―――って、そうじゃなくてっ!
「ちょっ、ちょっと……!」
「んじゃ、日にちとかは追って連絡するわ」
こちらの返事も聞かず強引に決めてしまった西崎君に、慌てて抗議しようとした。けれど、彼は私の肩を軽く叩いて、そのまま立ち去ってしまった。
「あ……」
「……ふぅ」
……なんか、前にも似たようなことがあった気がする。




