8:緑陰と紺碧
そのまま家に着いたその日も聖人の襲撃は無かった。
ルゥは鎌を使いたがっているが,聖人なんて来ないでくれたほうが平和だ。
人間界は人間だけで十分。
死神は一名いるが。
「今日の夜食もおいしかったです! ごちそうさまでした」
ベッドの上で正座している少女は夜食のおにぎり三個を30秒程度で食べてしまった。
しっかり噛んでますか?
ルゥがいることを除けばいつも通りの日常。
クラスメートが一人転校したけど。
その結も陰陽とか言う奴だったし。
「そういや,あいつ。何だっけ?ルゥのボス」
夜食を食べ終えたルゥはにこにこ笑ってこっちを見ていて。
不気味じゃないんだが耐え切れなくなった俺から話題をふってみた。
「アレストですか? 彼は私の教育係で,いい人ですよ。彼には殺されかけましたけどね」
笑顔で 殺されかけた なんて言葉を言う目の前の17歳の死神。
ってかあんなのに教育されてたのか。
「そいつに聞いたんだけどさ,ルゥって小さい頃から大人にも勝っちゃったんだって? 凄いよなぁ」
「ふふ,その時は加減も知らなかったし。おかげで紺碧なんて呼び名も貰えましたけど。あと分かってると思いますけど私が連絡していた上層部の人って言うのは彼です」
あの赤髪がルゥのボスか。
確かにルゥをぼろぼろにしたくらいだ。
よほど強いんだろうな。
「我は負けられぬのだ」
いきなりルゥが腕組みをして俺に低い声で言い放った。
キ……キャラ崩壊か?
「アレストのまねですよ〜私は我なんて言わないですって」
まねか。
なんかルゥが少しずつ笑いを取ろうとしているキャラになっているような?
なっていないような。
「そういえば連絡ってどうやってしてるの? 」
いつもルゥはいつのまにか上層部からの連絡があった,そう言っていたが実際に会話しているのは見たことが無い。
「なんていえば分からないんですけど,心の声って感じかな? 頭の中で会話してる感じ」
それまた便利な。
脳内無線通信機。なんてな。
「ゆうくんは出来ないんですよね? 便利なのに」
そりゃ無茶だ。
それは死神とかの特権って事で。
「それは……あれっ? 」
そう言うと突然辺りを不審に見回している。
明らかに何かおかしい。
そんな顔をして。
俺には何にも感じない。
「何か気配がするんだけど……亜空間は作り出されていないし,姿も……」
そこまでルゥの声は聞いた。
そこで声は途切れ俺とルゥの間に人が立っていた。
背は低く,小柄。
白いオーバーコートのような物を羽織り,緑色の髪をさらりと払った。
「緑陰……」
なんだ? こいつも結みたいな奴か?
「相変わらずじゃねぇの。紺碧。で俺の名前くらいは覚えてっか? ルゥ」
最後に名前をぽつりと言うとその男は皮肉そうに笑った。
何となく分かる。味方ではない。
「緑陰のリク……」
その声は何か悲しそうで,ルゥの顔からもそれは読み取れた。
ってか誰だよ? りく だかなんだかしらねぇが。一応ここは俺の家で……
「これが例のカップ? ふぅん,マジで微妙。こいつぜってー戦えねぇじゃん。足手まといもいいところだな」
俺を明らかに見下すような態度で言われた。
このやろっ……。
俺の思考回路がその言葉を現す前に俺の部屋は部屋ではなくなった。
紫色の何も無い空間。
亜空間。
とっさにルゥも身構える。
「大丈夫だっての。別にそこの雑魚を殺そうともしないしお前を殺ろうともしてねぇよ。ただあのままじゃ話しにくかったろ? 」
何だこいつ? 不適に微笑む整った顔立ち。
両手をコートのポケットに突っ込み天を仰ぐその姿からは何か余裕のような物が感じられた。
「こいつが同じ空間にいる限りお前は本気じゃないし,俺もくたばることはねぇだろう?あ? 」
俺の10メートル先くらいにいるそいつは俺に指をむけルゥを見ていた。
本気じゃない?
「……何も言えないか。ハッ!? 俺を聖人界の負け犬にした紺碧の死神が」
何なんだ?
こいつ何を話しているんだ?
聖人界の負け犬?
「私は……」
ルゥの声は弱弱しく,いつもの強さは感じられなかった。
「別にいいさ。あれはお前の意思じゃなく死神として仕方なかった。それは認めてる。ただ,そんな死神が弱くっちゃなぁ? あれから10年。お前だってもっともっと強くなってるんだろ? 」
沈黙。
俺は何も言えないし,ルゥもただ黙っていた。
「今日は殺りにきたんじゃねぇんだ。ただ困った死神さんに警告をっと。お前,そのまんまじゃ死ぬよ? 」
それだけ言うとそいつはコートを翻し一瞬でその場所から消えた。
ほぼ同時に俺たちは元通り俺の部屋にいた。
何が何だか。
「遅かったか」
そんな声が俺の後ろから聞こえ,咄嗟に振り向いた。
そこにいたのはルゥのボス。
アレスト。
俺の部屋は集合場所じゃねぇ。……なんて言えない。
「緑陰……すでに気配は無いな」
ちょっと待て
「おい,何が何だかわかんねぇよ!? 」
そう言うとアレストは俺を気にすることも無くルゥの元へ歩み寄った。
ルゥはベッドに座って俯いている。
「おい,そこのカップ」
カップって俺かよ。
人間は死神界ではカップと呼ぶらしい。
「紺碧は任せたぞ。我は緑陰を追おう」
それだけ言い残して消えた。
何なんだよ。
アレストがいなくなった空間には俺とルゥだけ。
黙っているルゥと声をかけられない俺。
沈黙が続いている中先に声が出たのは俺だった。
「さっきの奴,なんかルゥの事知ってたみたいだけど,知り合い?10年前とか」
下手に聞かないほうがいいのかもしれないけどこのままの沈黙にも耐えかねた。
「……緑陰は,リクは小さい頃から遊んだりしていました」
ようやく口から出てきた言葉は弱弱しく,それでもはっきり聞こえる声だった。
「小さい頃から一緒に遊んで,仲良くしていました。聖人と死神なのに。戦争も始まっているのに。私は,私たちはそんなの気にしませんでした」
ルゥは泣いてはいないが顔をあげようとはしない。
俺も身動きすらせずにただルゥの次の一言を待った。
「それでも戦争は続きます。私たちが7歳の時に私が所属している部隊と彼が所属している部隊で会談がありました。互いに実力ナンバー1と2を連れて」
俺は息を呑んだ。
「その時私はナンバー2で彼もナンバー2です。弱冠7歳で各部隊のナンバー2に上り詰めた戦士。そんな話から火花は散り,どちらのほうが上か。そんな話になり私たちは相対することになりました。友達だった。そんな理由なんて何にもならない。そう言われて仕方なく戦いました。私は彼を倒しました。それで私には名前がついたんです。黒味を帯びた蒼い髪の少女。紺碧,と」
聞いたとき俺は何か心に不快感を感じた。
7歳のときから戦っていたルゥ。
「彼は地面に倒れていました。紺碧の影だと。緑陰だと」
それがさっきの男か。
不敵な笑みが脳裏をよぎる。
「あいつが言ってたけど,本気を出せないって? 」
あいつはルゥに向かっていった。
こいつが同じ空間にいる限り本気は出せない。
こいつっていうのは俺だ。
何かあるんだろう。
「それは……」
ルゥは少し顔を上げ俺のほうを申し訳無さそうに見ている。
「ゆうくんが悪いんじゃないんです。ただ」
その後に続く言葉が俺に言いにくい。
そんな顔をしてルゥは考え込んだような顔をしている。
「私の能力を全て開花させると,攻撃範囲が広すぎてゆうくんを巻き込んじゃうんです」
つまり,俺がいるから出せないってこと。
俺がいるせいで。
この前みたいに自分がやられそうな場面になっても。
「だから……」
続く言葉を待たずに俺の声が自然と出てきた。
「俺のせいで……じゃなきゃあんな化け物本当は倒せたんじゃ……」
この前の化け物。
結が来てくれていなかったらルゥは本気を出す前にやられていたんだ。
でも俺がいなければ。
「それでも私は……」
ルゥは両手を握って力を入れた。
「私はゆうくんを守る! 」
そう言った時にはっきりと見えたルゥの顔と頬を伝う一筋の涙。
何やってんだ。俺は。
こんな子を泣かせて。
その後はお互いに沈黙。
聞こえるのは時計が活動している音。
どれくらい時が経ったのか。
このままってのも何かあれだ。
……寂しい。
「あのさ」
「あのぉ……」
同時。
本当に同時。
と,ルゥの顔が真剣そうな表情からいつもの笑顔に変わった。
そして笑った。
何か,俺ってこの子に助けられてばかりだよな。
「ごめんなさい。私らしくない,落ち込んでる場合じゃないのに。私は今の状態でも強いんですよ! 」
にっこり笑っている彼女の表情は俺の気持ちをも明るくさせる。
で,俺が言いたかったこと。
「ルゥが本気を出すためには俺がいなければいいんだよな? 」
そう言うとルゥは少し首を傾けながら
「そうですけど……聖人はゆうくんを狙って亜空間を作り出して来ますし,そこから出たとしても他の聖人がそこに襲ってきたら」
「そうじゃなくて」
俺には考え付いたことがあった。
「ルゥの攻撃が全て氷属性だって言ったよね? だったら俺が耐氷の印を持ってれば」
そこまで言うとルゥが俺の言葉を止めた。
「耐氷の印でも止められません。その時の私はちょっと怖いですよ」
にこっと笑うその顔。
しかし,俺の意見,廃案。
「もし仮に私の攻撃を全てゆうくんが弾いてくれれば大丈夫ですけど,それはちょっと……」
ルゥの視線が俺を下から上へ品定め。
ごめんなさい。
「しょうがないですよ〜。むしろゆうくんに防がれるようじゃ紺碧失格ですっ……? ああああああぁ!!!!????」
この時俺は人生で一番といっても過言ではないほど驚いた。
ホラー映画は見たこと無いけどね。
「どうしたっ……」
とりあえず驚いて口がうまく回らない。
「無属性!! 」
立ち上がったルゥはいきなりブレスレットから鎌を取り出した。
その鎌は不気味に光る。
しかもそのまま鎌の刃を俺の左肩に当てた。
……冗談はやめてください。
いくら聖人が最近来なかったからって俺を試し切りってのも……。
いや,でも確かに俺がいなければこの戦争は終わるわけだし,ここでルゥに殺されてもおかしくは無いのか?
にしてもいきなりだな。
せめてあと一度ポテチを食べておくべきだった。
そう考えている間に鎌は俺の体を通り抜け俺の右に。
って?
「やっぱり! 無属性の攻撃は人間には効かないんだ!! これも分かってて陰陽は……」
効かない?
んな事言ったって,物理攻撃が効かないなんて。
「無属性は人間で現す夢のような物です。体はそう思っているけど実際にはそれは起こっていない。原理を説明するのは無理ですけど……」
まぁここでまた難しい数式を出されたところで理解は出来ないんだけどな。
確かに今斬られたみたいだし。無傷だけど。
「これで私も本気で……あっ」
まだ何かあるのか?
「私本気になると性格がちょっと変わるような気がするんですよね。意識してるんじゃないんですけど」
ほうほう。
それはそれで……と,ここで俺の脳内では数パターンのルゥの姿が浮かんだ。
男勝りなルゥや超熱血なルゥ。
なんか,イメージが。
「でも良かった。これでルゥが本気出せるみたいでさ」
今までのが本気じゃなかったって言うのも驚きだけど。
それにしても,最近本当に襲いにこないな。
来て欲しくはないけど。
「確かに変です。リクだって本来は顔色を変えて襲いに来てもいいはずなのに。冷静で」
あの緑髪ヤローか。
あいつが聖人側のナンバー2で,ルゥは死神側のナンバー2か。
ん? それは10年前の話か?
「今も変わりませんよ。私たちは小さい頃から戦争中なのに秘密で会って,遊んでいました。始めてあった時の事は覚えてないんですけどね」
それでその二人が7歳でナンバー2かよ。
二人とも才能あり過ぎってか。
俺にも何か才能ないかな?才能。
くじ引きは強いぞ。
「とにかく,聖人がいつ一斉に襲ってきてもおかしくないんです。私も気を引き締めなきゃ」
その言葉と裏腹に表情は笑っていた。
あ,そうそう。
「そういえば今日帰りに渡さないって言ってたけどあれってどういう意味? 」
そう言うとルゥの顔はみるみる紅潮。
何かまずかったか?
「ゆうくんって……もっ,もういいですよっ!う〜……」
何故か拗ねてしまった。
が,すぐに俺の顔をまじまじと見て
「絶対,ぜぇったい!! ゆうくんは私が守りますっ!! 」
俺はこの言葉に色々な意味が混ざっているとは気づかなかった。