1:紺碧の少女
明日から高校生活も最終学年。
毎年桜が咲く時期になると学校内でも最上級生がいなくなり新入生が入ってくる。
いまじゃ自分が最上級学年。
とは言え学校なんてものは
朝,暖かい布団に別れを告げて通学路へ。
学校についた後は聞き流すように授業を受ける。
そして,家に帰り何をするでもなく夕食,就寝。
これのサイクル。
今日も何もせずただ家でゴロゴロして終了。
あとは暖かい布団の中で明日を待つ。
「明日から三年か〜。授業ついていけねぇよなぁ」
そんな独り言を洩らしベッドへ。
ふと気がつくと俺は高層ビルに囲まれた交差点のど真ん中に立っていた。
囲まれるというか俺を中心に円を描くようにビルが建っている。
しかも空は紫色だし,パジャマ姿だった俺は制服姿。
いや,そんな冷静に言ってる場合じゃない。
ここはどこだ? 大体なんでこんな所にいるんだ?
実は俺は夢遊病で幻覚を見ているのか?
いや,たぶん……違うよな。
で,マジどこなんだよ!?
俺はとりあえず考えてみた。
今の状況について。
俺は寝た。うん,確かに寝た。パジャマも間違いなく着た……。
こう思い出してみても自分に不備が見当たらないのは確かだ。
考えてもしょうがない。
かといって何をすればいいんだ。
ほら,上空から天使が二人……っ!?
……紫のフィルターがかかったような空から舞い降りてきた二人の天使は優しく俺に微笑みかけてきた。
つまりこうか?
俺は寝ながら死んだ。
いやいや,ちょっと待てよ。
なんでそんな唐突に死ななきゃいけないんだよ?
俺は健康そのものだったぞ?
そう思っていても天使は俺の肩に舞い降りて服をつかみ,その体からは想像も出来ないような力で俺を上空へと運んでいく。
足が宙を浮くころには正直どうでも良くなってきた。
意識すら確かじゃなくなってきたころ,一瞬の突風と一筋の閃光が俺の意識を再び現実に引き戻した。
一気に俺の体へ重力が襲い掛かり地面へと急降下。
それもよりによって顔が下。このままじゃ地面に顔面直撃。
ってか俺をつかんでた天使はどうなった?
いやいやいや,まじ顔面っ!
地面の交差点の白線がくっきり見え出した頃,目の前に一瞬で黒い物体が現れ,掴まれた。……というか,抱かれた?
なんだか人間っぽい感触に抱えられたまま俺は再び地面に足をつけた。
というか,俺は今何をやってるんだ? どうなってるんだ?
そして目の前には紺色の髪をなびかせ俺を抱きかかえている少女がいる。
「大丈夫かなぁ? 記憶媒体にしては珍しい容量持ってるね」
はい?
きおく……ばんかい?
何のことですか?
「ん〜まぁ説明は後で。今ちゃちゃっと聖人倒しちゃうね」
黒いマントに身を包んだその少女の背は小柄で俺より20センチくらいは小さいと思う。
綺麗な顔立ちからは想像できないような力強さが感じられ、その細くて片手で折ることが出来そうな腕に抱かれていた俺は目を疑った。
その手に持っている2メートルくらいありそうな鎌と背中から生えているであろう漆黒の翼。
服から生えてる……って事はないよな。
地面に降り立つと俺の体を割れ物を扱うかのようにゆっくり地面に置き、その綺麗なというよりも可愛らしい顔が俺の事を見つめていた。
いやいや,俺は今どうなっているんですか?
「息,ちょっとの間止めててね。お願いっ」
その声は10代半ばの少女の声そのもので透き通っていながらもどこか芯のある聞き取りやすい声だった。
とりあえず俺は吸えるだけの息を吸い,口を押さえる。
これがなんの役に立つのかは一切分からないが。
彼女は俺が息を止めたのを確認するとにこりと微笑み一瞬消えた。
かと思うともう俺の前に立っている。
「あ,もう息はして良いですよ」
また微笑んだ彼女の顔は実に可愛らしくてその手に持った鎌と背中の羽が気にならなくなるほどだった。
ところで……何をしたんですか?
「聖人二体,蹴散らしてきました。ほらそこに」
彼女の指差す方向にはさっき俺の肩を掴んでた天使が二匹。
灰色の石のように転がっている。
「う〜ん,意味分からないよね? まぁとりあえず時間軸戻すから待ってね」
上空に鎌をかざし,日本語ではないであろう言語を呟いたかとおもうと,俺は一瞬で布団の中にいた。
「何だったんだよ。夢か? 」
「あのですね」
うぉっ,横にいた!?
ここは間違いなく俺の部屋。
その少女は黒いマント姿から普通の女子高生の私服姿へと一変していた。
しかもちゃっかり机のいすに座ってる。
唖然として声すら出ない。
そりゃそうだろ?
変な夢を見たと思ったらその夢の中の少女が目の前に,というか俺の部屋にいる。
「あ,ごめんなさい。この席は特別席とかだったりしましたか? 」
いや,その前に理解不能なんですが。あ,席はそこでいいですが。
「良かったぁ。この席座りやすいし。あ,どこから説明します? 」
どこからって,順序はどうでもいいのでとりあえず全部教えていただきたいものです。少なくともあなたは誰ですか?
「私はルゥ。ルゥ・アーク・ブルーグローブです。職業は死神です」
し……死神?
そういえば翼と鎌はどこに?
というか,死神ぃっ!?
「あは,その反応は予測済みです。でもちょっと名前にも反応してほしかったなぁ。あ,翼と鎌は収納可能です。だって邪魔でしょ? 」
あ,名前ですか。えっと……るぅあくぶるんねず?
「もう,ルゥでいいですよ。とりあえず説明していきますね。あなたがあの世界に迷い込んだのはあなたが特別だからです。それは後でまとめますね。あの聖人,あなたから見れば天使と呼びますよね。あれはあなたのような特別な人材をあの世界に呼び込み自分の世界へと連れて行く。死への案内人って感じですね」
天使がですか? 天使ですよね? 天使。
「はい。天使ですね。人間から見れば天使は良いイメージばかりだと思います。だけど本当は違う。天使は優れた人材をどんどん自分の世界へと連れ込みやがては世界を我が物にしようとしています。それを止めようとしているのが私たち,死神です」
ちょっと待てよ,これは鵜呑みにして良いのか?
こんなかわいい顔して実は悪役なんてオチじゃないよな?
「疑われてますかね? 私もこれが初任務なんで実は自信ないんですけど」
う〜ん,悪役に見えない。
人を見かけで判断しちゃいけないって言うのは分かってるが,死神はどうなんだろうな。
「とりあえず続けますね。あなたが特別なのはあなたの記憶媒体としての容量です。記憶媒体というのはメモリーカードみたいなものです。人間にはひとりひとり容量が割り振られていて天使,私たちが言う聖人は容量が多い人間を好みます。そしてあなたの容量は他の人の数倍,数十倍はあるということです」
容量……パソコンで言うギガバイトとかそんなやつだろ?
「お,知ってますね。良かった良かった。一応ギガなんて数値の数億倍ですけど」
まぁ人間の容量がパソコンに負けちゃいけないよなぁ。
って,そんなのんきに話していられる状況か?
「確かにそうですね。あ,ちなみに息を止めてもらったのは彼らが記憶媒体の書き換えを感じ取って近づいてくるからです。呼吸というのは書き換えが多いですから」
はぁ。
俺はとりあえず自分の部屋を見回し何か異変がないかと思ったが,彼女が座っていること以外は異変なし。
布団は暖かい。
パジャマは着ている。
さっき着ていた制服はハンガーにかけてある。
で,彼女は椅子に座っている。
「そんなに見回しても異変はないですよ。あ,私ですか? どうぞルゥなりなんなりお呼びくださいね」
そういう意味ではなくて……。
「そういえばあなたの名前は何ですか? 」
あ,俺の名前?
そういえばまだ名乗ってなかったな。
その少女の微笑ましい笑みを見ていると何か心が落ち着いた。
少なくとも今はこんな話でも聞いていてもいいような、そんな気持ちに。
「俺は雄二。松野 雄二」
「そっかそっか。じゃあゆうくんだ。まぁ短い付き合いになると思うけどよろしくね」
ゆうく……親と同じ呼び方だな,おい。
結局。
これが俺の人生を変える最初の一歩だったと知るのは少し後のことになる。