第7章:朝の審問、あるいは「腹筋の鉄仮面」
【前回のあらすじ】
深夜のギルド厨房。リ・シンセンは空腹のあまり、愛兎ルナ、そして護衛犬カルパロスと「深夜の共犯者たち」を結成。禁断のソーセージとチーズを分け合うという暴挙に出る。
だが、証拠隠滅は完璧ではなかった。
翌朝、シンセンを待っていたのは、ギルドの受付嬢レーナによる「地獄の尋問」だった――。
(※二話連続更新です! このまま一気にどうぞ!)
冒険者ギルドの裏庭。
リ・シンセンは、常人には不可能な姿勢を維持していた。両手で地面を突き、両足を槐の木の横枝に引っ掛けた「逆立ち腹筋収縮」。浮き出た腹筋の溝を汗が伝い落ちるが、彼は指先一つ動かそうとしない。
目の前わずか三十センチの距離に、レーナが立っているからだ。
「シンセン、説明してくれる? 昨夜、ギルドの厨房で起きた『惨劇』について」
レーナの声は、氷のように冷ややかだった。彼女は手の中で、ちぎれた赤い紐をひらひらと弄んでいる。
「特製ソーセージが六本、それにブルーチーズまで消えていたわ。不思議なことに、番犬のカルパロスは吠えるどころか、死んだように眠っていたそうね。……犯人は『上位魔法』クラスの催眠術でも使ったのかしら?」
レーナがさらに一歩踏み込む。
その距離、わずか十センチ。彼女の吐息がシンセンの肌を撫で、凍りつくような冷気が汗を蒸発させていく。
(……まずい、息が止まる。心拍を一つ乱せば、この距離なら鼓動の音が『自白』として彼女に届く)
「(陰気な声)『ミツ』:……耐えろ。呼吸を殺せ。毛穴一つまで閉じろ。貴様はここで社会的に死ぬのだ」
シンセンは視線を床の一点に固定し、意識を完全に肉体のコントロールへと向けた。目の前のニーハイソックスの質感も、漂う紅茶の香りも、今はただの『ノイズ』として脳の隅へ追いやる。今の彼は、ただの石像でなければならなかった。
「レーナさん。それについては、完璧な……推論があります」
「へぇ、聞かせて?」
レーナは身を乗り出し、シンセンのへそに鼻先が触れそうなほどの距離で、いたずらっぽく囁いた。
「納得のいく説明じゃなかったら、今日の特訓メニューは『五百キロの負荷スクワット』よ?」
(五百キロ!? 物理的に転生させる気か!)
シンセンは虚空を見つめたまま、哲学者のような落ち着きで語り始めた。
「まず、ご存知の通り、私は筋肉に極致を求める男です。私の哲学において、プロテインは神聖なものであり、『盗み』という卑劣な行為で汚されることは許されません」
「結論を言いなさい」
「結論から言えば、影犬であるカルパロスを誘惑できる肉など存在しません。……ただ一つ、『上位精神魅惑』を操る魔獣ウサギを除いては。そのウサギはカルパロスの心の隙間に潜り込み、精神防御を粉砕した上で、優雅にディナーを楽しんだのでしょう」
【近所の王さん:どんな嘘だよ! 魔獣ウサギ!? ルイ16世の生まれ変わりとでも言う気か?】
【純愛戦士:レーナ様のあの蔑むような目! たまらん! シンセン、お前の心拍数でバレるぞ!】
レーナは不意に、手袋をはめた指先で、シンセンの腹筋の深い溝をすっとなぞった。その瞬間、彼女の指先が、三枚目と四枚目の腹筋の間に張り付いた「白い毛」に触れた。
「……これ、何かしら?」
ドクン。
心臓が、一度だけ大きく跳ねた。
強制的な『鉄仮面』の裏側で、シンセンの制御が悲鳴を上げる。腹直筋が痙攣を始め、昨夜のソーセージの油脂が、喉元までせり上がってくるような不快感が彼を襲う。
(ああ、もう……限界だ。筋肉が、裂ける……!)
シンセンの視界がチカチカと点滅し始めた。レーナの瞳が、そのわずかな異変を逃さず捉えた。
「昨夜、この毛の持ち主と『深い交流』でもしたの? シンセン、貴方――」
レーナが核心に触れようとした、その刹那。
シンセンの喉から、我慢しきれない空気が漏れそうになった。崩壊は、内側から始まろうとしていた。
(――出る。音が、漏れる!)
万事休す。そう確信し、シンセンが覚悟を決めたその直前。
「ゲプッ!!!」
爆音のような、肉の香りが凝縮されたゲップが、カルパロスの口から放たれた。巨犬はペロリと舌を出し、口元に残ったソーセージの脂をこれ見よがしに舐めとってみせた。
レーナは呆然とした。氷のような美貌がわずかに引き攣り、舌を出して「あぁ、食った食った」という顔をしているバカ犬を見つめる。
疑惑は、一瞬にして殺意に近い怒りへと変わった。
「……カルパロス!! あんた、この食い意地の張った駄犬がぁ!!」
「……呆れた。ネズミじゃなくて、ただの駄犬だったわけね」
レーナは深い溜息とともに、手にしていた杖を収めた。だが、その視線は依然として厳しい。
「でも、食い尽くされたのは事実よ。シンセン、貴方が管理を怠ったせいでもあるわ。罰として、今日中に『牙猪』を三頭狩ってきなさい。それが夕食の代わりになるか、貴方の給料が消えるか……選ばせてあげる」
彼女が背を向けて去っていくのと同時に、脳内で無機質な音が響いた。
【クエスト強制受注:食材の補填】
【称号『腹筋の詐欺師』を獲得しました。】
シンセンは糸の切れた人形のように地面へ崩れ落ちた。脇の下に隠していた小さなチーズの欠片を、彼は震える手で取り出した。
「……よし。これで俺たちは、正真正銘の『深夜の共犯団』だ」
彼はまだ鈍く痛む腹筋をさすり、視線を鋭くさせた。
「諸君、次の食事の尊严を守るため……哀れなイノシシどもを収穫しに行くぞ」
勢いのままに更新です!
シンセンの腹筋、ついにレーナ様に指でなぞられてしまいました。羨ましい……じゃなくて、命懸けの瞬間でしたね。
腹筋に挟まった「白い毛」を「怨念の実体化」と言い張るシンセンのメンタルは、もはや魔王級かもしれません。
さて、次回からはついに野外での初戦闘が始まります!
腹筋を駆使した「硬派な技術流」の戦いを見せるのか、それともまた別の意味で期待を裏切るのか……。
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