01「目覚め」
「この世界って……『恋々なるは、あやかしの都』だったの!?」
私は叫んだ。前世の私が愛してやまなかった乙女ゲームのタイトルを、大声で叫んだ。
「い、い……生きててよかったー! 生まれてきてよかったー!」
拳を握りしめて、歓喜に打ち震える。むくむくと腹の底から活力が湧いてくるようだ。
「感謝! この天地を創造したもう神に、ひたすら感謝!!」
喜びの感情が振り切れて、もはや吐き気がしそう。
まずは落ち着け、落ち着け。……いや、もー無理! ニヤニヤが止められない!
私の奇声を聞きつけたのか、規則的な足音が近づいてきた。そして、無遠慮に几帳を押しのけて、私の近くに細身の女性が現れる。彼女は私を見るなり、溜息まじりに小包を渡してくる。
「……靜子様。何事ですか、はしたない。もう童女ではないのですから、慎みを覚えてくださいませ」
あきれながらもテキパキと仕事をこなす生真面目なこの女性は「八重」。私の侍女である。秘書のような仕事もこなすので、女房と言ったほうが近いかもしれない。
かつては私の母に仕えていたのだが、母が亡くなったあとは私の身の回りの世話をしてくれている。
彼女は先の事故の数少ない生き残りで、怪我の後遺症により右目の視力を失い、常に眼帯をつけている。その経緯が経緯だけに、主従関係と呼ぶにはかなりフランクな、身内のような存在だった。
どうやら、興奮しすぎて髪型まで乱れていたらしい。八重が懐から櫛を取り出し、慣れた手つきで私の長い黒髪を整える。それがくすぐったいやら恥ずかしいやらで、私はこみ上げてくる笑いをぐっとこらえた。ここで素直に笑ってしまえば、さらに説教が飛んできてしまう。
「はぁい、気をつけまーす」
母が亡くなった事故から、早十年。私「永原靜子」は、裳着を済ませて成人し、十六歳になった。私はすっかり前世の記憶がある生活に慣れて、その記憶も少しずつ薄れてきていた。
前世の私は現代日本を生きた成人女性で、女性向けゲームや小説といった娯楽にハマっていた。とはいえ、前世での名前やら死因やらはよく思い出せない。
この世界は、前世風に言えば「平安時代風ファンタジー」だ。
なぜ「ファンタジー」なのかというと、本物の平安時代ではありえないことが山ほどあるからだ。
律令国家か王朝国家かよくわからない時代背景に、衛生面や交通網、情報伝達といった生活水準……枚挙に暇がない。しかも、魔法のような要素――霊力による陰陽術が存在する。こうなると、異世界と言っても差しつかえない。
霊力とは、すべての生命が持つ根源的なエネルギーのこと。
人間が扱える霊力の質と量は、血筋や家柄に大きく左右されるものの、霊力自体は生活基盤に組み込まれており、あらゆる場面で活用されている。
そして、この奇想天外な世界が、前世で遊び倒した女性向け恋愛アドベンチャーゲーム……いわゆる、乙女ゲームと同じものであるということが、ついさっき発覚した。なるほど、どうりで。納得しかない。
よくよく考えれば、現代日本人でも慣れたら生活できそうな世界だ。それに加えて、私は裕福な貴族の娘である。とても恵まれた環境だ。何なら、前世よりもいい暮らしをしているかもしれない。
それなのに、私は巷ではこう呼ばれている。
呪われた姫君、と。
「よその人々が靜子様の様子を見たら、腰を抜かすでしょうね」
「それはそうでしょうけど、そんなこと起きるわけないもの」
そう。「引きこもり」という名の「呪い」をかけられた、おかしな箱入り娘なのだ。
前世の記憶があるにもかかわらず、今の今までここが『恋々なるは、あやかしの都』――通称、『恋かし』の世界であることに気づけなかった理由でもある。
いや、思い返せば疑わしい点はいくつもあった。そのどれもが確信を得られず、「気のせい」で済ませてきたのだ。
ああ! もっと早く気づけていれば、あんなこととかこんなこととか、できたかもしれないのに!
私は頭を抱えてもだえる……その前に、八重が持ってきてくれた小包のことを思い出して、深呼吸をした。
気づけば八重はもう部屋から出て行ってしまった。彼女のことだから、きちんと声がけしてから去ったはずだ。ただ、一人で悶々としていた私の頭には何も入ってこなかった。いつものことながら、申し訳ないです。
「それでは、気を取り直して。待ってました、新商品~!」
私は慎重に紐を解いて、小包を開封する。
中には新品の筆記用具、綺麗な透かし和紙、怪しげな術具や巻物がみっちりと詰まっている。思わず、ニヤニヤと不気味な笑みがこぼれる。これを使ってやりたいことが、山ほど浮かんでくる。
私は屋敷の外に出られない。というか、出る必要がない。買い物だってこの通り、使いの者を出せば問題なくこなせるのだから。
恐ろしいことに、私が望めば大抵のものは手に入る。先の事故以来、すっかり過保護になった父の「おかげ」というか……父の「せい」でもある。
現状に不満はない。むしろ、快適に生活している。落窪の姫も吃驚仰天な好待遇だ。
そもそも、現代日本人であったときから変わらず、インドアな性格だったのだ。
数年前からは、ついに憧れだった陰陽術の指導を受けられるようになった。私が市場で売られている眉唾なハウツー本を買おうかと本気で悩んでいるときに、父が優秀な教師を探してきてくれたのだ。
「あ、そうだ。師匠に連絡しとかないと」
私は文机の前に座り、青々として大きな葉の上に筆を走らせた。
陰陽術の指導をしてくれるその人を、私は尊敬と親しみを込めて、「師匠」と呼んでいる。……まぁ、実のところは、顔も名前も知らないので、便宜上でも呼び名を付ける必要があったのだけど。
なんでも、師匠は「身分を明かさないこと」を条件にして、通信教育の依頼を引き受けてくれたんだとか。内情はどうあれ、私にとっては大した問題ではない。対面でなくとも、呪われ姫と交流できる人物は、とても貴重な存在なのだから。
〈今日、中庭から式神を飛ばして、とても久しぶりに屋敷の外の風景を見ました。〉
霊力を含んだ藍色の墨が、小筆から木の葉へと染みこんでいく。
見た目は普通の葉っぱだが、これは「木霊の文」という通信手段だ。霊力に感応する特殊な神木の葉で、こうして文字を書くと、対となる葉にも同じ文字が浮かび上がる。要は、双方向のリアルタイムチャットアイテム、といったところかな。
八重の話によると、超がつくほど貴重で高価なものらしい。師匠はそれを挨拶代わりとして贈ってきて、授業も木霊の文を通して行われている。
出どころについて突っ込むと藪蛇になるかもしれないので、私からは触れないようにしている。
〈あてもなく都を飛んでいると、天照学府にたどり着きました。初めて訪れる場所ですが、初めてな気がしませんでした。学府には私と同じくらいの年頃の少年少女が集まっていて、式典の最中のようでした。〉
「なんてったって、ゲームで何度も見たイベントだからねぇ」
私は締まりのない口元を袖で隠しながら、筆を走らせる。
古風な建物、人々の服装、厳かな雰囲気。今朝方、習いたての式神の術を行使して得た外の情報――それが、「天照学府」の入学式だ。
絶対に間違いない。これは原作乙女ゲームの冒頭、共通パートでのイベント。今、まさに物語が始まろうとしている……運命の瞬間!
〈とても興味深い光景でした。今も興奮がおさまりません。中でも目についたのは、可憐な一人の少女です。これから彼女がどんな風に学府で過ごすのか、楽しみで仕方ありません。〉
私はそこで一旦、筆を置いて呼吸を整えた。
「たしか、主人公のデフォルト名は……『真日流』だったかな。うーん、なんて素敵な響き!」
高鳴る胸を押さえるように手を当てていると、私が書いた文字とは別の、達筆な文字がしゅるしゅると木の葉に浮かび上がる。
〈さっそく式神の術を使いこなしているようだな。感心、感心。〉
これは師匠からの返信だ。
なぜか私たちは、陰陽術とは一切関係ない話題、何気ない雑談であっても、普通にやり取りをしている。というか、師匠から雑談を振ってくるものだから、断りようがないというのが本音。
そういうわけで、肝心の陰陽術に関しては、私のほうから質問をして、それに対して師匠が答えるという形式が多い。文字だけの指導であっても、その実力は確かなもので、私の曖昧な疑問に対しても的確なアドバイスが返ってくるのだから不思議なものだ。
〈それにしても、セイが天照学府に興味を持つとはな。やはり、同年代の者たちの動向は気になるか。〉
頼んだわけでもないのに、師匠は私のことを「セイ」と呼んでいる。
私は師匠の顔も名前も知らないというのに、師匠は私の名前と身分を知っている。若干、不公平だと思わなくもないけど、呪われ姫の事情を知った上で交流してくれるのだから、表立って文句は言えない。
〈しかも、既に注目する相手まで見つけているとか。そこまで興味を惹くものが何なのか……我もそなたからの続報を楽しみにしているぞ。〉
どうにも、師匠は俗っぽい話題――私のオタク気質を面白がっている節がある。
私としては、なるべく抑えていたのだけど……前世と違って、隠す意味がないことに気がついたので、徐々にオープンになっている。醜聞とか、呪われ姫にとっては今更だしね。
そんな私にとって、自宅にいながら偵察機を飛ばすかのような式神の術は、とても相性のいい技だった。
これがあれば、向かうところ敵なし。鬼に金棒。全力でこの式神の術を使いこなして、楽しいオタ活を始めるぞー!




