――魔王軍の変化
幹部候補が異空間で倒れた後、魔王軍の指揮系統には静かながら異変が生じていた。
幹部候補の怒声と叫び――「聖女は根絶やしだ!」「過去の聖女に傷つけられた命は忘れん!」――は、彼自身の怨念としてだけでなく、戦場を通して魔王軍の多くの兵士の心に響いていた。
玉座の間に戻った報告官は、冷静を装いつつも、指揮官たちの様子を注意深く観察していた。
「幹部候補の顛末ですが……異空間で討伐されました。ですが……」
報告官は言葉を切る。
「それで?」
黒鎧の将ヴァルナが眉をひそめる。
「彼の怒り、過去の聖女への復讐心が、同胞たちに伝播しています。多くの将兵が“聖女は排除すべき存在”と感じ始めている模様です」
ヴァルナは低く唸る。
「……そうか。彼の行動だけで、魔王軍の大半が……」
「はい。命令がなくとも、同じ衝動を持つ者が増えています」
報告官の言葉に、玉座の間の空気が重くなる。
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ある遠征司令部では、幹部候補の戦果を報告する掲示板に、兵士たちの書き込みが殺到していた。
「聖女は根絶やしだって……俺も、見た瞬間に同じ怒りが込み上げた」
「彼女たちの力は恐ろしい……でも、根絶やしにすべきだ」
「復讐者の叫び……理解できる。過去に家族を奪われた者なら、俺も同じ気持ちになる」
兵士たちの間で、抹殺の思想が密かに広がっていく。
幹部候補の言葉は、彼らの内に眠る怨念を呼び覚ました。
「聖女は……人族を守るふりをして、多くを犠牲にしてきた」
「……だから、誰が守ろうと、抹殺すべきだ」
幹部候補の叫びが、命令に依らずとも兵士の心を動かす。
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玉座の間にて、魔王は静かに窓の外を見つめる。
「……彼の行動は、我々の計画に干渉しない。だが、兵たちの心を揺るがす」
報告官は慎重に口を開く。
「殿下、幹部候補の暴走は、兵士たちに伝播しつつあります。もし制御を怠れば、戦略上の混乱を招く恐れがあります」
魔王は微かに笑った。
「ふむ……だが、それもまた一興だ。聖女という存在の危険性を、彼ら自身に理解させることになる」
ヴァルナは眉をひそめる。
「それは……我々の意図とは異なる、暴走では?」
「いや」
魔王の声は穏やかだが重い。
「暴走とは限らぬ。聖女を恐れる者の心は、自然にそう動く。過去の因縁が火種となっているのだ」
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遠征隊の一部では、幹部候補の死後、兵士たちが集まり、互いに語り合っていた。
「見たか……彼の怒り。聖女は根絶やしにすべきだという覚悟……」
「俺も……彼を見て、そう感じた」
「これが……我々の本音かもしれない」
幹部候補の叫びは、個人の怨念を超え、組織全体の思想に影響を与えつつあった。
多くの兵士が「聖女排除」を正当化する心理に染まりつつある。
命令ではなく、因縁と感情が行動の中心になろうとしていた。
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魔王城では、魔王自身が報告書に目を通す。
「なるほど……兵士たちの心が動いているか」
彼の視線は冷静だが、内心では次の可能性を計算していた。
「男の聖女か……教会は彼を“管理”しようとする。だが我々は、彼を直接排除するのではない……
抹殺衝動は、兵士の心に任せる……それもまた、世界の均衡を見極める試練になる」
ヴァルナが呟く。
「……我々が指示せずとも、因縁が人の心を支配する。これは……制御不能です」
魔王は静かに頷く。
「しかし、それも計算のうちだ。聖女を恐れる者の心は、自然に行動を決定する……
そして、この男の聖女が生き延びる限り、我々は世界の真実を観察できる」
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こうして、幹部候補の狂気と復讐心は魔王軍の組織全体に伝播した。
過去の聖女によって傷つけられた者たちの怨念が、命令を待たず行動する力となる。
彼の暴走は、単なる個人の怒りではなく、魔王軍全体に聖女抹殺思想を広める触媒となったのだ。
この思想の広がりは、次の戦闘で聖女たちに襲いかかる大きな障壁になる。




