――失われたものと、選ばれたもの
魔王城・内郭。
灯りは抑えられ、
長い回廊には足音だけが響いていた。
「……報告は以上です」
ヴァルナ・グラディオスは、歩みを止める。
「聖女テイルは、まだ決断していない」
「だが、教会から切られたことは確定だ」
その先に、ひとり立っていた。
銀白の髪。
無表情な横顔。
背に生えた、黒く薄い魔翼。
「……リュシア」
呼ばれた名に、少女――
元聖女は、ゆっくりと振り向いた。
「命令でしょうか」
「いいや」
ヴァルナは、首を横に振る。
「今日は、命令ではない」
沈黙。
「……用件を」
感情の起伏が、一切ない声。
ヴァルナは、彼女の隣に立った。
同じ方向――
遠く、人族の国がある方角を見る。
「今日、男の聖女に会った」
リュシアの瞳が、わずかに揺れた。
だが、それは一瞬で消える。
「……観測対象」
「そうだ」
「彼は、感情が強い」
「祝福は不安定だが――
意思がある」
リュシアは、しばらく黙ってから言った。
「……非効率です」
「感情は、祝福の阻害要因」
「最適解は、排除」
その言葉は、
かつて教会で教え込まれた“正解”だった。
ヴァルナは、静かに問い返す。
「では、聞く」
「お前は、幸福か?」
リュシアは、即答しなかった。
少し考え――。
「……判断不能」
「幸福という概念は、
感情を前提とする」
「私は、それを持たない」
「だから、答えられない」
ヴァルナは、頷いた。
「それが、教会の完成形だ」
「空で、正確で、壊れない」
「……だが」
彼は、言葉を切る。
「世界は、それを“聖女”とは呼ばなかった」
リュシアの指が、わずかに動いた。
「……私は、失敗作ですか」
「いいや」
ヴァルナは、はっきり否定した。
「お前は、被害者だ」
その言葉に、
リュシアの胸の奥で、微細なノイズが走る。
「……理解、不能」
「理解しなくていい」
「だが、覚えておけ」
ヴァルナは、遠くを見る。
「彼は、お前とは逆だ」
「感情を捨てろと言われ、
それを拒んだ」
「……拒否は、罪です」
「教会ではな」
「だが、世界では違う」
沈黙が落ちる。
「……彼は、壊れるでしょうか」
リュシアの声は、
ほんのわずかに低かった。
「放っておけば、な」
「だから――」
ヴァルナは、彼女を見る。
「次は、命令だ」
「彼が、こちらに来た時」
「お前は――
“完成形”として、彼の前に立て」
「そして、見せてやれ」
「教会が行き着いた先を」
リュシアは、ゆっくりと頷いた。
「……了解」
だが。
その背中を見送りながら、
ヴァルナは確信していた。
(彼女は、もう少しで――
“思い出してしまう”)
⸻
その頃。
聖都・教会地下。
禁書庫の奥。
リディアは、一冊の文書を胸に抱えていた。
《聖女は、神の器にあらず》
《意思なき祝福は、ただの現象である》
「……やはり」
教会は、知っていた。
最初から。
それでも、
都合の悪い真実を、封じてきた。
「聖律官リディア」
背後から、声。
「それ以上、深入りするな」
振り向く。
そこには、
教会の上級司祭が立っていた。
「君は、聡明だ」
「だから分かるだろう」
「秩序には、犠牲が必要だ」
「……誰の?」
リディアは、静かに問う。
「聖女だ」
司祭は、即答した。
「個を持つ存在は、危険だ」
「管理できない力は、災厄になる」
「……それが」
リディアは、文書を閉じる。
「あなた方の、信仰ですか」
「信仰とは、選別だ」
司祭は、冷たく言う。
「正しさを残し、
不要なものを切る」
その瞬間。
リディアは、胸元の聖紋に手をかけた。
「……私は」
「“不要なもの”側に立ちます」
「なにを――」
聖紋が、床に落ちる。
乾いた音。
「私は、教会を離れる」
「聖女を、道具として扱う組織には、
もう従えません」
司祭の顔が、歪む。
「裏切るのか」
「いいえ」
リディアは、はっきり言った。
「私は――」
「ようやく、人を選んだだけです」
彼女は、踵を返す。
扉の向こうには、
夜の空と、世界が広がっている。
男の聖女。
剣姫たち。
そして、選び直される未来。
リディアは、迷わず歩き出した




