――幕間Ⅱ 灰色の聖女
魔王城、最下層。
光の届かない回廊の奥に、その部屋はある。
「……報告は以上です」
魔族の兵が一礼して去ると、
室内には静寂だけが残った。
中央に立つ少女――いや、かつて少女だった存在。
銀白の髪。
人族だった頃の面影を残す顔立ち。
だが、その背には――
黒く透ける、薄い魔翼が生えていた。
「聖女番号、第三七式」
魔王アル=レグナスが、低く名を呼ぶ。
「現状を」
少女は、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、無色だった。
「……問題、ありません」
感情の抑揚が、一切ない声。
「魔力循環、安定。
祝福変換率、基準値内」
「感情波形?」
「……観測不能」
魔王は、わずかに目を伏せた。
「そうか」
彼女は、かつて聖女リュシアと呼ばれていた。
教会に選ばれ、
徹底した教会式訓練を受け、
“完璧な器”として完成された存在。
その代償として――
彼女は、何も感じなくなった。
「……教会は、彼女を失敗作として処分しようとした」
隣に立つ将ヴァルナが、静かに言う。
「感情を完全に削ぎ落とした結果、
祝福が“自動発動装置”になった」
「戦場では優秀だった」
「だが、自律判断ができない」
「聖女としては、致命的だ」
リュシアは、二人の会話を聞いていないようだった。
「……命令を」
淡々と、そう言う。
魔王は、首を横に振った。
「今日はいい」
「下がっていい」
「……了解」
彼女は踵を返し、
機械のような動作で歩き出す。
その背を見ながら、魔王は呟いた。
「……これが、教会の“完成形”だ」
「空っぽの聖女」
ヴァルナが、苦く笑う。
「人族は、よく我々を魔物と呼びますが」
「……どちらが、よほど残酷か」
⸻
別室。
魔導観測室にて。
若い魔族の研究官が、記録を読み上げる。
「元人族・聖女リュシア」
「教会により“神意乖離”の判定」
「粛清対象」
「その直前、我々が保護」
「肉体は人族規格を逸脱。
魔力過剰循環により――
半魔族化」
画面に、データが浮かぶ。
「……感情機能、消失」
「再生不可」
沈黙。
「ですが」
研究官は、一点を指差す。
「祝福出力は、歴代聖女中最高値」
「……感情を失った結果、
純粋な“力”だけが残りました」
「皮肉ですね」
その言葉に、魔王は答えない。
代わりに、別の資料を開く。
【新規聖女顕現報告】
性別:男性
感情反応:極めて強い
教会式訓練下にて、出力低下
「……」
魔王の指が止まる。
「正反対、か」
「はい」
ヴァルナが頷く。
「彼は、感情があるから強い」
「彼女は、感情を失ったから強い」
二つの聖女。
二つの“正しさ”。
「……教会は、また同じ過ちを繰り返す」
魔王は、静かに言った。
「だからこそ――
彼は、守らなければならない」
⸻
夜。
回廊の奥。
リュシアは、窓のない部屋で立ち止まった。
理由はない。
ただ、胸の奥に――
微細な揺らぎ。
「……?」
彼女は、自分の胸に手を当てる。
何も、感じない。
感じないはず、なのに。
(……聖女、顕現……)
観測装置から漏れ聞こえた言葉。
男。
感情が強い。
祝福が不安定。
「……非効率」
そう、口に出した。
だが――
その言葉は、なぜか少し、掠れていた。
「……理解、不能」
感情を失った元聖女。
魔族となった存在。
彼女はまだ知らない。
その“理解不能”こそが、
再び心を得る、最初の兆しであることを。




