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「祈りは風に溶け」

作者: たかのふ
掲載日:2025/10/24

 真夜中の森を、小さな明かりを掲げた少女が足早に進んでいく。

 皇室が管理する広大な森は、数年前、帝国が隣国から奪い取った土地だ。

 森林資源の豊かなこの森は、長年、精霊を信仰する隣国にとって大切な聖地だった。

 しかし、唯一神を奉ずるこの帝国では、精霊信仰は野蛮な邪教であり、森は単なる土地でしかない。

 他の幾つもの国々を平らげたように、帝国は豊かな資源を有する隣国を狙って攻め入り、支配したのだ。

 新たに引かれた国境線の境目には、幾つもの砦が築かれ、兵士たちが目を光らせていた。

 周辺には開拓者の村が広がり、そこからさらに奥へと道が延びている。

 豊富な木材、肥沃な土、そこかしこに潜む獣。 そして、隣国から次々と運ばれていく奴隷達。

 隣国の王家には、帝国から幾人もの召使を従えた王女が停戦の証と称して嫁いできた。 王子には婚約者がいたが、その約束は婚約者の家と共に葬られた。

 王と王妃は病床に伏し、王子もまた病を得て後宮に引きこもっている。 王女を頂点とした勢力に支配された王宮は、反逆者と疑われた者を手当たり次第に奴隷に貶していった。


***


 息を切らした少女が、森の奥深くにある祠にたどり着いた。

 月のない闇夜の中、少女の手元だけがぼんやりとした光に照らされていた。

 祠は満々と水をたたえた泉のほとりに据えられ、びっしりと苔に覆われていた。

 少女は祠の前に跪くと、震える手を額の前で組んだ。 額に刻まれた奴隷の焼印が、青白い光に浮かび上がる。

 つと立ち上がり、少女はその場で舞を舞った。 足踏みと腕の振りで織りなすのは、高位の巫女にのみ密やかに伝わる奉納舞。

 舞いながら、少女は口の中で呪文を唱えた。 精霊を称え異教の神を退ける、秘密の呪文を。

 少女の手から光が離れ、滲むように祠の中に吸い込まれた。

 辺りが真の闇に覆われる。


「……つつがなくお送りいたしました。 ……これが最後の分け身様です」


 少女の呟きが、闇に溶ける。 泉の水面が揺れ、空気が膨らむ。

 ごう、と風が巻き、倒れ込んだ少女の体を水飛沫がしとどに濡らした。


***


 王宮のそこかしこを、清らかな朝日が照らしていた。

 ざわめく王宮の奥深く、天蓋に覆われた豪奢な寝台の中から、王子妃が鋭い悲鳴をあげた。

 共寝させていた若い愛人が、皺だらけの老人に変わり果てていたのだ。

 上げた悲鳴の濁りに気づいた王子妃が、己の喉に手をやる。 触れた喉は皺に覆われ、顎と頬肉がたるんでいた。 振り乱した髪は、黄ばんだ白髪に変わっている。


「な……なにが、誰かっ!」


 呼ぶ声に漸く姿を見せた召使いも、面影を残した老婆だ。

 部屋着の前を掻き合せ部屋を飛び出した王子妃が見たものは、後宮の長い廊下を右往左往する、老人たちの姿だった。


***


(――やり遂げたのだな)


 天蓋に覆われた寝台に体を埋めた老人が、外の喧騒に耳を澄ませる。

 寝台の傍らには、忠実に仕えてくれた侍従が、掛け布団に伏して事切れていた。

 その皺ばんだ顔に浮かぶ満足そうな笑みに、己の口端も歪む。

 瑞々しい少年だった自分たちが、こんな老爺に成り果てるのなら、あの高慢な女はどれほど醜く老け込んでいることだろう。


(妻と呼ぶのも汚らわしい、あの女)


 国の為だと、涙を飲んで迎えた帝国の王女。 自分よりも一回りも年上のあの女は、嫁いでくるなり後宮の女王として君臨した。

 長年の婚約者だった少女の家を邪教徒の集団と貶めて取り潰したのを皮切りに、少しでも自分の意にそぐわない者を次から次へと葬っていった。

 父も母も毒を受け、生死さえも判らない。 自分も少しずつ毒を盛られ、長い間政治から離され病床生活を余儀なくされている。

 あの女の――帝国の狡猾なところは、相手の弱みとなるものを、切り札としてわざと生かしておくことだ。

 自分に対しての父と母を。 精霊信者の最後の拠り所として、巫女である元婚約者の少女を。

 けれど、帝国の奴らは知らない。 この国を守護する精霊の力と容赦なさを。

 その精霊に直接働きかけることのできる、巫女の力を。

 自分に残された数少ない協力者――この侍従や護衛騎士、下働きの少年の協力を得て、あの女の奴隷となっていた少女を密かに城から出した。

 逃げた彼女は森に入った。 後は――


(精霊が求める供物は、祈りと舞と、そして命)


 萎えた手足に力を込めて、寝台から這い出る。 テラス窓にたどり着き、窓の戸を開け放つ。

 テラスから望む緑豊かな森の奥から、濃密な瘴気が立ち昇っていた。 瘴気の中心から徐々に広がりを見せる、立ち枯れた木々の茶褐色。

 王家を始めとする精霊信者は、その身に精霊の分け身を抱え、日々の祈りでそれを慰撫する。

 罪人を焼く火刑の炎の中から、改宗によって弾き出された信者の体から、精霊の分け身は少しずつ元の体へと戻っていったことだろう。


(私たちが託した分け身様は、君の道行きを照らしてくれただろうか……)


 瞬く間に色を変えていく森を眺める王子の耳に、部屋のドアをけたたましく叩く音が届く。

 王子は顔を顰め、枯れ木のような手を上げて細い白髪を掻き上げた。

 ひび割れた唇が紡ぐ精霊を讃える祝詞が、生ぬるい風に溶けていった。

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