第一のループ、第2章:砕けた地平線
日々が曖昧になり、荒廃した都市と不毛の大地をただひたすら歩き続ける、果てしない行進のように溶けていった。
一歩踏み出すたび、機械の核が微かに振動し続ける――途切れることのない、かすかな鼓動。
それは、俺が何であるかを思い出させる音。あるいは――俺が何でないかを。
太陽は空高くにあったが、その光は病的に薄く、長い影を落とすばかりで、この世界の陰鬱を追い払うことはできなかった。
この世界は…壊れている。
何か大切なものを剥ぎ取られたような、ただ空虚な廃墟だけが残された世界。
そして沈黙――あまりに深すぎて、俺の思考すら飲み込んでしまうほどの沈黙。
「まるで世界が諦めたみたいだな…」
久しぶりに声を発したせいか、かすれた言葉が静寂の中に溶けていく。
音は虚無へと消えていき、廃墟は俺を認識すらしない。ただ、忘れ去られた記憶の墓場をさまよう幽霊のように――
俺は歩みを止め、周囲を見渡した。
周りの建物は、まるで疲れ果てた死骸のように崩れかかっていた。
ひび割れた壁、傾いた構造。完全に崩れ落ち、鋭く尖った瓦礫の山と化したものもあった。
風が砕けた窓を吹き抜け、錆びと朽ちた廃墟の匂いを運ぶ。
「昼も夜も関係ないのか…」
転がっていた瓦礫を蹴ると、それは音もなく闇に消えていった。
終わりなき虚無。
時間の概念は消え失せ、昼と夜の境目すら曖昧だった。
そして夜になれば、星も月もない。
ただ、すべてを覆い尽くす黒い虚無だけがそこにある。
俺はそっと胸に手を当てた。
皮膚の下に、機械の核が静かに震えているのを感じる。
疲れを感じることはない。
飢えも、渇きも、眠気すらない。
それでも、何かが欠けている。
埋めようのない空白が、俺の思考をむしばむ。
俺は何を失った?
指先が胸の空洞をなぞる。
この欠落は、単なる物理的なものではない――もっと深い、説明のつかない何か。
「俺は…何を忘れている…?」
当然、沈黙は答えをくれなかった。
だが、この世界は完全に死んでいるわけではない。
俺は、それを知っている。
何度も目撃してきたから。
――この廃墟に潜む、“何か” を。
第一の出会いは、あの終わりのない黄昏の時間だった。
病的な太陽が低く垂れ込める中、俺は廃墟と化した街を歩いていた。
そして――聞こえたのだ。
唸り声。
低く、獰猛で、空気そのものを震わせるような音。
まるで獲物を狩る前の捕食者が、様子をうかがっているかのような…
俺は振り返った。
そこに、奴らはいた。
影のような姿。
異様に長い手足。
関節が、人間とは違う方向にねじれ、奇妙な動きをする。
その目は赤く燃え、まるで消えかけの炎のように瞬いていた。
その存在は、この世界に属していない――時間の狭間に引っかかった、"歪んだ何か"。
俺の手は、無意識に鉄パイプを握りしめる。
どこかの瓦礫から拾った、錆びた金属の棒。
頼りない武器だが、今はこれしかない。
「近寄るな。」
低く呟いたが、声はほとんど届かない。
奴らは円を描くように動き、ゆらゆらと歪んだ動きをしながら俺を取り囲む。
その赤い目は、ひたすらに俺を見つめ、何かを求めているようだった。
そして、一体が飛びかかってきた。
――速い。
反応する暇もない。
だが、俺の身体は勝手に動いた。
身を翻し、全力でパイプを振るう。
ガンッ!!
衝撃が腕に伝わり、奴の身体が瓦礫の上に転がる。
そして――そのまま霧のように消えていった。
他の影が、動きを止める。
やがて、一体、また一体と後退し、闇の中へと溶けていった。
俺は立ち尽くしたまま、機械的な呼吸を繰り返す。
俺のコアが静かに脈打ち、その振動が全身に響く。
指が震えていた。
「……お前たちは、一体……?」
声はかすれていた。
だが、それは俺自身に向けた問いでもあった。
――俺は、一体、何者なのか?
黄昏が闇に飲まれる頃、俺は思ったよりも遠くまで歩いていた。
足は疲れない。
だが、何かが重かった。
身体ではなく――心の奥に沈むような、言い知れぬ疲労感。
そして、その時だった。
図書館が見えた。
瓦礫と化した街並みの中で、それはまるで過去の名残のように佇んでいた。
だが、時の流れには抗えなかったのだろう。
屋根は崩れ、壁はひび割れ、入り口の看板は錆びついて文字がほとんど読めない。
Library――
かつてそこにあった言葉の残骸。
「まだ…立っているのか。」
ぼそりと呟く。
苦笑がこぼれた。
「…俺と同じだな。」
扉に手をかけ、押し開く。
金属の軋む音が、静寂の中に響いた。
中は、かつて知識を蓄えていた場所のなれの果てだった。
崩れた本棚。
床に散らばる無数の本。
黄ばんだページの切れ端が、過去の記憶のように散乱している。
この静寂は、他の場所とは違った。
重く、沈み込むような空気。
まるで、かつてここにいた者たちがまだ見守っているかのような――
俺は膝をつき、朽ちかけた本を拾い上げる。
背表紙は壊れ、表紙はもろく崩れそうだった。
「…昔は、ここで人々が答えを求めていたんだろうな。」
学ぶために。
夢を見るために。
だが、今はただの墓標にすぎない。
俺は無意識に、崩れた本の山をかき分けていた。
何を探しているのか、自分でも分からない。
何も探していないのかもしれない。
それとも、すべてを探しているのか。
そして――見つけた。
倒れた梁の下。
半ば埋もれた、革張りの手帳。
表紙はひび割れ、端が焼け焦げていた。
慎重に引き抜き、埃を払う。
その重みが、妙に…意味を持つように感じた。
ページをめくる。
インクは滲み、文字はかすれていたが、まだ読める。
「失踪が加速している。我々には理由も方法も分からないが、町ごと一晩で消えている。評議会は解決策を探している。時間がない…」
息をのむ。
「我々は "プロジェクト・リバース" に希望を託した。もし最悪の事態が起きれば、それが最後の手段となるだろう。」
指が震えた。
"プロジェクト・リバース"
その言葉は――どこかで聞いたことがある。
遠い記憶の彼方、夢のように、霞のように。
俺のコアが、不規則に脈打つ。
まるで、その言葉に呼応するかのように。
この手帳の持ち主は、この世界の崩壊を知っていた。
それを止めようとしていた。
そして――俺は、それに関係している。
「…何かの手がかりになるはずだ。」
俺は手帳を強く握りしめた。
頭の中で、断片的な記憶が渦を巻く。
思い出せない。
けれど――確信していた。
この手帳は、俺の過去に繋がっている。
その時だった。
遠くから――唸り声が聞こえた。
低く、獰猛な声。
俺の体が、無意識に戦闘態勢を取る。
窓の外、影が揺らめいた。
闇が全てを包み込み、"奴ら" が動き出す。
俺は手帳を鞄にしまい、しっかりと肩にかける。
その重みが、現実味を帯びていた。
――明日。
明日こそは、答えを見つける。
風が、死にゆく世界の音を運んでいた。
俺は目を閉じる。
コアの鼓動が、静かに、確かに響いていた。
そして、俺の中に残る唯一の言葉――
プロジェクト・リバース。
それが彼らの最後の希望だった。
そして、俺にとっての最後の希望なのかもしれない。