第五ループ 第23章 : 影に分断された世界
私の涙は止めどなく溢れ、煤に汚れた顔を伝い落ちていった。震える手で握りしめた光る小瓶。その青と紫の淡い輝きは、私の肌に揺らめきながら映り込んでいた。まるで私の内に渦巻く嵐とは対照的に、儚く、壊れやすい光だった。
私は奥歯を噛みしめ、嗚咽をこらえながら、遠くに浮かぶ影を見つめた。愛した人——いや、その残酷で歪められた影。
「…泉」
掠れる声でその名を呼んだ。喉が締めつけられるように苦しくなる。小瓶を握る手に力がこもる。「…ごめん。でも必ず助ける。たとえ全てを失っても——」
小瓶の封が小さく音を立てて外れた。内部の発光する液体が、まるで生きているかのように揺らめく。迷いはない。ためらう理由もない。
私は小瓶を口元に運び、それを飲み干した。
炎を飲み込んだかのようだった。舌に触れた瞬間、全身が拒絶する。空になった小瓶が指から滑り落ち、ひび割れた地面に砕け散るのも気づかないまま、私は膝をついた。
「——っぐあああああっ!!」
焼けるような熱が血管を駆け巡り、私の体は痙攣した。まるで溶岩が肉体を侵食していくような感覚。筋肉が引き裂かれ、再生し続けるかのような、終わりのない苦痛。
視界が白と黒の閃光の間を揺れ動く。砕けた大地を爪で掻きむしりながら、私は必死に息を吸った。耐えがたい激痛。それはまるで、無理やり生まれ変わらされるかのような感覚だった。
——そして、突然、それは止まった。
荒い息をつきながら、私は震える手で地面を押し、ゆっくりと体を起こす。痛みは…消えたわけではなかった。いや、"変わった"のだ。別のものへと。
血管を流れる力を感じる。脈打つ鼓動が、新たなエネルギーと共鳴する。皮膚の下で青と紫の光が脈動し、私の手を包み込んでいた。
目を開ける。世界が、鮮明に見える。鋭く、研ぎ澄まされていた。
ふと、砕けたガラス片に映る自分を見た。
——瞳の色が、変わっていた。
青と紫の輝きが星のように瞬いている。まるで夜空に咲く花のように。
低く響く音が空間を満たし、私の体から発せられるエネルギーが周囲の瓦礫を浮かせていく。心臓が高鳴る。決意と、悲しみの狭間で。
「泉——」
震える声。でも、握りしめた拳は迷わない。指先から力が波紋のように広がる。
「…たとえ何があっても、お前を取り戻す」
崩れ果てた都市の向こう。闇の嵐に包まれた泉が、破壊の女神のように静かに浮かんでいた。掌の上で脈動する黒い球体。それは周囲の光すらも呑み込む闇。
彼女の赤い瞳——かつて私が知っていた、優しく穏やかな光を持つ目とは違う、冷たい炎が燃えている。
そして——彼女は微笑んだ。
「…飲んだのね?」
囁くように言ったその声は、妙に楽しげで、ぞっとするほど冷たい。
「それでどうするの、ダイチ? その借り物の力で、一体何を成し遂げるつもり?」
私は一歩踏み出す。足元の地面が砕け、波紋のようにエネルギーが広がる。
「お前を止める」
その言葉は、心の嵐とは裏腹に、驚くほど静かだった。
一瞬だけ——ほんの一瞬だけ——彼女の表情が揺らいだ。
微かな違和感。目の奥の一瞬の迷い。かつての彼女の面影か?
——だが、それはすぐに消えた。
「…バカね」
彼女の口元が歪み、冷酷な笑みを浮かべる。
「私はお前のためにやっているのよ、ダイチ。すべては…私たちのため」
その声は、どこか優しさすら感じられるほど穏やかだった。
「どうして、それがわからないの?」
「人類を滅ぼしても何も変わらない!」
私の叫びは、壊れかけた世界に響き渡る。
「こんなのは、お前じゃない! 本当の泉なら——」
「黙れ!」
掌の黒い球体が脈打つ。圧倒的な力が空間を震わせる。
赤い瞳が鋭く細められ、彼女の口元が冷たい笑みを刻む。
「そこまで言うなら…証明してみせてよ、ダイチ」
指先が黒い光を纏い、雷がその表面を走る。
「その覚悟の力を——私に見せなさい」
息が詰まる。空気が重く、張り詰めた緊張が肌を刺す。
そして——彼女が動いた。
稲妻のような速さ。私との距離が、一瞬で消えた。反応する間もなく、彼女の拳が迫る。私は咄嗟に腕を交差させ、防御の構えをとった。
轟音が響き渡り、激突の余波が瓦礫を吹き飛ばす。
「やめろ、泉!」
叫ぶ。でも——彼女は止まらない。
攻撃は容赦なく、鋭く、正確だった。私は回避し、反撃し、必死に応戦する。それでも、彼女を傷つけるつもりはなかった。ただ、取り戻したかった。
私たちの力が衝突するたび、大地が震えた。
「…甘いのよ」
泉——いや、彼女は冷笑しながら、私の手首を掴んだ。
「そんな迷いで、私に勝てると思うの?」
歯を食いしばる。私の手のひらに、青と紫の光が集まる。
「勝ちたいんじゃない! …お前を取り戻したいんだ!」
彼女の動きが、一瞬だけ止まった。
「…ダイチ」
その声は、かつての彼女のものに近かった。
でも、その瞬間、彼女は再び目を伏せる。拳を握りしめ、私を力強く押しのけた。
「…遅すぎるのよ」
彼女の掌の黒い球体が、不吉な光を帯びて膨れ上がる。
「この世界は…もう終わるのよ」
「…違う!」
私は声を振り絞る。
「自由は破壊の先にあるんじゃない! 俺たちは戦える…お前が教えてくれたんだ!」
彼女の手が、わずかに震えた。
黒い球体がちらつき、不安定に揺らいだ。まるで、私の言葉に反応しているかのように。
一瞬だけ、彼女の深紅の瞳が柔らぎ、唇がわずかに開いた。何かを言おうとしているようだった。
だが——
「やめて!」彼女は叫んだ。声が震えていた。
黒い球体が激しく弾け、歪んだエネルギーが空気をねじ曲げる。周囲の圧力が耐えがたいほど高まり、地面が裂ける。オルター・イズミが手をさらに高く掲げた。
「ダイチ……お願いだから……私に、こんなことをさせないで……」
かすれた声が震えていた。
私は拳を握りしめ、あふれ出るオーラを抑えられなかった。胸を焼くような痛みを無視し、前へと踏み出す。
「戦うよ、イズミ。」涙を流しながらも、私は迷いのない声で言った。「望んでいるわけじゃない……でも、やらなきゃいけないんだ。絶対に君を取り戻す。」
彼女の瞳が見開かれた。
悲しみ。
怒り。
そして——恐れ。
「それなら……もう負けてるわ。」
彼女はかすかに囁くと、最後の叫びとともに、手の上の黒い球体が暴走し、すべてを飲み込もうとした。
空気は重く、埃と焼け焦げた金属の臭いが充満していた。息をするたびに、崩壊した世界の残骸を肺に取り込むような感覚がした。激しく上下する胸、鼓動が耳の奥で響く。
そして——彼女がいた。
暗黒の嵐を纏いながら、空中に浮かぶ影。ねじれ、弾ける黒いエネルギーがまるで生き物のように彼女を包み込んでいた。長い髪が風に舞い、紅く光る瞳が冷たく輝く。
破壊の化身。
絶望の中から生まれた復讐者。
だが、私は知っている。
どれだけ闇に覆われようと、どれほど遠くへ行ってしまおうと——彼女はまだ、イズミだった。
私のイズミだった。
「イズミ……」震える声で呼ぶ。必死な想いと、揺るがぬ決意を込めて。「君はまだ、そこにいるんだろ?」
沈黙。深い沈黙が私たちの間に広がる。
そして、彼女は微笑んだ。
それは、残酷で歪んだ、彼女のものではない笑み。
「まだそんな幻想に縋っているの?」彼女は冷たく言い放った。その声には、わずかに迷いの影があった。「あの女はもういないわ。人類が私たちを裏切った瞬間に、死んだのよ。」
「違う!」私は叫んだ。虚無に満ちた世界に、私の声が響く。「君は間違ってる!これが本当の君じゃない!俺の知ってるイズミは……こんなこと、望んでない!」
一瞬だけ——彼女の瞳が揺らいだ。
ごくわずかに、しかし確かに。
希望の光。
だが、それはすぐに消え去り、彼女の表情は再び冷酷なものに戻る。
「愛?」彼女は嘲笑った。「そんなもので、過去が消えるとでも?彼らの罪が、嘘が、帳消しになると?」
私は拳を握りしめた。皮膚の下で脈打つエネルギーが熱を帯びる。
「過去を消す必要なんてない!」私は強く言った。「俺たちは前へ進める!癒すことだってできる!でも……破壊することじゃ、何も変わらない!」
彼女は笑った。悲しく、虚ろな笑い声だった。
「バカね。」彼女は小さく呟く。「昔から、そうだった。」
私は一歩踏み出す。ひび割れた地面が、音を立てて崩れた。
「そうかもしれない。」私は微笑む。「でも、それでもいい。俺は諦めない。」
彼女の息が止まる。
「昔、君が言ったんだ……どんなに暗い時でも、前に進む道はあるって。覚えてるか、イズミ?」
彼女の瞳が揺れる。
「私……」
彼女の唇がわずかに動いた。
周囲の黒いエネルギーが波打ち、不安定に明滅する。まるで、彼女自身の心が揺らいでいるかのように。
だが、彼女はすぐに頭を振った。
「やめて……ダイチ……」
その声は弱く、壊れそうだった。
「一人で抱えなくていい。」私はそっと言う。「もう戦わなくていいんだ、イズミ。俺がいる。君を助ける。必ず。」
彼女の手が震える。
彼女の掌に浮かぶ黒い球体が、今にも砕けそうなほど不安定になった。
「ダイチ……」
彼女が囁く。
その表情が、何かを求めるように揺れる。まるで——私に助けを求めるように。
私は手を伸ばした。
——その瞬間。
ガラスが砕け散るように、すべてが崩れた。
「違う!!」
彼女の悲痛な叫びとともに、オーラが爆発する。衝撃波が廃墟を吹き飛ばし、瓦礫が宙を舞った。
「わかってない、ダイチ!私はもう選んだんだ!君は……君はきっと私を憎む……でも、これは私たちのためなの!」
「俺たちのため……?」声が震えた。「これが……どうして、俺たちのためになるんだ、イズミ?!俺たちが戦ってきたものを壊して……君自身が信じてきたものを踏みにじって……これが、本当に『俺たちのため』だって言うのか?!」
彼女の唇が、かすかに震えた。
「だって……だって、これしかないから……」
「違う!!」私は叫んだ。「君は怖いんだろ?!怒りを手放したら、悲しみに飲み込まれるのが怖いんだ!!」
「黙れ!!」
彼女は黒い雷を放つ。私は紙一重でかわし、爆発の衝撃に吹き飛ばされそうになった。それでも、立ち止まらなかった。
「怖いのは俺も同じだ!!」私は叫ぶ。「全部失った……家族も、仲間も、そして……君まで!でも、それでも俺は諦めない!!なぜなら……それを教えてくれたのは、君なんだ、イズミ!!」
彼女の瞳が揺れた。
「……私が?」
「そうだ。」私は、静かに一歩踏み出す。「君は俺の光だった。だから……俺は、君を取り戻す。」
彼女の瞳に涙が滲む。
「ダイチ……お願い……」
「止まらない。」私は微笑む。「君を、迎えに行く。」
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