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第五ループ 第22章: 残光の彼方

私は息を呑んだ。


激しく地面に叩きつけられた衝撃が全身を駆け巡り、神経の隅々まで震わせた。四肢に鋭い痛みが走ったが、それどころではなかった。荒い息を吐きながら、しばしその場に横たわり、何が起こったのかを理解しようとする。


ゆっくりと、目を開けた。


そこには、午後の陽光に照らされた施設の廃墟が広がっていた。砕け散ったガラスが床に散乱し、まるで砕けた星のように温かな光を反射している。空気は埃と錆びついた鉄の匂いで満ちており、ほんの数瞬前までいた無機質で冷たい空間とはまるで異なる世界だった。


混乱する頭を振り払い、なんとか身を起こす。


手に握られた小瓶が微かに脈打ち、内部から淡い光を放っていた。その光は揺らぐことなく、静かに輝いている——まるで、さっきの出来事がただの幻ではないことを証明するかのように。彼が、確かに存在していたことを。


指が無意識にガラスを強く握りしめる。


「……あれは、一体……?」

かすれた声でつぶやく。彼の顔が脳裏に焼き付いて離れない。その言葉が、まるで呪いのように響き続ける。


『時間がない』


『迷えば、彼女を失う』


頭を振る。今は、答えのない疑問に囚われている場合ではない。確かなことはただひとつ——

イズミが待っている。


小瓶をポケットに押し込み、痛む体を引きずるようにして立ち上がる。足元がふらついたが、立ち止まるわけにはいかなかった。もう、あと少しなのだから。


——その時だった。


轟音が響く。


鋭く顔を上げる。

廃墟の向こう、崩れた都市の残骸を越えた先に、それはあった。黒煙が蛇のように空へと昇り、遠くでは炎が踊る。夕暮れの青い空に、燃え盛る橙色の光が揺らめいていた。


世界が崩壊しつつあった。


——そして、その混沌の中に、彼女がいる。


走り出した。


呼吸が胸を焼き、疲労しきった身体に衝撃が走る。崩壊する都市が足元で軋み、ひび割れた道が崩れ落ちていく。傾いた建物が今にも倒れそうに揺れ、空気は灰で満ちていた。それらが渦を巻き、まるで足を止めさせようとするかのようだった。


——だが、それらは何の障害にもならなかった。


彼女の声が聞こえたから。


「ダイチ!」


胸が締め付けられる。


煙の向こう、視線を走らせる。そして——いた。

瓦礫の中に、微かに見えるシルエット。


イズミ。


安堵が、波のように押し寄せる。

彼女は無事だった。彼女は——


空間が裂けた。


轟音が大気を震わせ、地面に強烈な振動が走る。思わずよろめく。

見上げた空が——引き裂かれていた。


赤と青の光が混ざり合い、世界に深い傷を刻んでいく。狂ったような風が吹き荒れ、異質な力が身体を刺すように駆け巡る。全身の神経が警鐘を鳴らした。


何かが来る。


いや——


誰かが。


裂け目の中心から、ひとつの影がゆっくりと現れた。


その姿を見た瞬間、息が詰まる。


銀の流れのような長い髪が揺れ、身体が仄かに光を帯びていた。まるで現実と別の何かの狭間にいるかのように、存在そのものが揺らいで見える。その気配は強大で、圧倒的で——それでいて、背筋が凍るほどの違和感があった。


だが、それ以上に恐ろしいことがあった。


俺は、その顔を知っていた。


「……イズミ?」


その名が、震えながらも自然と口をついて出た。


——だが、何かが違う。


彼女の深紅の瞳が、異様な輝きを放つ。

その表情は——読めなかった。


そして、彼女は微笑んだ。


俺の知る、あの温かく優しい笑顔ではない。


冷たい。空虚な。


彼女は僅かに首を傾げる。まるで、初めて俺を観察するかのように。そして、口を開いた。


「……これが、"もうひとつの世界"?」


その声は、柔らかく、それでいて楽しげでもあった。


背筋に冷たいものが走る。


——これは、彼女じゃない。


いや、少なくとも——


俺の知っているイズミじゃない。


恐怖が胸を締め付けるのを感じながら、それでも俺は、一歩前に踏み出した。


「イズミ……?」

声がかすれる。「本当に……お前なのか?」


その瞬間——


彼女の表情が一瞬だけ揺らいだ。

唇がわずかに開き、次に発せられた声は、かすかに震えていた。


「……ダイチ?」


——それは、彼女だった。


息が詰まる。


彼女が一歩、俺に近づいた。纏っていた冷酷な気配が、ほんの僅かに揺らぐ。

唇が震え——そして、俺は見た。


涙。


淡く光る瞳に涙が溜まり、かすれた声が紡がれる。


「……まだ、生きてたんだ……」

信じられない、とでもいうように。

「ってことは……間に合ったんだね……」


「間に合った……?」

不安が胸を締めつける。「イズミ、一体何を言ってるんだ? 何があった?」


彼女が答える前に——


動いた。


速すぎた。


彼女の手が鋭く伸び——そして次の瞬間、彼女の指がイズミの喉を締め上げていた。


——本物のイズミの喉を。


「やめろ!!」

俺は叫び、飛び込もうとする。


だが、見えない力が俺を弾き飛ばした。

衝撃が背中に走り、地面に叩きつけられる。


「っ……!」


イズミが喘ぎ、必死にもがく。

彼女の視線が俺に向けられる——怯えと絶望に満ちた瞳。


「……ダ……イチ……」

掠れた声が震えながら俺を呼んだ。


「離せ!!」

怒声を上げながら、必死に身体を起こそうとする。


だが、彼女は俺を見つめ、笑みを浮かべた。

——冷たく、嘲るような笑みを。


「私に彼女を離せって?」

まるで愉しむように呟く。「ダイチ、あなたはわかっていない。彼女は、私なのよ。」


——血の気が引いた。


「……何……?」


彼女の指先から、不気味な光が広がる。

赤黒い脈がイズミの肌を這うように広がり、まるで何かに蝕まれるかのように。


「やめろ!!」

必死にもがくが、見えない力が俺を押さえつける。


「お願いだ……やめてくれ!!」


その時——彼女の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

まるで、哀れむように。


「彼女は弱いのよ、ダイチ。」


——絶叫が響く。


そして、ぷつりと音が途絶えた。


「……っ!!」


俺の目の前で——

イズミの身体が、無数の赤い霧へと砕けた。


その霧は生きているかのように渦巻きながら、彼女の掌へと吸い込まれていく。


——そして。


彼女は、消えた。


まるで最初から存在しなかったかのように。


膝が崩れ、地面に崩れ落ちる。

喉から、嗚咽が漏れた。


「……イズミ……」


彼女はゆっくりと息を吐くと、掌を閉じる。

そこには漆黒の球体——異質な力を帯びたものが浮かんでいた。

大地が震え、空気が歪む。


俺は必死に顔を上げ、震える手で地面を掴む。


「……どうして……」

声が掠れる。「どうしてこんなことを……?」


彼女は俺の視線を受け止めた。

——その瞳に、一瞬だけ迷いがよぎる。


そして、静かに答えた。


「あなたを助けるため。」


——息が詰まる。


「私たちを……救うため。」


だが、その一瞬の迷いはすぐに消えた。


彼女の表情が硬くなる。


「ダイチ。私は人類を滅ぼす。」

その声は冷静だった。「それでようやく、私たちは平穏になれるの。

——永遠に、二人で。」


その言葉が、俺の胸を抉る。


息が詰まり、声が震えた。


「……そんなこと……イズミが望むはずがない!!」


彼女の笑みが、かすかに揺らいだ。


俺は震える息を吐いた。

胸が痛いほど高鳴る心臓を押さえつけるように、拳を握りしめる。


「……もし、お前がまだそこにいるなら——俺が助ける。」

視線を上げ、彼女を真っ直ぐに見つめる。

「どんな手を使ってでも。」


——その瞬間。


彼女の指がかすかに震えた。

迷いが、その表情を一瞬だけかすめる。


だが、次の瞬間。


彼女の手の上に浮かぶ黒い球体が膨れ上がり、圧倒的な力を放った。


「なら……もうおしまいね。」


地面が裂ける。


——だが、俺はためらわなかった。


だって、諦めるつもりなんてなかったから。

今までも、これからも——絶対に。


世界は崩壊の残り香に満ちていた。


焦げた金属の匂い、立ち込める粉塵。

息を吸うたび、崩れ落ちた世界の残骸が肺に流れ込むようだった。

荒れ果てた都市の瓦礫の中、俺は立っていた。


——そして。


彼女は、そこにいた。


暗黒の嵐をまといながら、宙に浮かんでいる。

荒れ狂う風に髪をなびかせ、赤く光る瞳が俺を見下ろしていた。

それは、まるで破滅の亡霊。

絶望の果てに生まれた、復讐の化身のように。


だが、俺は知っている。


どれほど深い闇に包まれていようとも——

どれほど遠く離れてしまったように見えても——


彼女はまだ、イズミだ。


「……イズミ。」


掠れた声が、静寂に溶ける。

必死の願いを込めた、震える言葉。


彼女に届くことを信じて。


しかし——


沈黙。


深すぎるほどの沈黙が、俺たちの間に横たわる。


——やがて。


彼女は、嗤った。


歪んだ、残酷な微笑みで。


「まだそんな幻想にすがってるの? ダイチ。」

冷たい声が、荒廃した街を切り裂く。


けれど——


その奥に、確かにあった。


ほんの僅かに滲む 迷い の色が。


「私が知っているイズミは、そんなこと言わない……!」


俺は叫んだ。


「お前は違う! こんなの、イズミじゃない!!」


——その瞬間。


彼女の赤い瞳が、かすかに揺らいだ。

ほんの一瞬だけ。


それは、かすかな 希望 の光。


——けれど。


すぐに、彼女の表情は硬くなり、微笑みが消えた。


「……愛?」

彼女は嘲るように笑う。「そんなもので、過去が変わるとでも?」


「変えなくていい!」

俺は拳を握りしめる。「でも、乗り越えることはできる! 一緒に!!」


彼女は、哀れむように微笑んだ。


「——甘い。」


俺は一歩踏み出した。


足元の瓦礫が砕け、世界の脆さを思い知らせる。


「かもしれない。でも、俺は諦めない。」


彼女の息が——震えた。


「昔、お前が言ったんだろ?」

俺はそっと言葉を紡ぐ。「どんなに暗い闇に飲まれそうでも——進み続ける方法は、必ずあるって。」


彼女の目が、わずかに逸れた。


「……っ……」


その唇が、かすかに震える。


黒いエネルギーが揺らいだ。

不安定に脈打ち、まるで自らの存在を疑っているかのように。


——だが。


「やめろ……」

彼女は、首を振った。


荒れ狂う風が髪を翻す。


「ダイチ……私を惑わせないで……!」


——彼女は俺と戦っている。


けれど、それ以上に——


彼女は、自分自身と戦っていた。


「イズミ。」

俺はそっと語りかける。


「もう、一人で背負わなくていい。

もう、戦わなくていい。

俺がいる。俺が、お前を助ける。」


——彼女の手が、震えた。


わずかに。


掌に浮かぶ黒い球体が、不安定に明滅する。


「……ダイチ……」


彼女の声は、掠れていた。


その目が、俺を求めるように揺れた——


——だが。


それは、一瞬の幻だった。


「——いやぁぁぁぁぁぁっ!!」


絶叫が響き渡る。


同時に、彼女のオーラが爆発した。


衝撃波が瓦礫を吹き飛ばし、世界を引き裂く。


「ダイチ!!お前には、わからない!!」

涙を滲ませながら、彼女は叫んだ。

「私は、もう選んだの! そして——お前は、私を憎む!! でも、私は……これは……私たちのためなんだ!!」


「俺たちのため……?」


俺の声が、痛みに歪む。


「こんなのが……俺たちのためだっていうのか!?

お前が信じてきたものも、戦ってきたものも……

全部壊して……それが、本当に『俺たちのため』なのかよ!!」


彼女の唇が——震えた。


迷い。


「……だって……これしか……」


「違う!!」

俺は叫ぶ。「お前はただ……怖いんだろ!?」


「黙れえええええええ!!!」


彼女の手が振り下ろされ、黒い雷が轟いた。


——避ける暇もない。


地面が砕け、爆風が俺を吹き飛ばす。


それでも、俺は立ち上がる。


「俺だって怖い!!」

俺は叫んだ。「全部失ったんだ! 俺は!! でも、それでも諦めない!!

だって、それを教えてくれたのは、お前だろ!?」


——彼女の動きが止まる。


「……私が……?」


風が止まり、闇が揺れる。


「そうだ。」

俺は、一歩踏み出す。


「お前は俺の光だった。

どんなに世界が壊れても、お前がいたから俺は進めたんだ。

だから、俺は信じてる。

どんなに傷ついても——

どんなに遠く離れても——

お前は、俺のイズミだ。」


——彼女の瞳に、涙が滲んだ。


黒い球体が、崩れるように揺れる。


「ダイチ……やめて……これ以上、私を——」


俺は、首を振る。


「やめない。」


そして、手を伸ばす。


「お前を、絶対に連れ戻す。」

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