サードループ 第十六章 : 秘密の重み
ラボには不自然な静けさが漂っていた。唯一の音は、ダイチの手の中で微かに唸る遺物の振動だけだった。その柔らかく異世界のような輝きが、無機質な壁に長く不揃いな影を落とし、薄く幽玄な光で部屋を包み込んでいた。
私は扉の前で立ち止まり、息をのんだ。その光に照らされた彼の姿を見た瞬間、背筋に戦慄が走る——畏怖、恐怖、そして言葉にできない何か。もしかしたら、罪悪感。あるいは後悔。
ここに長居するつもりはなかった。ただ、少し頭を整理しに来ただけ。騒がしい状況から逃れ、静けさを求めて。しかし、そこには彼がいた。遺物をじっと見つめ、何か深く考え込んでいる。その表情は読めない。私は立ち去るべきだった。ただ背を向け、何事もなかったかのように去るべきだった。
……なのに、一歩踏み出してしまった。
「コーヒーでもいる?」
何でもないように振る舞おうとした。何も隠していないふりをした。でも、声が少し軽すぎた。
ダイチは視線を上げなかった。指が遺物を強く握りしめる。淡い光が彼の瞳に映る。そして、ようやく口を開いたとき——その声は静かだった。でも、その静けさの中に鋭い刃のようなものが潜んでいた。
「どうして俺に嘘をついた?」
足が止まる。胃の奥が捻れるような感覚。無意識に指がこわばった。
「……何のこと?」
平静を装おうとした。でも、声の震えが隠しきれなかった。
ゆっくりと、ダイチがこちらを振り向く。
彼の瞳——いつもは揺るぎないはずのその瞳に、別のものが宿っていた。
痛み。
そして、失望。
「お前は知っていたんだろう?」
彼は遺物を持ち上げた。その輝きが揺らぎ、部屋の壁に不規則な影を作る。
「最初に見つけた時から、これが何なのか知っていた。ヴァニシングを覆す鍵だって。なのに、俺には言わなかった。」
心臓の鼓動がうるさいほど響く。呼吸が苦しくなる。
「私は……」
言葉が出てこなかった。手が震える。
ダイチがゆっくりと一歩踏み出す。その声はさっきよりも柔らかくなっていた。でも、その問いかけはより深く、鋭く突き刺さる。
「どうして、イズミ?」
私はコーヒーのマグカップを握りしめたまま動けなかった。
次の瞬間——力が抜け、カップが床に落ちた。
ガシャン、と乾いた音が響く。陶器の破片が飛び散る。
でも、私はそれすら気にならなかった。
ただ、彼の瞳だけが視界に焼き付いていた。
「……」
息を飲み、必死に机の縁を掴んで身体を支える。
「……だって、もし話したら……あなたは——」
喉が詰まり、声が出ない。
でも、言わなきゃいけなかった。
「また、自分を犠牲にするでしょう?」
ダイチの表情がかすかに揺らいだ。
目の奥が熱くなる。涙が滲む。
「もう嫌なの……もう二度と、あなたを失いたくない……!」
声が震えた。
沈黙が落ちる。
ラボの空気が重く、押しつぶされそうだった。
「俺が何を賭けているか、分かってないとでも思ってるのか?」
私の手がぎゅっと握りこぶしを作る。
「分かってる。誰よりも……! でも、他に方法があるはずなの。絶対に!」
ダイチはゆっくりと遺物を机に置いた。光が少しだけ弱まる。まるで、今まで息を潜めていたかのように。
彼が一歩、近づいた。
「なら、一緒に探そう。」
その声は優しくて、穏やかだった。
胸の奥が震える。
私は唇を噛みしめ、拳を握りしめたまま言った。
「約束して。」
「……イズミ——」
「約束して、ダイチ!」
声が震えた。必死だった。
「最後の最後まで……どうしようもなくなるまでは、絶対に私を置いて行かないって!」
静寂が、永遠のように続いた。
そして——ようやく。
ダイチは、静かに頷いた。
「約束する。」
その言葉に、張り詰めていた何かが少しだけ緩んだ。
でも——
机の上の遺物が、微かに脈打つように光る。
私はその輝きを見つめながら、どうしても拭えなかった。
この約束は——
彼が守れるとは、限らない。




