サードループ 第十三章 : 儚い静寂
日々はゆっくりと過ぎていき、やがて週となり、月となった。
いくつかの記憶は断片的に戻ってきたものの、それらはぼやけていて、まるで色褪せた写真のように輪郭を掴めずにいた。
この施設の中では、時間の流れが…どこか違って感じられた。
まるで私たちは世界から切り離され、終わりのない静寂の中に閉じ込められているようだった。
ダイチも私も、それを壊すことを恐れていた。
無機質な金属の廊下は、私たちにとっての聖域だった——人類の崩壊という重圧から逃れるための、儚く仮初めの避難所。
外の世界は再建されつつあった。
都市は慎重に、今にも崩れそうな大地を恐れるかのように、少しずつ姿を取り戻していた。
かつて閑散としていた通りには、今では慎重な足音が響いている。
人々は壊れた生活を繋ぎ合わせようとしていたが、空気の中には見えない不安が漂っていた。
まるで、何かが終わらずに残っているかのように——まだ待ち受けているかのように。
そして、私もそれを感じていた。
展望デッキ——それは、ダイチが私に気づかれたくない時によく訪れる場所だった。
強化ガラスで覆われた広大なドーム型の部屋。そこからは、果てしない地平線を一望できる。
この場所の夕日は燃えるような金色と紅に染まり、やがて夜の静かな青へと溶けていく。
けれど、ダイチがそれを目に留めることはなかった。
毎晩、私はそこで彼を見つける。
沈みゆく光に背を向け、ただじっと、私には見えない何かを見つめている。
その表情は変わらない。
遠く、迷い、今と過去の狭間で彷徨っているようだった。
今夜も、それは同じだった。
私は扉の前で足を止め、彼の後ろ姿を見つめる。
肩には緊張が滲み、両手は軽く握られていた。
顔を見なくても分かる。
彼が何を考えているのか——
「そんなに見つめ続けたら、考えすぎて迷子になっちゃうよ」
私はそっと部屋へと踏み出しながら声をかけた。
ダイチは振り向かないまま、低く呟く。
「もう、とっくに迷子なのかもしれない」
私は眉をひそめ、彼に歩み寄った。
「ダイチ…」
やっと、彼は肩越しに私を見た。
そして、小さく、どこか疲れた笑みを浮かべる。
「ごめん、心配かけるつもりじゃなかった」
「いつも心配させるつもりでしょ?」
冗談めかして言ったけれど、私の瞳の奥にある本当の心配は、隠しきれなかった。
彼の隣に立ち、視線を同じ方向へと向ける。
星が瞬き始め、夜空に銀の輝きを散らしていた。
「何を考えてるの?」
私がそう尋ねると、彼は少しだけ動いた。
指先がかすかに震え、やがて拳を握りしめる。
「全部……何もかも……いや、何も分からない」
その声は、まるで言葉にすることを恐れているように、かすかに揺れていた。
「俺がやったこと——俺たちがやったことは、本当に十分だったのかって…」
胸が締めつけられる。
「もちろん十分だったよ」
そう言ったけれど、自分の声のかすかな揺らぎに気づいた。
私はそっと彼の拳に触れ、指を絡めるように握りしめた。
「ダイチ、あなたは世界を救ったんだよ。全てを懸けて… これ以上できることなんてなかった」
彼の手は強張ったまま。
「でも… まだ壊れてる」
その言葉は囁きのように静かだった。
「全てが終わったはずなのに… 何も変わっていないように感じる。人々は再建してる。でも、まだ怯えてる。 それに…」
彼は鋭く息を吐き出した。
「まだ、何かを見落としてる気がするんだ」
私もまた、硬く息を飲み込む。
そう——私も同じだった。
心の奥底に、言葉にならない影が渦巻いている。
"何か" が終わっていないと告げるような、不安の残響。
「あなたは一人じゃないよ」
私は彼の手を強く握った。
「何が起こっても、私たちは一緒。ダイチ、あなた一人で背負わなくていいんだよ」
その時、初めて彼はしっかりと私を見た。
その瞳から、ほんの一瞬だけ、遠くを彷徨っていた影が消える。
「ありがとう…」
彼は静かに呟いた。
「いつもそばにいてくれて… 全てを支えてくれて」
「まだお礼を言うのは早いよ」
私は微笑んだ。
「私、あなたがちゃんと自分を大事にするまで、ずーっと小言を言い続けるから」
彼は静かに笑った。
その音に、胸が微かに震える。
「… その小言、ちょっと恋しかったかも」
「だったら、もっと聞かせてあげるよ」
そう言い返した瞬間、彼の唇がわずかに弧を描いた。
そして、重くのしかかるものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
——だが、それも束の間だった。
翌晩、全てが変わった。
制御室は薄暗く、無数のモニターの不気味な光に照らされていた。画面には絶え間なくデータの流れが映し出され、まるで静かに警告を発しているかのようだった。
私はコンソールに身を寄せ、指を素早く動かしながら、次々と流れ込む膨大な情報を追い続けていた。
ダイチは私の隣に立ち、腕を組みながら黙って画面を見つめていた。その鋭い眼差しの奥には、私たちが認めたくない不安が潜んでいた。
そして——
最初の放送が流れた。
粗い映像が大型モニターに映し出される。アナウンサーの声は揺れ、背後に広がる混乱の中でかき消されそうになっていた。
私は息をのんだ。
映し出される光景——
閑散とした街、放棄された家々、大切な人の写真を抱えて泣き崩れる家族たち——
また、始まってしまった。
血の気が引くのを感じた。「…そんな…」
ダイチの顎が強張り、拳がゆっくりと握りしめられる。「また…起こっているのか」
低く、重い声。その奥には恐怖よりも深い何かがあった。彼は一歩画面へと近づき、必死に映像を見つめた。そこに映る絶望に満ちた人々の顔を——
「止めたはずだった… 俺の犠牲で、終わるはずだったのに…」
指が震え、キーボードの上で止まる。記憶が嵐のように襲いかかる。
——閃光。
——最後に見せた、あの眼差し。
——光に呑み込まれる直前の、静かな決意。
私は歯を食いしばり、その記憶を押し戻した。「止めた… 私たちは、確かに止めたはず… でも——」
「まだ、何かが間違ってる。」
ダイチの声が空気を切り裂くように響く。昨夜までの迷いは消え、ただ強い決意だけがそこにあった。
「何が起きているのか突き止める。今度こそ、完全に終わらせる。」
私は息をのみ、彼の言葉に胸が締めつけられる。
彼はすでに全てを犠牲にした。
もう二度と、そんなことをさせたくない。
「ダイチ…」私はそっと手を伸ばした。「一人で背負わないで。」
その瞬間、彼は私を見た。世界の重圧が二人を押し潰そうとする中で、彼は手を差し出した。
指が絡み合う。ぬくもりが伝わる。
「分かってる。」彼は静かに言った。「もう、独りじゃない。」
その言葉に、胸の奥で小さな希望の灯がともる。
「一緒に乗り越えよう、イズミ。」
彼の声は揺るぎなく、どこまでも真っ直ぐだった。「これまでと同じように。」
私は喉の奥で何かが詰まるのを感じながら、力強く頷いた。「うん、一緒に。」
モニターは淡々と情報を流し続けていた。無音の空間に、不気味な放送だけが響く。
——ヴァニッシングの拡大は、前よりも速い。
どれほどの時間が残されているのか、誰にも分からなかった。
けれど、ダイチの手を握りしめながら、私は静かに誓った。
今度こそ、絶対に失敗しない。
今度こそ、真実を見つけ出す。
手遅れになる前に——。




