第三ループ、第十二章:虚ろな残響
部屋は薄暗く、壁に並ぶモニターの不気味な青い光に包まれていた。
遠くで電源コアの低い唸りが響き、静寂の中に淡々としたリズムを刻んでいる。それは、この壁の外ではまだ世界が動き続けていること、時間が進んでいることを冷たく告げていた。
だが、私にとって――時間は止まっていた。
私は動けずにいた。手は震え、視線は冷たい金属の台の上に横たわる人物に釘付けになっていた。
ダイチ。
いや……ダイチの姿をした"何か"。
その身体は完璧だった――かつて私が失った彼を、完璧に再現していた。
細部まで。彼の手のひらにある小さな三日月型の傷跡、光を受ける茶色の髪の艶、優しく弧を描く眉の形。まるで私の記憶から掘り起こし、一片の狂いもなく作り直したかのように。
私はそっと指を伸ばし、彼の手に触れた。
その瞬間、胸の奥に深い虚無感が押し寄せる。
人工の肌は温かかった。本物に限りなく近い。
……なのに、何かが違う。
これは彼じゃない。
かすれた息が漏れた。
「……ダイチ」
その名を呼んでも、返事はない。
喉の奥に苦いものが込み上げる。指先で、彼の手のひらに刻まれた傷をなぞった。私が、こだわって再現した傷。
「……笑うよね、きっと。」震える声で呟いた。「"イズミ、また頑固になってる"って。」
まるで彼の声が聞こえた気がした。
呆れながらも、優しく微笑むあの表情が、脳裏に焼きついて離れない。
私は拳を握りしめた。
「でも、どうしても……」息が詰まる。「どうしても、君を失いたくなかったんだ。」
答えのない静寂が、私を締め付ける。
やっとの思いでスツールを引き寄せ、崩れ落ちるように座った。肘を台に乗せ、頭を抱え込む。
「もし……もし作り直せたら」絞り出すように囁く。「もし私が、すべてを犠牲にしてでも努力すれば……君を取り戻せると思った。」
喉が締め付けられる。
「でも……意味があるのかな。」
その言葉が自分自身を突き刺した。視界が涙で滲む。
「君のバカみたいな傷まで、ちゃんと再現したのにね。」苦笑しながら呟く。「覚えてる? あの瓶を開けようとして、手を切った時のこと。私に料理を作ってあげたくてさ。」
肩が震える。
「君、本当に料理が下手だったよね。でも、何度も頑張ってくれた。」
嗚咽が込み上げる。
「味なんてどうでもよかった。ただ……君と一緒にいたかったんだ。」
声が途切れ、私は手で口を覆った。
「でも君は……君はいつも、誰かのために戦おうとするんだよ。」
視線を上げると、そこにいるのは完璧な彼の姿。だけど、何も語らない顔。
「君はもう、ここにはいないんだね。」
頬を伝う涙が、温かく、容赦なく流れ落ちる。
私は彼の手に額を押し当て、震えながら言った。
「ごめんね、ダイチ。」
声にならない嗚咽が漏れる。
「私……直せると思ったの。やり直せるって。」
涙が止まらなかった。
「でも、できない。」
どれほどの時間が経ったのか分からない。
ただ、機械の低い駆動音だけが空間を満たし、冷たい空気が、虚しさと共に私を包み込んでいた。
私はゆっくりと顔を上げた。涙で腫れた瞳をこすりながら、静かに問いかける。
「もし君がここにいたら、何て言うのかな……?」
声はかすれていた。
「きっと、『生きろ』って言うんでしょ?」
かすかに笑う。でも、それは自嘲に近いものだった。
再び彼の顔に触れた。肌は温かいのに、冷たく感じる。
「でもね、ダイチ。」
声が震える。
「君がいない世界で、生きていくなんて……どうしたらいいの?」
静寂が降りる。
私はゆっくりと拳を握った。
そして、かすれた声で告げた。
「分からない。でも、やってみるよ。」
震える足で立ち上がる。出口へ向かうたびに、心が軋んだ。振り返ると、涙に滲んだ視界の向こうで、彼は静かに横たわっていた。
「……さよなら、ダイチ。」
声が掠れる。
「愛してる。」
扉が静かに閉まり、部屋は再び沈黙に包まれた。
ダイチの"抜け殻"だけを残して。
どれほどの時間、私はここに座っていたのだろう。
膝を抱え込み、暗闇の中で身を縮こまらせる。疲れ果てているはずなのに、瞼を閉じるのが怖かった。
目を閉じるたびに、彼がそこにいる気がして。
再生室の柔らかな光が、金属の床に長い影を落としている。
ダイチの胸に埋め込まれた"鍵"は、微かに光を放っていた。まるで消えかけた炎のように、弱々しく、儚く。
――希望は、残酷だ。
私をここに縛りつける。
「……馬鹿みたい。」
その時――
音がした。
低く、聞き慣れない音。
心臓が跳ねる。これは……機械の音じゃない。
息を呑んで振り向く。
"鍵"が……光を増している。
鼓動が速まる。
まさか……そんなはず……
――そして、彼は息をした。
世界が止まった。
ダイチの胸が、静かに上下する。指が、かすかに動く。
そして――
彼の目が開いた。
暗く、深く、そして……確かに"生きた"瞳。
「……イズミ?」
声が震えた。
「……ダイチ……?」
涙が溢れる。
彼の手が、私の手に触れた。温かい。確かに"生きている"。
「ダイチ……戻ってきたんだね。」
嗚咽がこぼれる。
彼はここにいる。
本物の彼が――。
そして、この瞬間だけは、何もかもがどうでもよかった。




