2034年
2024年1月1日、少女の魔法によって世界は汚いおっさんだけの世界となった。
人という認識を自身が嫌悪する汚いおっさんへと脳内変換する魔法。
外見の同一化により世界は崩壊へと進む。
仕事からの帰り道、細い裏路地で倒れている汚いおっさんを見つけた。
街灯の頼りない光の下で仰向けになっている。どうやら出血しているようだ。10メートルほど離れた位置からも赤黒い血溜まりが確認できる。
最近多いな、と良晴は思った。
この手の事件を見聞きしない日はない。実際良晴も今週に入りこれで二度目の事件遭遇だ。
良晴はスマホのアプリを起動して倒れている汚いおっさんの写真を数枚撮った。端的にまとめた現場状況のコメントを添えて送信ボタンを押す。
これでしばらくすれば警察なり救急車が駆けつける。息はあるようだから運が良ければ助かるだろう。
良晴はその場を立ち去ることにした。少し遠回りになるが別の道で家に帰ることにする。
「助けないの?」
背後で不快な声がした。良晴は反射的に飛び退く。自分が立っていた場所に汚いおっさんがいた。
「なんですか! あなたは」
思わず大声を出してしまった。いったいいつから後ろに立っていたんだ。
「助けないの? あの人」
突然現れた汚いおっさんは指を差した。指の先には血を流して倒れている汚いおっさんがいる。
「通報はしましたよ」
「それだけ? 声を掛けたり、応急処置はしないの?」
「なぜ僕がそんなことを?」
「第一発見者でしょ」
「だから通報しましたって」
なんだか責められているようで気分が悪い。自分は最低限の義務を果たしたのだから責められる筋合いはないはずだ。
「君は男の人よね」
「そうです。失礼ですがあなたは?」
「女よ。君より年上」
「なぜわかるんですか?」
「確認してみる?」
そう言うと汚いおっさんはIDが埋め込まれているであろう耳たぶを触ってみせた。そんな見え見えの抜き取りに引っかかるわけがなく「遠慮しておきます」と良晴は拒絶する。
「あの人も女よ。君より年下」
「あの人って、倒れているあの汚いおっさんですか?」
「そう」
「あの人が女性だとして、それが何なんですか?」
「興味はわかない?」
「わきません。では」
良晴は足早にその場を離れる。
――が、腕を掴まれた。
咄嗟に持っていた鞄を振り回して応戦するが、汚いおっさんは上手くかわす。
「なんですかあなたは、警察呼びますよ」
「もう通報したんでしょ」
力づくで振り解こうにも一向に解けない。本当に女なのだろうか。
「離してください。気持ち悪い」
「逃げないなら離してあげる」
「わかりました。逃げませんから離してくだい」
いきなり腕が解放された。反動で後ろに転びそうになるが、なんとか踏ん張った。
他人に触られたのなんて数年振りだろう。良晴は腕をさすりながら汚いおっさんとの距離を調整する。
「魔女のお話しは知っている?」
「は?」
唐突に話が変わった。
「世界を滅ばす悪い魔女のお話」
「知りません」
「あそこ倒れているのが、その悪い魔女なの」
意味不明な会話のなか、良晴は以前見た火炙りにされる汚いおっさんのニュース映像を思い浮かべた。どこの国かは覚えていない。テロップには魔女裁判とあった。
10年前の真相を魔女の仕業だとする考えは、ヨーロッパの国々では割と主流らしい。
魔女を殺せば世界は元に戻る。
今も楽観的で狂信的な動画がネットには溢れている。
目の前の汚いおっさんがそんな信仰を持っているなら、悪い魔女だという倒れている汚いおっさんはこいつにやられたことになる。
義晴は深呼吸を一つした。
大丈夫、もう少し待てば警察が来るはずだ。それまでは大人しく話を合わせておけばいい。
「あの人が悪い魔女だとして、僕に何か関係があるんですか?」
「悪い魔女でも興味はわかない?」
「わきませんよ」
早く家に帰りたい。今の良晴にある欲求はそれだけだ。
「なら物語はどう? 君は好き?」
「そりゃあ昔は好きでした。映画とか漫画とか」
「君があの悪い魔女を助けた瞬間、物語は始まるわ。悪い魔女と正しい青年の物語。君は悪い魔女に恋をして苦悩の果てに世界を滅ぼすことになるの。どうかしら、助けたくなった?」
「なりませんよ。それに恋なんてするわけないでしょう」
「どうして?」
「汚いおっさんだからです」
「汚いおっさんと恋はできない?」
「できると思っているんですか?」
「外見は汚いおっさんでも、中身は若い女の子よ」
「中身なんて関係ありません。あの人が年下の女性だろうが百歳の老人だろうが歩けない赤ん坊だろうが悪い魔女だろうが僕には汚いおっさんです。汚いおっさんには近づきたくないし触りたくもない。それだけです。物語とやらを始めたいならあなたが助ければいいでしょう」
良晴が昔大好きだった映画や漫画も、登場人物が全て汚いおっさんになってしまい物語が成立しなくなった。汚いおっさんだけではストーリーは動かない、汚いおっさんだけでは物語は始まらない。
遠くで鳴るサイレンが聞こえた。救急車だ。
「そう、安心したわ。君みたいな子がいるなら世界はまだ安泰ね」
満足そうに言い放ち、汚いおっさんは良晴に背を向けた。
いつの間に取り出したのだろう、両手には刃物が握られている。
血を流して倒れている汚いおっさんに歩み寄り、しゃがみ込むと血を流して倒れている汚いおっさんの首と胸に刃先を当てた。
フケだらけの乱れた髪。
汚れがこびりついた肌。
膨らんで破裂しそうな体。
伸びた黄色い爪。
汗ばんだヨレヨレのTシャツ。
チャックが壊れた短パン。
変色したサンダル。
良晴の目に、二人の汚いおっさんが映る。
「物語は始まらないわよ。さようなら、泥の魔女」
そう言った汚いおっさんは、汚いおっさんに刃物を刺し込んだ。




