雛菊の前輪
充満するタバコのフロアを抜け出し、和彫りのタコがシャツの下、肌の上その触手の先で日頃の疲労や神経痛や一升瓶を器用に交わして踊り狂うままに貼りついている。きっとあと五十年は動かない。僕は一週間働き詰めた解放感のまま施術ベッドにうつ伏せをとった。顔を横に向けて見上げると、部屋の輪郭を暖色の明かりがぼんやりと表している。背中を真上からみたら僕は花札みたいだろうか。張り詰める期待感に横たわり、すると背中の中からタコが八本足を使って這い出ていくのが分かる。ほんの数秒間のことだ。施術ベッドにうつぶせ、誰にも確認してもらっていないが、タコも酒瓶もどうやら背中からきれいさっぱり消えてしまった。そしてそれ以上に、天井のはるか上からこの状況を盗み見ている誰かがいるという、意味不明の直感が冴えわたり、腹の奥から強引に、しかし確実に僕の思考を蝕んでいっていることが気持ち悪くて仕方なかった。僕は立ち上がって服を着直すくらいの気力すら削がれてじっとうつ伏せの状態を維持していた。この間も誰かがこの部屋を覗き見ている。
なんか湿度の高そうな部屋に寝転がる、パンツ一丁の男の背中からタコが抜け出すのを見つめていた。それは雲のいない晴れた空に映しだされた幻で、数秒間はみんな目を奪われていた。けれどふと目の前の信号機が切り替われば、ブレーキを踏みまくる安価なセダンの群れの中を横断してすぐに冬の切なさに酔いしれ、猛牛とは似ても似つかぬほど緩やかにはじき出され街に繰り出していった。炭酸を飲んで錆びついた頭はポストに投函し、七八百の伝書鳩を狂いだすヨーロッパの横浜だ。いずれ絵にかいた裸体を眩しみ始める。準備を開始する桜の季節には盗聴器の回収に奔走し、落下寸前に目の覚めるような怖い夢とモノクロの遺影がツボの映画俳優との交友関係がついに発展をみせるのだ。
It is a tasty burger 春の一列(黒人)
最後の一滴と知らず
測量士らは昇る龍とし
黒鉛の脱した二酸化炭素は
方角に立つ洗い物の幽霊と
(誰からしたって相似の愛撫)
盲目に寄付した予備の葉隠れ
革の財布を食べて歩くのに
夕方には最愛の風潮が
風前の灯すらかき消す残虐性
「さあ、アタシはみんなのアイドルなのだ。テレビがやってる。あっちへ運ぼう。」
ピンク髪の変な女が右足を引きずったまま天井の上を駆け抜けていった。それと同時に遅れてきたエステティシャンが扉を開けた。そのときには僕は汗びっしょりで、さらには意思疎通もうまくいかず迷惑客のブラックリスト入り、そのまま店を追い出されてしまった。
電車に乗って帰るにはいつもより早い時間だった。乗車している人もまだ多い。つり革を掴んで立つ男が、手の中の小さい画面に映る小さいおじさんを熱心に覗き込んでいる。
「本当に心地のいい歌というのはしばしば歌詞が聞き取れず、イマイチ何を言っているのか分からなくなる。演奏の音とボーカルの発声があまりにもマッチしていて、一瞬だけ脳が歌詞の理解を拒否するんだ。音楽っていうのは本来、時間の完璧な表現手段だよね。その音楽の持っている時間感覚が歌詞の意味を超えて、耳から脳に時間を流し込んでいるだ。第一、音楽ってのは無意味でなくちゃいけない。デジタル・アナログでいうアナログの側だ。ちなみに言葉はデジタル側。その発声・表記・意味が離散的な関係にあるわけだからね。音楽と言葉はそういう意味で対極の存在なんだ。別にボクは完全にアナログの音楽ばかり聴きたいとは思わないけどね、日本ではあまりに歌詞の意味が重視されすぎて、つまり疑似アナログ、疑似音楽ばかりで溢れている。もはや日本には時間表現としての本物の音楽は存在しないんじゃないか疑ってしまうよ。物理や数学ばかり強くてこんな国どうするの。ははは。」
そのスマホからイヤホンジャックが抜けてしまっているのにきっと僕だけが気づいていた。電車は停車駅も何もかも轢き倒して明日の朝を目指した。




