「それ」
こんなこと、誰かに話すようなことじゃないのかもしれないけど、とても不思議な経験をしたので話してみようと思いました。記憶があいまいでいろいろうろ覚えだし、文章もうまくないので読みづらいし長文になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
自分は全く霊感とかなくて、これまで霊と呼べるものに会ったこともなければ、それらしい不思議な体験もしたことがありませんでした。
唯一不思議な体験をしたといえば、祖母が死んだ後に蝶になって帰ってきたことくらいですが、これはよくある幻覚や幻聴のようなものだと思います。そういえば以前トンネルで友人と白い肉塊を見たということもあるのですが、たぶんレジ袋か何かだと思います。
本題に入りますが、自分は今現在高校二年生です。部活も特に入っておらず、のんびりとした夏休みを過ごしています。
自分の住んでいる場所はわりと山深く、渓流でイワナが釣れるくらいの辺りで、最寄りの駅(ここには電車じゃなくて最大二両編成のディーゼル車が来ます)まで自転車で二十分くらいかかります。そこから、列車で揺られて三十分くらいして麓の高校に通っています。
家は山伝いの道路沿いに山を背にする形であって、付近にはちらほらと同じような家がありますが山間の集落といった様子で近くに同世代の友人もいませんし、店もおばあちゃんがやっている日用品を売っている商店と自動販売機くらいしかありません。
そんなところに住んでいますので、家にいるときはだらだらしたり、勉強をしたり、散歩をするくらいしかすることはないのですが、それはそれで自分としては嫌いではない過ごし方なのでそれなりに夏を満喫していました。
特に、夏の早朝に散歩をするのが自分はとても好きでした。世界がセルリアンブルーに染まったようなさわやかな空気の中、朝露に濡れた草木に囲まれて、山が朝日で照らされてゆく様を見るのはある種の特権でもあるように思われました。
自分の散歩道はいつも決まったルートがありました。家を出て、前の道路を登り方向に進み、分岐を右にさらに登っていくと小さな神社があります。そこで気まぐれに参拝したりしなかったりしたあと、舗装されていない砂利道に入り、山を左手にして小さな畑や納屋がある道を下っていきます。ちょっとした沢にかかった簡易な橋を越えて民家の裏手にでてくるので、そこからさらに小径を進み、自分の家の前を通っている道(これでも主要な道なのです)に出たらあとは家に向かって少し登っていけばゴールです。
距離にして五百メートルもないかという散歩道ですが、高低差もありちょっと息が切れるときもあります。いつも散歩から帰ると朝ごはんの時間でした。
その日はちょうどお盆も過ぎたころ、自分は朝五時半くらいに起きていつものように散歩に出かけました。とても天気が良く、秋の兆しも感じられるくらいの涼しさを覚えました。まだ辺りは山の影に包まれていました。なんだか特別に空気が澄んでいるように思え、とても気分がよかったです。
神社の方に向かって歩いていきました。家の前の道から左手に見える峡谷の下に流れる渓流を眺めながら進みました。避暑をして飛び回っているアキアカネもそろそろ山を下っていく頃だと思いました。きらきらと流れゆく水はところどころ白く、そして黒く、泡立ち石を削りながら鳴いていました。
少し進むと、杉の木が立ち並ぶ林に入ります。木々の間にはまだあまり日も差し込んでおらず、辺りは縦方向の柱がまさに林立している不思議な場所にも思えるのでした。少し錆びれたミラーのある分岐を曲がっていきます。少し登ると石組で段々になった畑があって、そこは開けていて明るくなっています。たまに近所のおじいさんが朝から畑仕事をしていて挨拶するのですが、この日はいませんでした。
畑を過ぎてやや薄暗い道を進むと、前方に鳥居が見えます。鳥居の前には車一台停められるくらいのスペースがあります。砂利道はそこから右手に下る方向にあります。
その日は参拝する気分だったので鳥居をくぐって境内に進みました。境内はそこまで広くなく、せいぜい二十五メートル四方くらいで、石畳もなく土むき出しの空き地状態でした。唯一特筆すべきものがあるとしたら、鳥居の左側に樹齢五百年だとかいわれている大きな杉の木があり、何もない境内をそれだけで神聖な空気にしているのでした。
本殿は境内の奥にぽつんと建つ小ぶりなもので、さびれた賽銭箱とガラガラ鳴らす鈴がありました。自分はいつもお賽銭なんて入れないで単にガラガラ鳴らしてお参りだけしていました。その日も同じようにしました。
しかし、パンパンと手をたたいた刹那、妙な感覚がしたのです。それは何とも言えないねっとりとしたものでした。例えるなら、意識が瞬間的に練飴のようになって限界まで引き延ばされてぷつんと糸になって切れてしまったような感覚でした。
ただ、それは余りにも刹那的なものでしたので、ちょっとした眩暈のようなものだと思い、気にせず帰ろうと振り返りました。
すると、目の前に「それ」がありました。いや、「それ」というのはそうとしか言えないがゆえにそう言っているのですが、それは自分の約二メートルくらい先の目線の高さよりちょっと低いくらいのところに浮いていました。形は何かをバラバラにして組み替えたような見た目をしていました。何かと言っていますが、そう思いたくないだけでそれは人だったと思います。人が、まるでランダムに分解されてそれがクシャっと瞬間的にねじれてしまったような見た目になったものがそこにありました。それはなぜかとても平面的に見えました。薄暗い境内にくっきりと、しかしなぜかまるでそこにあるのが当然であるかのように浮いているのです。
余りに唐突にそれが現れたがために、自分はしばらくそれと対峙していました。不思議と恐怖は感じませんでした。朝の空気に包まれて、しんとした時間が流れましたが、気を取り直して帰ることにしました。歩みを進めてもそれは消えませんでした。さすがに触れるのは怖かったので避けるようにして境内から出たのですが、どの角度から見ても、それはまるで月や太陽を眺めるときのように同じ面の同じ形で自分の目に映るのでした。
鳥居をくぐってそれを見ても、それはまだそこにありました。もう気にしないことにして家に帰ろうとしました。
そのとき、辺りがおかしいことに気づきました。いつも通っている砂利道がなんだか違った風に見えたのです。心なしか鬱蒼としていて、さっきまで昇ろうとしていた太陽があるはずなのに全然明るくなってきていないように思いました。それどころでなく、いつもの散歩道がことごとく何か違っている。来た道のアスファルトの舗装もなくなっているし、鳥居の横の杉の木もなくなっている。
これはどういうことなのだろうと思いました。こんな家の近くの神社で、しかも早朝に変なことに遭遇することなんてあるのだろうか。
自分はまた「それ」を見ると変わらずそこに浮いていました。もはやそれだけが変わらずそこにあることに安堵さえ覚えました。
ここで手をこまねいていても仕方ないので砂利道に進みました。道幅は変わらないように思うのですが、左右の藪が繁茂して覆いかぶさろうかという具合になっているので、まるで藪漕ぎをするように進まなければなりませんでした。いくら何でも一日でこれほどまでに植物が生長することはないでしょう。
しかしながら、この道を下ればすぐに家に着きますので、一息にここを通り過ぎてしまうことだけを考えました。帰ったらシャワーを浴びようと思いました。
草をかき分けながら進むのには骨が折れました。朝露が降りていましたのでじっとりとシャツやズボンが濡れてしまいました。今少しの辛抱だと思い歩いているのですが、進めども進めども道が開けてきません。いつもの畑や納屋らしきものも確認できません。沢にも突き当たりません。
そもそも、この道はこんなに長かったでしょうか。もしかしたら前後不覚になり道を外れているのではないか。そうなると急に崖に落ちたりと危ないので少々慎重に進む必要があると思い出したそのとき、急に視界が開けました。
目の前に砂利道があるのは確かなのですが、その両側に見たことのない景色が広がっています。景色自体は何の変哲もない山の景色なのですが、なぜかそれが見たことのないものに思える、という不思議な感覚を覚えました。もちろん、普段の散歩道とはまるで違いました。そんなところにあったかな、という道祖神もありました。
何より奇妙だったのは、ここが山道であるにも関わらず景色がまるで平原のように平らに思えたことと、揺れる草木の景色の中にさきほど境内で見た「それ」と似たようなものが無数に浮かんでいたということでした。
道は開けているのに、道の先がまったく認識できないのも不可解でした。通常であれば砂利道に入ってすぐに沢のほうまで見渡せるはずなのです。それなのに、目の前の道はまるで視界が見通すのを拒むかのようにぼやけているというかぐにゃりと何もかもが歪んでしまっているのです。
よもや自分は死んでしまったのではないか、とこのとき思いました。もしかしたら家を出たときから熱中症や心不全か何かで死んでしまっていて、そのまま死出の道を歩いていたのではないかと。もしくは歩いている途中で崖から落ちたとか。
となると、自分はこの道を進んでいくとあの世に行ってしまうのかもしれない。振り返ってきた道を戻ることも考えましたが、すでにどこから来たのかもわからなくなってしまいました。
もうこの先に進むしかないと思いました。自分の手を見ました。何ら変哲のない手でした。服装も汗と朝露で湿っていましたが何ともありませんでした。こんなにリアルなのだからこれは現実であり、進めば家に帰れるだろうと思い、急に前向きになりました。
真っ暗な道、おかしなことに道は真っ暗でした。普通ならどんどん明るくなるであろう時間であるのに、道は進めば進むほどに暗くなっていくのです。
辺りの暗さと反比例するように「それ」らの像は鮮明になりました。気づけば景色は失われ、真っ暗な世界にそれらがぽっかりと浮かんでいる。その中を延々と歩いていく。
静かでした。蝉の声も、川のせせらぎも、風の音も、自分の足音さえも聞こえませんでした。前に進んでいるのか、留まっているのかもわからない状態になりました。暗闇は自分の身体すらも視認させることを拒みました。
それからどれだけ進んだのか、進まなかったのかもわからなくなりました。
時間の感覚もとうになくなっていました。
自分が何であるかとかもよくわからなくなりました。
ずいぶん遠いところに来てしまったなと思いました。
練飴みたいなぬかるみと暗闇とすべてが一体化して、引き伸ばされていました。
その時、目の前に「それ」が現れました。
それは、最初に境内で出会ったそれでした。
それは、変わらない形でそこに浮かんでいました。
自分は、それを見ました。そのとき、それもまた自分を見ていると思いました。
そのとき、気づいてしまったのです。
「それ」は自分でした。
自分の体が、自分の像が、いびつな変形とゆがみによって形づくられたのがそれだったのです。
まるで目の前のそれのように自分の心がキュッと、爆縮するかのように締め付けられるのを感じました。
体が動かなくなりました。そもそも、体なんてもうないのかもしれません。
それでも、自分は直観的に「それ」に手を伸ばしました。そして、それを両腕でつかむと自分がそれと一体化したかのように思えました。
そして、バラバラになって絡み合った存在が解され、正しい位置に戻っていくような感覚を覚えました。真っ暗だった世界が一気に明るくなったように思えました。
気づくと自分は病院のベッドの上にいました。
隣を見ると泣いて喜ぶ両親と祖父の姿がありました。
ぼんやりとした感覚の中で、自分は帰ってきたのだと思いました。
きっと、「それ」を見つけることができたからだ、それを直すことができたからだと思いました。
安心した自分は再び眠りに落ちました。
のちに聞いた話によると、自分はあの日、散歩から帰らないことを不安に思った母によって神社の境内で倒れているのを発見され、救急車で病院に運ばれたとのことです。
倒れた原因はよくわからないそうです。呼吸もしっかりしていたのに、意識が戻らなかった。その状態で約四日間過ごしていたとのこと。
見つけたときに服がなぜかぐっしょりと濡れていて、脱水症状かと思ったと母が言っていました。
あの時の自分の経験を話したら、父と母はいぶかしがりましたが、結果として帰ってこられたのでよかったと言っていました。
祖父はその話を聞くと何か思うところがあるように黙っていましたが、後に二人きりの時にこう話してくれました。
なんでも、あの神社は山の神をもともと祀っているらしいのですが、それに加えてある霊を鎮魂しているとも伝えられているといいます。それは、昔この辺りを治めていた地主であり、あまりの圧政により領民に反乱を起こされ、地主一家は一族郎党処刑後バラバラにされて壺に詰められて封印されたのだと。
「それ」を見た人がいることは祖父も知っていましたが、自分のような話は聞いたことがないとのことでした。
自分は少しの入院生活の後元気に退院しました。その時にはもう夏休みも終わって新学期が始まっていました。
さすがに学校がある日は散歩もしませんが、休みの日には今でも同じ道を散歩するようにしています。両親にはやめておけと言われますが、自分はなぜか大丈夫だと思え、恐怖心もありません。
あの事があってから、散歩のときには毎回神社に参拝するようにしています。
ふとした瞬間にもう一度あの時のように「それ」に出会ってしまうかもしれないと思います。
そういう時は、自分はゆっくりと深呼吸して、それを元に戻すことを考えます。まるでパズルのピースをはめていくように。
そして振り返り、家に帰る。今日も、一日が始まる。