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或る香神木にまつわる  作者: 南紀朱里
一  蛇の目の符術師
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大妖の噂

 移住を承諾したアララギには、寮の一室が与えられた。

 おもに城に仕える符術師(ふじゅつし)たちが寝起きする建物だということだった。

 最初は皆、懐疑の目でアララギを見ていた。

 夜になってアララギは、符術師たちの、都の見回りに同行した。




 星も月もない夜だった。城門前には篝火が焚かれ、赤々と闇を照らしていたが、ひとたびそこを離れてしまうと、同行の衛士の掲げる松明だけが頼りとなった。


 都の通りは、昼間の喧噪が嘘のようにしんと寝静まっていて、見回りの符術師たちの衣擦れの音や足音が、やけに大きく耳に響いた。松明を先導にしばらく進み、大きな家々が軒を連ねる横道に入ったところで、符術師のひとりが低く「止まれ」とささやいた。


 松明の灯りが照らす範囲に、物影はなかった。けれど、アララギにもわかった――何かが近づいてくる。

 息を潜めて待ちかまえる符術師たちの視線の先、彼方の闇の向こうから、それは次々現れた。


 ゆらゆらと揺れ動いて姿形の定まらぬ、黒い陽炎のような妖だった。大きさは大の男ほどもあるそれが十体、ときおり周囲の家々を窺うような様子を見せつつ、じわり、じわりと近づいてきていた。


 その場にいた、アララギ以外の三人の符術師が懐に手を入れたのと、妖たちがいっせいに、一軒の家にすべり寄ったのが同時だった。

 かつての老神官以外の術師の戦いを、アララギは、ここではじめて目にすることになった。


 墨で呪言(じゅごん)が記された、手のひらほどの紙の札――アララギも妖への攻撃手段としてもっぱら用いている呪符(じゅふ)が、符術師たちの振るった腕から、妖に向かって放たれた。矢のように風を切って飛んだ呪符に触れたその端から、家の壁をすり抜けようとしていた妖たちが霧散する。すべての妖が消し去られるまで、さほどの時間はかからなかった。


 再び、なんの物影もなくなった通りに、夜風がひゅるりと吹いていった。符術師たちの緊張がゆるんだ――その間隙(かんげき)を突くように、空が裂けた。


 濃厚な腐臭を感じた。強烈な毒気を感じた。衛士がひいっと悲鳴を上げて、松明が地に落ちた。


 黒い空の裂け目から現れたのは、ぼたぼたと粘液を(したた)らす、沼底の泥の塊のような、異形だった。その姿の大半はまだ裂け目の向こうに隠れていたが、見えている分だけでも、辺りの家より大きかった。


 裂帛(れっぱく)の気合いとともに、符術師たちが呪符を飛ばした。だがそれらの呪符の大半は、異形本体へたどり着く前に、ぼたぼたと滴り続けるどす黒い粘液にまみれて地に落ち、辛うじて本体に張りついた数枚も、なんの術も発動させることなく、ぬかるみに落ちた紙切れのように沈黙した。


 符術師たちが息を呑んだ。その身に呪符を張りつけたまま、異形がさらにずるずると、裂け目から出てこようとしていた。満ちる腐臭が強くなった。アララギは、懐に手を差し入れた。


「まずい、応援を――」


 符術師の言葉は、アララギが放った一枚の呪符が、風はおろか降ってくる粘液も切り裂いて、異形のほうに向かったことで途切れた。


 直後。その呪符が当たった場所を起点に、異形は爆発四散した。


 ばらばらと土塊(つちくれ)が降りそそいだ。にわかに周囲が騒がしくなった。家々の戸が開いて、泡を食った住人が転がり出てきた。


 空の裂け目は消えていた。湿った土塊の雨の中で、符術師たちの愕然としたような視線を受けながら、アララギは小さくため息をついた。


(だめだ。こんな程度じゃ、まだ)


 ――あの香りは感じられない。


   ◇


 そんな夜を十ほど数え、感じられぬ花の香りに、アララギは、(やしろ)を離れて都に移ったことを後悔しはじめていた。


 城仕えの符術師よりも強力な効果の符を放つ、(ひな)びた里から来たアララギへの評価は見事真っ二つに分かれた。


 衛士たちは、救いだと称えた。

 一方、比較された符術師たちは、怪しげな流れ者だと眉をひそめた。


 ――「触れた妖が破裂して、肉塊が降りそそいだとか。符術の正統ではあり得ない」。

 ――「地方には術師と称して妖の術を使う輩もいる。その類であろうよ」。

 ――「それでは妖と変わらぬではないか」。

 ――「あの目を見たか? 恐ろしい。まるで蛇の目だ」。

 ――「都主(みやこぬし)様もいったい何をお考えなのか。いくら窮状であるといえ、あのように怪しき者をお手元に招かれるなどと」。


 そんな調子で寮では遠巻きにされていたが、そんなアララギの耳にも入ってきた噂があった。


 六度目の遠征に出向いていた、カラクリドウロウの討伐隊が全滅した、と。


「……わかっていたことだ。なんせ最初の遠征で、かのウツギ様が手も足も出ず亡くなられたというじゃないか」


 寮の渡殿(わたどの)がかかる庭の日陰で、ひそひそと言いかわしていた二人の下人に、アララギは声をかけた。


「カラクリドウロウというのは、なんですか」


 アララギの姿に、下人たちはぎょっと目を剥いた。

 だが、無視するのも(まず)いと思ったのか、おそるおそるといったふうに、それぞれ順に口を開いた。


「小山ほどもある、巨大な龍のなりをした、炎の大妖です」

「蛇腹がぼうっと、まるで内側に火が灯っているような暗紅色に光ることから、いくつもの灯籠を縦に繋げて胴にしたようだということで、絡繰灯龍(からくりどうろう)と呼ばれています」

「最悪の災厄と、上の方々はおっしゃっておいでです」

「あるいは動く火の山とも」

「一番最初に目撃されたのは、山間の集落でした」

「焦らすようにゆっくりと、しかし確実に、この都に近づいてきているのです」

「絡繰灯龍が通った場所は焼け野と変わり」

「当代指折りの符術師様方で構成されて派遣された討伐隊も、轟音とともに吐き出される業火で見る間に焼き尽くされたと聞きます」


 強いのですね、とつぶやいたアララギに、下人たちはいっせいに首を振った。


「強いなんてものではありません」

「灼熱の胴は地を焦がし、こぼす吐息は空を焼く」

「あれが近づいてくるのをどうにか食い止めなければ」

「そのうちにこの都も、焼き払われてしまいます。事実今までに、あれの通り道になった里がいくつか焼けていて」

「だから討伐隊が遣わされているのに、もう六度も返り討ちに、このままでは次も――」


「――滅多なことを言うな!」


 鋭い叱咤の声が飛び、下人たちがひいっと身をすくめた。

 アララギが振り返ると、渡殿の向こうから、符術師が一人、忌々しげにこちらを見ていた。その符術師はアララギを睨みつけるようにしてから、顎をしゃくった。


「……来い。都主様のお呼びだ」




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