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或る香神木にまつわる  作者: 南紀朱里
九  珠姫討伐隊
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遭遇

 ミズキたち珠姫討伐隊は、里の目撃情報を頼りに、姫の妖の足取りを追った。


 直接里人が害されたことは、幸いまだないようだったが、里人が口々に語る、おどろおどろしい姫の姿に、耳を塞ぎたくなった。

 そうしていくつかの里を巡り、足跡(そくせき)を辿っていった果て、寒く乾いた朝のことだった。

 先頭を行っていた符術師が、息を呑んで立ち止まった。


 薄曇りの空に、人型の妖が浮かんでいた。


 長く伸びた黒髪が、風に波を打っていた。朽葉襲(くちばがさね)の両袖からは刃の爪が五本ずつ、紅袴(くれないばかま)の裾からは無数の蛇が伸びていて、どす黒く肥えたその蛇たちは、別の妖を喰らっていた。


 喰われているのは、猪の骸を(もと)とした妖だった。無数の蛇に食いつかれ、宙吊りにされた状態で、体から何かを吸い上げられていく。みるみるその体は(しぼ)み、抜け殻のように薄く色褪せていった。


 やがて干からびた猪の妖を、いっそう色濃くなった黒い蛇たちが、無造作に地へと打ち捨てた。無数の頭が、血飛沫に似た赤黒い瘴気(しょうき)を振りまきながら、次なる獲物を探すように(うごめ)く。


 そんな蛇たちに担がれた姫の身体も、同様の瘴気に覆われて、これまで取り込んだのだろう(よど)みの密度で威圧と圧迫感を持ち、実際の倍かそれよりさらに大きく恐ろしく見えた。それでもなおその顔だけは、常春の中で笑っていた、珠姫の面影を残していた。

 目はぽかりとした(うつろ)のようで、唇はとうに色を失い、肌は青黒いほどで、それでも、小さな顔の造りだけは、哀しいほどに変わらなかった。


「――花の大臣(おとど)の命により退治する」


 討伐隊の長たる符術師が、姫の妖に向けて宣言した。その声音が、痛ましさを振り切るように聞こえたのは、ミズキの感傷だったかもしれない。

 符術師たちが、手に手に呪符を持って構えた。


「――やれ!」


 真白の呪符がいっせいに、姫の妖に向けて放たれた。風を切り、意志を持った矢のように、まっすぐ姫へと飛んでいく。黒蛇たちが鎌首をもたげた。


「な……っ」


 愕然とした声が上がった。


 あまた放たれた呪符はすべて、黒蛇たちが吐いた赤黒い瘴気に阻まれ、どろりと溶けて霧散した。


 そして反撃が繰り出された。


 華やかな袖口から、刃の爪が、風を切って伸びてきた。長剣よりも長く伸び、大鎌よりも曲がる十本の爪が、符術師たちを薙ぎ払い、倒れたそこに振り下ろされた。

 土煙と血飛沫が噴き上がった。悲鳴と絶叫が響きわたった。


(ひる)むな、放て!」


 混乱の中、長の号令は虚しく響いた。かつての絡繰灯龍(からくりどうろう)への討伐隊や、アララギへ向かわされた討伐隊と違い、今回の珠姫討伐隊に、武器を持つ兵士は動員されていない。だから、符術師の唯一最大の武器である呪符が効かないとなると、待っているのは一方的な蹂躙だった。


 ――「珠姫様を止められなかった責任を取って討ってこい、それができなくば死んでこい、というわけだな」。

 出発前、薄暗い広間で聞いた女符術師の、皮肉げな言葉が甦った。


 ――死ねば、許されるのだろうか。


 砂埃と血臭に()せるミズキの脳裏を、そんな考えがちらりとよぎった。


 けれどふと、攻撃が止んだ。


 もう興味を失ったかのように、姫の妖が浮上した。

 黒蛇たちの御輿と化した、姫が彼方へ去っていく。――去っていってしまう。

 気がつけば、ミズキは走り出していた。


「――ミズキ!」


 背中のずっと後ろのほうで、女符術師の声が聞こえた。

 こちらの名前を覚えていたのかと、意外に思う。

 彼女の名前はなんだったかと一瞬思考を巡らしたけれど、まるで思い出せなかった。


   ◇


 姫の姿はすぐに見失ってしまったけれど、それでも走って、走った。

 息が切れて、喉がからからに痛んで、もうほとんど歩くのと変わらない速さになっても。

 たとえ姫に追いつけたところで、ミズキにできることなど何もない。退治などできるはずもなく、救う手立てもありしない。姫を妖に()とす一因となったかもしれない罪を、問われる覚悟もできていない。

 なのにどうして追いかけているのか、ミズキにもよくわからなかった。


 かつては小さな里があったらしい、無人の焼け跡を通り過ぎてしばらくすると、細く蛇行した山道が目の前に現れた。


(……この先は)


 来たのは初めてだった。だけど焼け跡となった里と、山道とで、当たりはついた。


(アララギのいる、(やしろ)だ)


 この山道を、山の社を根城として都を呪詛するアララギを殺すべく幾度も討伐隊が上っていき、そしてその大半が、二度と戻ってこなかった。

 都で恐れられているアララギの狂気だけでなく、敗れ去った討伐隊の怨嗟も、この先に渦巻いている気がした。

 竦む足を殴りつけて、歩を踏み出した。


 静まりかえった山道には黒紫の瘴気がたゆたっており、上るほどに濃くなっていった。中程まで来た頃には、地面の色もどす黒く変わっていた。


 弾む鼓動を落ち着けようと息を吸えば、いっしょに濃霧のような瘴気も吸い込んだ。吐き気がして、目の前が歪んだ。じゅくじゅくにぬかるんだ黒い地面から怖気が這い上がってきて、身体は冷たく、重くなっていった。


 それでも、ミズキは足を止めなかった。ここまで来たら、もう止まるわけにはいかなかった。止まったらそこで終わりだと、頭の芯で悟ってしまった。

 重い足を一歩ずつ前に進めるので精一杯で、だから、突如空から降ってきた気配への反応が遅れた。


 影が落ち、はっとして見上げた頭上では、野犬の頭に蜥蜴(とかげ)の尾を生やした妖が、ミズキめがけて大口を開けていた。


 喰われる、と思った。目を閉じる暇もなく、妖の赤い咽喉が近づいて――、


 (げん)(はじ)いた、音がした。


 ミズキのまさに鼻先で、妖が砕け散った。


 何が起きたのかわからなかった。破片となって塵となり、風に消えた妖を、呆然と見送るミズキの背中に、


「ご無事ですか」


 凛とした声がかけられた。


 振り返れば少年が一人。朱塗りの弓を手にして立っていた。


 年の頃は十三、四といったところだろうか。細身で小柄な少年だった。露草(つゆくさ)色の細布を使い、うなじでひとつ(くく)りにした黒髪が、尾のように長く伸びている。利発そうな白い額に、揺らぎない目は薄墨色。ぴんと背筋の伸びた身には麻の単衣(ひとえ)藍鼠(あいねず)(くく)(ばかま)、足下は藍の鼻緒の木目下駄(もくめげた)。背には矢筒を負っている。都において、(せち)の祝いに飾られる、人形のような姿だった。


「北の都の、符術師の方とお見受けします」

「は、はい。あなたは……」


 どもりなから答えたミズキに対し、少年はなめらかに一礼した。


「――游宮(ゆうみや)の長ヒイラギの命を受けて参りました。カヤと申します」






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