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或る香神木にまつわる  作者: 南紀朱里
四  ミズキ
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取るに足らない者の呪詛

 久々に、花の屋敷の警備に出向いた。

 警備に呼ばれる原因となった、縁の下に仕掛けられていた人形(ひとがた)の呪詛は早々に解除したが、他にも隠されていないかの確認のため、女符術師と二人、敷地内を見回ることになった。

 相変わらず美しく整えられている中庭にそっと踏み入った。

 中庭に面している部屋のひとつに、珠姫(たまひめ)の居室があった。衝立(ついたて)御簾(みす)几帳(きちょう)に隔てられ、姫の姿は見えないだろうが、久しぶりに声だけでも聞けるだろうかと期待を込めて、ミズキはそろりと、姫の部屋のある方へ視線を向けた。


 そして、愕然とした。


 御簾は巻き上げられていた。衝立に隠されてはいたが、美しい着物をまとった半身が見えた。


 姫は、日差しの届かぬ部屋の奥で、茫然と宙を見ていた。


 遠目にも、その異変は明らかだった。以前のような華やぎがない。ひだまりのような輝きもない。きらきらと流れるようだった濡れ羽の髪は重たく萎れ、淡く色づいていた頬は血の気を失い削げ落ちていた。

 まるで大輪の花が腐り落ちたようなその変貌に、


「病……?」


 震える声でつぶやいたミズキの言葉を、


「なんだ、知らなかったのか」


 耳ざとく聞きつけた隣の女符術師が、あきれたように眉を上げた。


「――姫はアララギという妖に魂を喰われていると、密かな噂になっているのに」


 その、わずか三日後。


 絡繰灯龍(からくりどうろう)がとうとう、アララギによって倒された。

 都中が祝祭に湧いた。

 けれど、主役であるはずのアララギはどこか気抜けしたふうだったし、珠姫が寝付いたという話も聞こえてきていた。

 あとにして思えばあの祝祭は、すべてが転がり落ちる合図だった。


   ◇


 ミズキはそれまで、符術師寮で密かに行われていた、アララギに対する呪詛には加わっていなかった。流されるまま、周囲との軋轢を生まないことだけ意識して生きてきたミズキとしてはめずらしく。

 それは高潔な意志からではないし、先輩たちに逆らってでもアララギをかばおうとしたわけでもない。単純に、特別な力を持つアララギからの、呪い返しが怖かったからだ。


 花の大臣の屋敷に仕掛けられている程度の呪詛ならば、ミズキにだって解除できるのだ。そして往々にして、解除された呪詛というのは、込められた念の行き場をなくし、呪った本人に跳ね返る。符術師程度が仕掛けた呪詛をアララギに解除できないはずはないし、そうすればきっとその呪詛は符術師たちに跳ね返ってくる。ミズキはそう信じていた。


 ただ、加わらなかったとはいえ、見て見ぬ振りしたのも事実だ。

 絡繰灯龍の件で頼りきっているアララギに対しての後ろめたさはあったけれど、でもそもそもあのアララギが呪詛ごときに害されるはずがないと、自分を納得させてもいた。


 けれど。

 枯れ果てたようにやつれ、一月も寝付いた姫が、それでも床上げ後すぐにアララギをそばに呼んで、しかしアララギはそんな姫をすげなくあしらったという噂を聞いたとき。はじめて、ミズキの中に憤りが生まれた。


 姫がこんなにも弱っていくのは、発見できていないだけでやはり深刻な呪詛があるのではないかと、花の大臣の要請を受けて、ミズキたちはそれまで以上に花の屋敷に赴いた。そしてそのたび、青白く痩せ細り、幽鬼のようになった姫の姿を垣間見ることになった。

 姫を蝕む呪詛は見つからなかった。いや、何かしら見つかって解除しても、姫の状態が快方に向かうことはなかった。

 この頃にはもう、姫の憔悴の理由がアララギに対する恋着のためだというのは、花の大臣の屋敷に出入りする者ならばだれもが知る真実だった。


 どうしてアララギは姫の想いに(こた)えないのかと歯痒かった。一介の符術師が花の大臣の姫君と添うことなどあり得ない、万に一つ想いを向けられたとしても身を引くのが道理だが、アララギならば話は別だ。並ぶ者のない実力、絡繰灯龍を倒した功績、都主という後ろ盾に、花の大臣も反対はしていないらしい。そんな、アララギと珠姫が添うことを後押しする要素しかないのに、なぜその幸運に手を伸ばそうとしないのか。


 花の大臣の義息子(むすこ)という立場も、珠姫の婿という立場も、どれだけの人間が喉から手を生やすほどに欲して、到底叶わない現実に打ちのめされているかわからないのに。


(もし、もしも、僕がアララギの立場だったなら――)


 浮かんだ考えに自嘲して、首を振って打ち消した。


 想像するのも無駄なことだ。ミズキはアララギのような、特別な人間にはなり得ない。


 でもだからこそ、アララギには姫を大切にしてほしいのに。姫の想いを受け入れて、これから姫の幸せを、守っていってほしいのに。

 姫が笑う、美しい絵巻のような世界をずっと。ミズキはそれを遠目に眺めているだけで、幸せになれる――そのはずだから。


 けれどそんなミズキの願いとは裏腹に、アララギが姫に応えることはなく、姫が笑顔を取り戻すことはなかった。


 花がじわじわと枯れていくさまを見せつけられているようだった。ミズキたちに為す術などなかった。いくら呪詛を見つけたところで、なんの役にも立ちはしない。救えるとしたらひとりだけだった。


 どうして救ってくれないのだと恨めしかった。


 単身絡繰灯龍を倒すなんて離れ業をやってのけたアララギだ。可憐な姫君ひとり救うなんてわけもないはずなのに。何を懸ける必要もない、ただ自分に向けられている想いを受け入れるだけだ。救えるものなら救いたいと、だれもが望むことなのに。


 そんなもどかしさを余していたある日、ミズキは、虚ろなまなざしで庭を眺める姫の唇が、「アララギ」と動くのを見てしまった。


 垣間見の遠目だったのに、姫がいるのは、薄暗がりの室内だったのに――こんなになっても姫が呼ぶのはアララギなのだと、わかってしまった。


 ぐつり、腹の底が煮える心地がした。


 気がつけば、ミズキは符術師寮の自室で筆を取っていた。


(どうして)


 目の前の文机には、白い人形(ひとがた)があった。


(あの人は、常春の中で幸せそうに笑っている人だったのに。笑っているべき人だったのに)


 震える手で、表にアララギの名を記し、裏にびっしり呪言を記した。


 水垢離(みずごり)などしていなくても、もととなる紙を清めていなくても、香など焚いていなくても。呪符と違い、呪詛はひどく簡単に、作れてしまった。たしかにそこに、暗い力が宿ったのがわかった。


(大丈夫、みんなやってる)


 書き終えてしまってから頭が冷えて、急激に襲ってきた後悔を、そう思うことで打ち消した。


 大丈夫。先輩たちはずっと前からやっていて、それでもアララギも先輩たちも何事もなく日々を過ごしているのだから。この呪詛だって、無力なミズキの鬱憤を晴らす以外のなんの効果も生み出さない。

 取るに足らない存在であるミズキでは、別世界の存在である姫にもアララギにも、影響を及ぼすことなどできはしないのだから。

 けれど、そして、あの夜が来た。


   ◇


 闇に包まれた都大路に、半鐘が鳴り響いていた。妖が出たと騒ぎになっている花の大臣の屋敷へと、符を引っ掴んでかけつけた符術師たちの中に、ミズキもいた。


 そして姫の、変わり果てた姿を見た。


 中庭の中空へと躍り出た、人型の妖。それがまとう、濃黄の衣に重ねられた濃紅色の錦の表衣(うわぎ)と、秋の夜陰の小川のように黒々流れる長い髪が、ちょうど雲の切れ間から差した青い月光に浮かび上がった。顔の造りこそ変わっていなかったものの、目は爛々とした狂気を帯びて、肌は屍の土気色と化していた。両の袖からは刀のように鋭く長い爪が伸び、紅袴の裾からは、あるべき白い足のかわりに無数の黒い蛇が伸びて、意思を持って(うごめ)いていた。


 妖と化した姫をまとう、赤黒い瘴気の濃密さに、符術師たちが息を呑んだ。けれどミズキはそれ以上に、一点から目を離せなかった。


(嘘だ、そんな。だって、あれは――)


 中空に浮かぶ姫の周囲を、白い紙で作られたおびただしい数の人形(ひとがた)が、環のようにぐるり取り巻いていた。青い月光に照らし出されて、その表面に書かれた文字がはっきりと見えた。


 ――そう、見違えようもない。すべてにアララギの名が記されたそれらは、先輩たちが、そしてミズキが負の感情を注ぎ込んで作りあげた、呪詛だった。




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