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或る香神木にまつわる  作者: 南紀朱里
四  ミズキ
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凡人は羨まない

 新緑の季節は、不穏とともにやってきた。

 東の、山間の里から、報せが上がってきた。

 いわく。――里の向こうに遠くそびえる、草木も生えぬ岩山から、巨大な妖が現れた。暗紅色の石灯籠を縦に繋ぎ合わせたような、長い胴をした妖で、とぐろを巻けば小山ほどの大きさになるだろう。そいつは熱した鉄のような腹で大地の土を焼き付けながら、ゆっくりと、しかし確実に、里のほうへ向かってきている、何卒(なにとぞ)対処されたし、と。


 その妖がそのまま進路を変えずに進んだならば、都にもやってくることは明らかだった。


 また仮にそうでなくても、恐るべき妖が出た、どうにかしてくれという里の陳情を、都が無碍(むげ)にすることはできなかった。そういう、小さな里では如何(いかん)ともしがたいような強大な妖からの庇護者として都は周辺の里の上位に君臨し、税や賦役を課しているのだから。

 そうして都では、その妖に対する討伐隊が組まれた。

 ミズキの同期からも、有望な者が幾人か組み込まれたと聞いた。そして、


「師匠も行かれるのですか?」


 遠征の支度を整えている様子に驚いて尋ねれば、師匠はにかりと笑って、ミズキの頭に手を置いた。


「そうじゃ。留守は頼んだ」

「僕は……」


 行かなくていいのですか、と尋ねかけて、ミズキは結局、何も言わずにうつむいた。噂だけでも恐ろしげな妖の討伐になど、できるなら行きたくなかったし、自分がひとり加わったところでなんにもならないだろうとも思ったし――そんなことを思いつつもうわべだけ取り繕って、「行かなくていいのか」などと確認しかけた自分の性根が、ひどく浅ましく感じられた。


 師匠が、ミズキの頭に置いた手を、ぽんぽん、と軽くはずませた。


「内の守りも大事なことじゃぞ」


 そう言って出かけていった師匠は、それきり戻ってこなかった。

 派遣された討伐隊のうち、符術師(ふじゅつし)は全滅したらしい。

 後方にいた兵士の一部が、命からがら逃げ帰ってきて報告した。

 討伐隊は、圧倒的な火を吐く炎の大妖に対して、手も足も出なかった――、と。


 その後も何度も、討伐隊は結成された。

 そしてそのたび、熟練の符術師が減っていった。

 都主(みやこぬし)や四大臣は、焦っているという噂だった。

 かの妖が都に近づいてくるというのもあるが、これでは周囲の里に示しがつかない、と。


 強力な妖から守ってもらうため、里は都に服従している。その都が頼りにならぬとなれば、見限って、里を捨てて逃げだして、従う先を変えかねなかった。

 周囲の里にとって一番近距離にあるのが今の、符術師を擁する都であるというだけで、妖と戦うに足る力を持つ集団は、ほかにも多くあるのだから。


 躍起になったように、討伐隊は出され続けた。

 いつ自分も召集されるのかと、恐ろしかった。師匠が手も足も出なかった相手に、ミズキがかなうはずがない。けれど行けと命令されれば、しがない城仕えの身で、拒否することなどできはしない。戦々恐々としながら、日々を過ごした。


 そんな中でも、花の大臣(おとど)の屋敷では何度か呪詛が見つかって、そのたびミズキは解除に出かけた。

 こんな状況なのにと呆れもしたけれど、そんなときでも視界に入る姫の周囲は変わらず平和そのもので、ほっと心が安らいだ。


絡繰灯龍(からくりどうろう)が都までやってきたら、この光景も失われる)


 それだけは阻止したいと、柄にもなく強く思った。

 けれど結局、ミズキが討伐に出ることはなかった。


 アララギが都に現れたのは、陽が落ちるのが早くなり、朝夕に吹く風がずいぶん涼しくなってきたころだった。絡繰灯龍に振り回されているうちに、夏はいつしか過ぎ去っていた。


 ――「あれの使う力は邪道だ。符術の根幹を揺るがす脅威だ」。


 先輩たちはそう言っていたけれど、アララギが討伐隊に加わって、絡繰灯龍を撃退したと聞いたとき、ミズキも思わず歓声を上げた。


 ミズキが何をしたわけでもない。けれど、勝者の側に入れた気がした。符術師以外は、たいてい高揚していたように思う。アララギは、それまで都を覆っていた、鬱屈した空気を吹き飛ばしたのだ。


 だけど当のアララギはどこまでも淡々としていて、それがまた先輩符術師たちの気に障ったようだったけれど、ミズキや一般の兵士たちは、そんなアララギの態度もまた一種の余裕の現れに思えて、頼もしいと感じていた。


 彼がいれば大丈夫。彼に任せておけばいい。


 そう思える相手ができたことは、ミズキにとって幸いだった。

 ミズキとは違う、特別な力を持った人。

 アララギひとりの出現によって、絡繰灯龍の脅威は薄まった。

 ――そしてあの、花見の宴が催された。


   ◇


 花見の宴には、ミズキもいた。

 まさに絵巻の世界の端で、遠目とはいえ姫を見られる幸せに、愚かに暢気に浸っていた。

 そんな油断を嘲笑うように、悪意に満ちた妖が、猛然と姫に襲いかかった。

 一瞬、時間が止まった気がした。

 届くはずもないのに、とっさに姫へと手を伸ばした。害されるなど想像もできなかった美しい幸せの象徴が、失われるかもしれない恐怖で、目の前が真っ黒に塗りつぶされた。

 ――だからアララギが妖を消し飛ばしたとき、ミズキは心からほっとしたし、人知れず恥ずかしくもなった。


 自分のような存在が、何を本気で心配したのか。ここにはアララギがいたのに、と。


 それからほどなく姫の護衛にアララギが望まれたと聞いて、御伽話のようだと思った。

 どちらも特別な、ミズキなどとは違う世界の存在だから、お似合いだとも思った。

 わずかに胸が痛んだのはきっと、姫があまり庭に出てこなくなったことが残念だったせいだ。姫はアララギを気に入って、部屋でアララギとのおしゃべりに夢中だということだった。


「都主様だけでなく花の大臣までアララギを頼みにすれば、大変なことになる」


 少しだけ気落ちした状態で、先輩たちのそんな危惧を聞き流していた。


 頼ればいいじゃないかと思った。アララギは特別に強いのだから。

 適材適所、できる人間に頼って、何がいけない?

 できないのに無理をした結果、師匠は死んでしまったのだ。


「おまえは何もわかっていない」


 熱のある反応を返せないミズキに、先輩は苛立ったように顔をゆがめた。


「一切の作法を無視して理外(りがい)の力を発現させる、あれを容認することは、我らのこれまでの否定だぞ!」


 ある夕方、書類を届けに訪れた先輩の部屋を辞するとき、ちらりと、視界に白いものが映った。


 鬼灯(ほおずき)色の西日が差し込む板間の、文机に積まれた書物の間からのぞいていた、その白い一片は、妙に印象に残った。部屋を出て、斜陽に染まり、影が長く伸びる廊下を歩き出してからも、なんだろうかと思い巡らして――ぴたり、ミズキは足を止めた。


(呪詛だ)


 思わず振り返り、先輩の部屋の木戸を、その向こうの室内にある呪詛を透かし見るように凝視した。


 どこぞの貴族の屋敷から回収してきたのだろうと、そう考えるのが自然だった。けれど、どうにも心がざわついた。

 だってあれは、むしろ呪詛の力を、これから込めようとしているような――、


「なんだ、突っ立ってどうした」


 声をかけられて身体が跳ねた。たまたま通りかかったらしい、また別の先輩符術師が、片眉を上げてこちらを見ていた。


「いえ、あの」


 呪詛が、と、消え入りそうな声でそれだけ告げたミズキに対して、先輩は、ああ、と木戸へ目を向けた。


「込めてでもいたか? 皆やっているぞ」


 ――ミズキが思わず、耳を疑う台詞とともに。


「都主様や花の大臣が絆されても、我らだけはあの邪道術師への警戒を怠ってはならぬ――ってな」


 それだけ言って去っていく背中を、ミズキはぼんやりと見送った。




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