毒か薬か
ローゼンハイム帝国では帝国教会と呼ばれているが正式名称はユピテル信仰教会であり、かつては大陸全土に支部があった。
しかしユピテル教は一人の女性によって衰退の道を辿っていくことになる。
スフィア教初代聖女となるアンヌ=マリーである。
彼女は魔法による大規模治癒を得意としており、当時疫病により困窮していた人々を癒し回ったことで若くして神格化された。
そんな彼女は当時はまだ王国であったセフィア王国に拠点を構えると、慕う者たちとともに教団立ち上げてそこでも奇跡を起こしていく。
その勢いは留まることを知らず、遂にはセフィア王国国王の権威を凌ぐまでになる。これを国王は危険視したが時すでに遅く、国民の大部分が教団に心酔しており国としての体裁を維持することが不可能となっていた。
最終的に国王は自身の息子をアンヌ=マリーと結婚させ、王権と国家を譲り渡すことで最悪の未来を回避した。
一方で王権と国家そのまま手に入れた彼女は、教団組織の確立と強化を行い、更には新たな宗教として布教活動を行うために教義の取捨選択と明文化を実施、既存宗教組織であるユピテル教との差別化と教義の分りやすさを重視した。
特に支配階級ではない民衆でも分かりやすい教義を作り上げたことで、ソフィア教は徐々に聖王国以外にも浸透していき、百年以上経った今ではユピテル教はソフィア教の後塵を拝する形となってしまった。
「ヴィルヘルムめ……」
そんな衰退の道を辿る帝国教会の現教皇を務める男、ベネディクトは執務室で忌々しげにそう呟いた。
「まさかここまで強硬的な手段を用いるとはな」
孫娘とフリードリヒの婚姻の話を聞いたとき、最初は可愛い孫娘を権力闘争に巻き込みたくないために反対したのだが、帝国教会の苦境を打開できる機会であるという枢機卿たちの熱心な説得に根負けしてしまった。
そしていざ受け入れようとした矢先、フリードリヒの醜聞が彼の耳に飛び込んできた。
そして調査の結果、フリードリヒはとんでもない愚物だと判明した。女や金に溺れ、自身の地位に胡座をかいているだけの無能であると。
当然、ベネディクトは激怒した。
これでは巻き返しを狙うどころか、帝国教会の威信はさらに失墜してしまう。何よりも可愛い孫娘がそんな愚物に嫁ぐなど到底許容できるこではない。枢機卿たちも白紙に戻すべきだと意見を一時は撤回した。
それだというのに、フリードリヒの祖父であるヴィルヘルムは婚姻を無理やり押し通してきた。
枢機卿を金で買収して、靡かない者は脅迫するという手法で。その結果、ベネディクトは窮地に陥っていた。
「このままではまずい……どうにかせねば」
ヴィルヘルムの強引な手法に枢機卿たちは怯えてしまい、誰も味方になってくれない。それどころか、再び孫娘をフリードリヒと婚姻させようと躍起になり始めた。下手を打てば失脚させられる勢いである。
「お祖父様、失礼いたします」
そんな風にベネディクトが頭を悩ませていると、孫娘であるエレオノーラが入室してきた。
十八歳となった彼女は帝国教会の教義を体現したような女性へと成長を遂げていた。
流れるような美しい金髪に整った顔立ち、すらりと伸びた手足に豊かな胸を持つ完璧なスタイルで色気に溢れながら、露出の少ない清楚なドレスに身を包むことで帝国教会の理想とする清楚さと貞淑さを醸し出している。
まさに帝国教会の至宝と呼ぶに相応しい存在である。
「エレオノーラか。なにか用かな?」
「はい。枢機卿たちから聞きました。私の婚姻にお悩みであると」
「……余計なことを吹き込みおって」
ベネディクトは苦々しげにそう吐き捨てるが、すぐに表情を取り繕うと優しい笑みを浮かべてエレオノーラに告げた。
「気にすることはない。この話は私が絶対に無かったことにするから――」
「――その必要はありませんわ、お祖父様」
しかしベネディクトの言葉を遮って、エレオノーラは微笑みながらそう告げる。
「必要ない?どういうことだね?」
「簡単なことです。私はフリードリヒ殿下と婚姻することに決めました」
「……どんな人物なのか理解した上での言葉なのか?奴は――」
「分かっています。ですが、だからこそなのです」
「……なに?」
ベネディクトはエレオノーラの言葉が理解できずに首を傾げた。
「ですから、私もお祖父様が危惧しているように、フリードリヒ殿下の醜聞は存じております。ですがお考えください。ヴィルヘルム閣下がどうして強引な手段を講じてまで婚姻を押し進めるのかを」
「それは……」
確かに言われてみれば疑問ではある。
帝国教会の勢力を取り込むつもりならば、明らかに強引すぎる方法だ。下手をすれば帝国教会すら敵に回る。現にベネディクト自身はヴィルヘルムに嫌悪感を抱きつつあるのだ。
「お祖父様、ヴィルヘルム閣下に会談を申し入れましょう。これは帝国教会が再び勢力を拡大するチャンスです」
エレオノーラの考えを理解出来ないベネディクトではあったが、その自信ありげな瞳を信じたくなった彼はすぐさま行動を開始することにした。
それから三日後、極秘会談が行われることとなった。場所は帝都にある教会本部の一室であり、そこにはベネディクトとエレオノーラ、そしてヴィルヘルムの三人だけが集まっていた。
一触即発といった雰囲気の中、最初に口を開いたのはベネディクトだった。
「随分と枢機卿たちがお世話になりましたな、ヴィルヘルム閣下」
強引な手法を皮肉るかのようにそう告げるが、対するヴィルヘルムはどこ吹く風と言った様子で受け流す。
「日頃お世話になっている枢機卿たちに挨拶をしたまでですよ、教皇猊下」
「白々しいことを……」
お互いに敵意を隠すことなく睨み合う両者を見て、エレオノーラは雰囲気を変えるべく一度咳払いをすると話を切り出した。
「さて、本題に入りましょうか。既にお分かりとは思いますが、今回の議題はフリードリヒ殿下と私の婚姻についてです」
「残念だが取り消すつもりはないぞ」
即座にそう告げたヴィルヘルムに、エレオノーラは笑みを浮かべてながら確信に迫る質問を切り出した。
「ヴィルヘルム閣下はもしかして、孫であるフリードリヒ殿下を切り捨てるおつもりですか?」
その問いにヴィルヘルムは一瞬動揺を見せたが、それよりも驚いたのはベネディクトの方であった。まさか孫娘の口からそのような言葉が飛び出すとは思ってもいなかったからだ。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ、お祖父様。ヴィルヘルム閣下はフリードリヒ殿下と私の間に出来た子供を皇帝に据えるつもりなのです」
「……なんだと?」
ベネディクトは唖然とした表情でエレオノーラを見つめる。
「醜聞を重ね続けるフリードリヒ殿下では、皇帝になったとしてもそれを維持することが難しい。下手をすればエーデルシュタイン家に傷を付けるかもしれない。ならばもっと立派な跡継ぎを用意する。ヴィルヘルム閣下はそうお考えなのです、お祖父様」
「なっ!それではこいつはお前を子供を産ませる道具としてしか見ていないということか!?」
ベネディクトは思わず声を荒げた。
大事な孫娘をまるでモノのように扱うヴィルヘルムに対して怒りが込み上げてきたからである。
しかしヴィルヘルムはそれを鼻で笑うと、余裕の笑みを浮かべたまま答えた。
「政略結婚とはそういうものだろう」
「貴様……!」
ベネディクトは激昂するが、それとは対照的にエレオノーラは冷静だった。
「ヴィルヘルム閣下、我が帝国教会への見返りはなんです?」
「既に書面で知らせているはずだが?」
「金銭的な援助に布教活動の後押しだけでは足りません。これは情勢が変わる前の話です。ヴィルヘルム閣下が無理を押し通すおつもりなら、こちらも相応の対価を要求する権利があるはずです」
その言葉にヴィルヘルムはピクリと眉を動かした。
「……何が望みだ」
「フリードリヒ殿下と婚姻して子も産みましょう。その代わり、ヴィルヘルム閣下には帝位簒奪を成し遂げたら我が帝国教会を国教に認定してもらいます」
それを聞いた瞬間、ヴィルヘルムは大きく目を見開いた。
「正気か?そんなことをすればソフィア教会と完全に敵対することになるぞ!」
「ヴィルヘルム閣下はソフィア教会の――いえ、セフィア聖王国による帝国への浸透を放置するというのですか?」
(宗教戦争を起こすつもりか!?)
ヴィルヘルムは内心で舌打ちをする。
確かに現在の帝国教会は衰退して信徒の数も少なくなりつつあり、かつての隆盛を取り戻すことは難しい状況となっている。
しかし帝国の国教に認定されれば、帝国教会はその軍事力を背景として他国にも影響力を及ぼすことが出来るようになる。幾ら帝国が老いたとはいえ、未だに大国として君臨しているのだから。
(大人しそうな見た目に反してとんでもない女だ……!)
ヴィルヘルムは目の前の少女を改めて評価し直すと同時に、自分が大きなミスを犯したことに気付いた。
このまま事を運べば、最悪の場合は宗教戦争の勃発という最悪の事態になりかねない。
そうなればいくら帝国の権力を掌握したところで、自分の思い通りになるとは限らないのだ。
(白紙に戻して違う女を……駄目だ。そんな時間は無い)
ある程度影響力があって派閥に有益そうな女性など他にはいない。仮にいたとしても、そもそも探している時間すら無いのだ。
(こうなったらこの女を利用するしかないな……)
ヴィルヘルムはそう決意すると、エレオノーラとベネディクトの二人を見据えた。
「互いの要求を再確認するところから始めよう。宜しいな?」
「そうですね。それが宜しいかと」
「……不本意だが仕方あるまい」
こうして三人は再び交渉を始めた。
そしてそれから僅か一週間後、ヴィルヘルムとベネディクトは共同でフリードリヒとエレオノーラの婚姻が決まったことを帝国中に発表したのだった。
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