畜生キャンプ
キャンプに行こうと思った。真冬である。氷の上にテントを張り、ワカサギを釣ってそれを素揚げにして食べるのだ。私にとっての真冬のキャンプのイメージとはそういうものである。
「キャンプ場 冬 初心者向け」Ggggle検索をする。「△△キャンプ場」が真っ先にヒットした。住所が記載されていたのでここに向かおう。
私は生来の方向音痴である。が、無事にキャンプ場へと到着した。「ようこそ■■■■へ」キャンプ場の名前が書かれていたのであろうゲート状の看板は名前の部分がかすれていて読むことはできない。だが、到着した。到着したはずである。
その証拠に、看板の奥にはテントが貼られていて、焚火が炊かれていた跡もある。ここはキャンプ場のはずである。
キャンプ場に入る。森に囲まれた土地の大半は雪原で覆われている。その脇を小さな川が流れていた。テントと焚火があるのは川の傍である。
凍った湖の上でワカサギ釣りをすることはできないようだが、川で魚を釣って焼いて食べるのもまあ乙なものだろう。
受付も何も無いので私は勝手にキャンプを始めることにした。焚火跡の前にどっしりと腰を下ろす。荷物から道具類を出し、火を起こす。と、その瞬間、川から小魚が一匹飛び上がってきた。小魚は焚火の中に飛び込み、焼き魚となった。
魚を釣るまでもなく焼き魚ができてしまった。私は帝釈天か?せっかくなので背の部分を一口齧る。美味い。塩も何も振っていないはずなのに絶品だ。
しかし、私がしたいのはキャンプである。キャンプであるならば自らの手で食料を得なければならない。自分はキャンプの定義を根本的に間違えているのではないだろうか?やりたがっているのは狩猟採集ではないだろうか?そのような疑問は脳内から排除する。
釣竿を取り出し、川をのぞき込む。小さな透明度の高い川なので魚が泳いでいるのが目に見える。
焚火がバチっと音を立てた。目をやると今度は小鳥が空から突っ込んで来て焼き鳥になったようだ。美味しそうな匂いがあたりに漂うが、今の私はキャンプなので無視する。
釣り糸を垂らした。餌を付けるのを忘れていた。それなのに面白いように魚が釣れる。ハヤ、フナ、アジ、マス、ウツボ。どれも焚火に突っ込んでいき、焼き魚になる。
さあ、食べるか。というところでおかしな点に気がつく。ウツボ?
ウツボは海の魚だ。ここは川である。汽水域でもない。よく考えるとアジも川魚ではない。
もう一度川をのぞき込む。もう一匹いたウツボと目が合った。ジッと睨みつけると、ウツボはビクッと震え、ウナギへと姿を変えた。
いや、お前、ウツボだっただろ。嘘つくなよ。
よく眺めるとウツボの他にも、川の中にはタコやウニなど、居るはずのない生物がチラホラ見受けられる。どいつもこいつも、ねめつけている間に、ソロソロと目立たないように形を変えていくが、そのようなことでごまかされる私ではない。
川のはずなのに海の生き物がたくさん居る。つまりここは異常な場所である。異常な場所には滞在するべきではない。私は帰宅を決意した。
ドジュウウという音と共に脂の焼ける匂いが周囲に広がった。今度は猪が一匹焚火に突っ込んで焼き豚になったようだ。何の下処理もされていない丸焼きであるにも関わらず体表には見事な焼き目が付き、なんとも抗いがたい食欲がそそられる。
しかし、私は既に帰宅を決意している。帰るか。帰るぞ!
「出された食べ物を粗末にしてはいけない」と幼い頃から教育を受けてきた身ではあるが、私が残していくのは誰かに調理してもらった料理ではない。命を粗末にするのはよくない、という意見もあるだろうが、炎に突っ込んで彼らの命を粗末にしたのは彼ら自身の選択である。
理論武装は完了した。気兼ねなく帰宅ができる。ゲート状の看板の裏側には「またのお越しをお待ちしております」と書かれていた。おそらくもう来ることはないだろう。ゲートをくぐり、帰路に就く。
しばらく歩を進めていると背後から「おーい!」という声がかかった。数人の人々がこちらへと走り寄ってくる。
「あなたのおかげで助かりました!ありがとうございます」
なんのことだろうか?見当がつかない。
説明を聞くと、あの場所は△△キャンプ場ではなかったらしい。国から立ち入り禁止区域に指定されている有名な心霊スポットであるとのことだ。
あの場所は迷い込んだ者(悔しいが私はこちらにあたるのだろう)や肝試しに来た者に次々と美味な食料を与える。そして食欲に溺れてしまった者は動物に変えられる。動物に変えられた者は次の犠牲者の食材としての役割を永遠に強いられる。そういう構造になっているらしい。
まさに畜生道の理屈を現世に体現したかのような場所であったようだ。だが、丸焼きにされて提供された彼らを私が食べずに捨て置いたことで、彼らは食欲の輪廻から解放され、無事人間に戻ることができたのである。
とすると、私に食品として提供されるにまで至れなかった人々は未だあの場所にとらわれ続けているということである。一度目を合わせた川の中に居たウツボ(ウナギ)君のつぶらな瞳を思い出すと心が痛む。
しかし、今一度救出に行こうという気にはなれない。今回たまたま上手く囚われずに帰って来られただけで、次回も大丈夫と思えるほど私は楽観的ではない。最後の猪の丸焼きから漂っていた芳香を思い出すと涎が出そうになるのだ。
また、食欲に囚われはしなかったものの、私もあの場で焼き魚を口にしてしまっている。あれも元は人間だったということか。そう思ったとたん、胃がムカムカしてきた。指を喉に突っ込む。吐いた。
吐しゃ物には明らかに焼き魚一口分ではない肉が含まれていた。見たところ哺乳類の肉……いや、人肉なのだろう。呪いの適用範囲を外れたことで食べたものが胃の中で元に戻ってしまった、というところか。
いきなりどうしたんだと問いかけてくる周囲に言葉を返すと、人々の顔は青ざめ、大嘔吐大会が始まってしまった。
だが、私と違って彼らがあそこで食事をしたのはずいぶん前のはずである。呪われて動物に変えられていた最中の生理機能がどうなっているのかは知らないが、おそらくもう体に吸収されて血肉となってしまっているのではないだろうか。
大嘔吐大会が終わった後、微妙な雰囲気で、我々は何組かに分かれて解散した。解放された喜びで笑いながら帰る者も居れば、これまでの恐怖で泣きながら帰る者も居た。
さて、私は生来の方向音痴ではあるが、帰巣本能には自信がある。無事に自宅へとたどり着くことができた。同行者は二人、共に女性である。彼女らは元々自動車であの心霊スポットへと来たそうだが囚われている間に車が無くなってしまっていたらしい。
自宅の方向が私と近いということでここまで同行してきたが、この先はどうするつもりなのだろうか?
「どちらにお住まいですか?」
「××市です……」
××市、ここから二つほど市町村を跨いだ先にある場所だ。
あたりは既に暗く、わが家が位置するのはそこそこの田舎である。××市への公共交通機関はもう無いだろうし、タクシーはほぼ目にすることすらない。ホテルなどは言わずもがなである。
二人も、精神的ショックを受けた後の心神喪失状態でなんとか私についてきただけで、具体的にどう帰宅するかは考えていなかったようだ。
同性であることだし、人間として、ここはなけなしの親切心を発揮するべきところだろう。
「入れるのならば、泊っていかれますか?」
一方で、保険をかける。彼女らが悪人である可能性に対してではない。どうせ我が家に金目のものなど無いのだから。
私は彼女らが人間でない可能性に対して保険をかけた。相手にしているのは心霊スポットから突然湧いて出た、「人間のように見える存在」である。
今日私は思いもよらない怪現象に巻き込まれてしまった。ホラー映画ならば自宅に入って私が一安心したタイミングでギャーッッと襲ってくるのが定番ではないだろうか?
招かれなければ他人の家には入れない、古今東西の様々な悪魔や呪いに対して効果を持つとされる法則である。いや、別にそんな保証はないのだが、このときの疲弊した私の頭脳は、道徳心と恐怖心の狭間で、この法則によるフィルタリングを試みたのである。
結果、二人のうち一人――背の低い茶髪――は「いいんですか!?助かります!ありがとうございます~~」と言いながら垣根をくぐった。もう一人――背の高い黒髪――は立ち止まったまま「あ、あの……」と前置きし、
「入っていいですか」と言った。
「入れるのならば」
「入れてもらえませんか」
「入れるのならば」
黒髪はこちらをじっとうらめしそうな目で見つめるだけで垣根をくぐろうとはしない。
茶髪は後ろを振り返り、〇〇ちゃん?泊めてもらおうよ?などと言っている。
やはり黒髪の女はあの場所から私に憑いてきた存在なのだろうか。しかしこの2人は元々知り合いなのか?だとすると黒髪の方は本物ではなくあの場で“呪い”と取り換えられた……?
考えるのがめんどくさくなってきたので私は茶髪の方だけを家に引き入れドアに鍵を――
「じ、実はわたし、ダンピールなんです!招いてもらわないと入れないんです!!」
そう叫ぶと黒髪の彼女は玄関先でワンワン泣き出してしまった。
彼女が泣きながら語った話を要約するとこうだ。
人間の身体能力と吸血鬼の弱点を併せ持った体質で幼い頃から苦労してきたこと。
“そういう存在”が実際に居ると知っていたので心霊スポットにも本当は行きたくなかったこと。
中途半端に“そっち“側に近い素養があるため”呪い“とコミュニケーションを取ることができてしまい、
「純人間でもないのにこんな罠にかかるとかプゲラ」
のような煽りを、囚われている間ずっと受けていたこと。
「野宿するので私のことは入れてもらわなくて構いません。ありがとうございました」
一通り語り通した後彼女は泣き止むと踵を返し、立ち去ろうとした。
あー……もういいんじゃないかな?
心霊スポットに半吸血鬼、どちらか片方でもいっぱいいっぱいなのに、一日に両方が投入されるのは、私の情報処理キャパシティを完全に超えてしまっていた。
「いいよ、入って。泊って泊って。どうぞどうぞ」
もうどうにでもなれ、というやつだ。そもそも深く先々のことを考えて保険をかけて行動するというのが私には向いていないのだ。
困惑する黒髪の腕を掴んで家に引き込み、シャワーを浴びて、私は布団に入った。客人二人にはソファーや毛布や寝袋を適当に渡した。
ところどころお粗末だったキャンプ場の罠に、半吸血鬼の悩み。オカルトな存在の間にも色々な苦労があるんだなあ、と思いながら私は眠りについた。
寝てる間、何も起きなかった。寝てたから知らんけど。
翌朝、二人はお礼を何度も言いながら××市に帰って行った。
私は疲れた。今日はゆっくり過ごそう。みんなもキャンプに行くときは気をつけようね。HAPPY END